ここから本文です

住職(仏教、お坊さん)に質問します。 仏教と六曜は無関係と思いますが 何故 葬儀...

pkxjg139さん

2012/11/2218:46:06

住職(仏教、お坊さん)に質問します。 仏教と六曜は無関係と思いますが 何故 葬儀日 火葬など仏滅 友引にこだわるのですか 六曜の歴史をしらべて疑問におもいました。 私の結論は風習の強さとしか思えません

閲覧数:
2,950
回答数:
7

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

iriminationさん

2012/11/2223:20:57

「かなしきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつト占祭祀つとめとす」

「この日は仏滅だから、結婚式は延ばしましょう。」
「明日は友引だから、葬儀をひかえることにいたしましょう。」
このようなことは、日頃よく耳にする言葉です。
また家を建てる際に方角を気にしたり、子供に名前を付ける時に文字の画数を調べたりと、吉凶を占ってもらうような行為も、一般的によく行われています。
これらのことは迷信であって、本当は気に掛ける必要が無いのだと思いながらも、古くからの慣習に逆らうことに何となく不安を感じるということがあるのではないでしょうか。
日の良し悪しや名前の画数を選ぶことには何の根拠もないと思いながらも、それに従うことによって心の落ち着き場所を見つけているのでしょう。
吉凶に怯えたり、占いに頼ったりすることは、いったい何に基づくのでしょうか。
それは、私たち人間が、実生活の中で不安を抱えながら生きていることの裏返しであると言えましょう。
日ごろの生活の中で、なるべく災いを除き幸福を得ることを期待して、これらのことにすがるのです。
表題の言葉は、親鸞が作った和讃です。「僧侶も世俗の者たちも、良い時良い日に執(とら)われて、天の神や地の神を崇(あが)めつつ、占いや祈りごとに余念がありません。なんと悲しいことなのでしょう。」と言います。
祈ったり占ってもらったりすることによって心が落ち着くというのであれば、それらのものに従って生きることも仕方のないことなのかも知れません。
しかし親鸞は、そのような生き方を「かなしきかなや」と言うのです。
それは、これらのものに頼って生きることが、その人本来の生き方を見失わせることになるからです。
占いや祈りは人間の人生を切り開くもののように思われますが、決してそうではありません。
かえってその人の生き方を縛るものです。
こうした祈りや占いごとに熱心であることは、決して宗教的な生き方であるとは言えません。
それは、本来の自分という、主体性を見失った、偽りの生き方であると言えます。
親鸞は、そのような人間の生き方を「かなしきかなや」と嘆いたのです。
親鸞は、それらに執われ、振り回されることのない自分本来の歩むべき道を、仏教によって獲得することができました。
それは、天の神や地の神の呪縛から解放された、自由な道でした。
それを親鸞は、碍(さわ)りの無い道、無碍(むげ)の一道と呼びました。
何ものにも碍(さまた)げられることのない、自分本来の道を獲得する。
それこそが本当の自分の人生であり、本当の宗教的歩みであると言えるのです。

質問した人からのコメント

2012/11/27 05:42:37

降参 皆様 有難うございます。

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/6件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

kahusehuさん

2012/11/2416:13:51

前に聞いた話、
人が死ぬ日は選べませんから
昔の火葬場の職員さんは休めなかったのだそうです。

毎週水曜日は火葬場は休業…なんてわけにいきません。
かといって人を増やして交代制に…というのも言うは易し。
そこで救済措置というわけでもありませんが六曜に白羽の矢が立ち、
六曜が風習として定着していてくれないと困るようになったのだそうです。

ナルホドと思いました。

2012/11/2221:32:11

仏教の立場からは六曜は迷信だからやめなさいと指導してますがね。

jyugaku2008さん

編集あり2012/11/2300:12:42

「験を担ぐ」 「人情」だと思います。
迷信だと分っていますがわざわざ葬式を友引にする必要はないと思います。
結婚式とかお目出度い時に大安や友引を選ぶようなものです。

古人の言葉に
「花は愛惜に散り、草は棄厭に生うるのみなり」

花も草も同じ命を生きているけど花は惜しまれながら散り草は嫌われて生えてくる。

友引も仏滅も大安も「日日好日」だけれども結婚式は大安や友引が好まれて葬式は友引が避けられる。楽に生きていく知恵だと思います。
それと友引は他の人に悪いことがないようにですので葬家の為でなく参列者に気を使い避けるのだと思います。

古人のくわく
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は 住みにくい 」


追記

風習は思いや祈りか形になったものでそれなりの意味はあります。拘りすぎるのは良くありませんが反対にこだわら過ぎないのも良く無いでしょう。悪い風習は止めるべきですが良い風習は残すべきです。是々非々で色々な風習より古人の思いや祈りを感じてください。

dnxwd690さん

2012/11/2220:21:46

僧職ではありませんが、現在は、友引が火葬場が休みだそうですよ。

アバター

ID非公開さん

編集あり2012/11/2219:18:06

質問者様がいわれるとおり、仏教的に避けているのではなく、
風習によるものです。
友引はずっと昔は「共引」と記されていました。
先勝・先負の間に入る勝負なしの日、
つまり引き分けを表すもので、悪い意味ではありませんでした。
日本には葬儀の凶日に「友曳方」があってそれと混同されて、
「友引」と記されるようになり、
その意味が定着したというのが定説のようです。
友引に葬儀を行なうと「友を引き寄せて冥土に連れて行く」といわれ、
友引にお葬式をおこなわないのが今日のマナーになっています。
URL:http://www.isigen.com/faq/sougi24.html

「友曳方」:陰陽道によるもので、ある日にある方角に事を行うと凶禍が友に及ぶ。

なお、地域性により、一概にはいえませんが、
仏滅は一般的に葬儀を行っています。

また、私の住んでいる県の一部の地域では、
友引に加え、大安も避けています。
これは、縁起の良い日に弔事は避けるということからのようです。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問や知恵ノートは選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。