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歴史にくわしい方にお聞きします。なぜ前田利長は家康方についたのでしょうか。ま...

tda********さん

2006/11/322:43:00

歴史にくわしい方にお聞きします。なぜ前田利長は家康方についたのでしょうか。また、三成方についたら西軍は勝利していたのではないでしょうか。

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imo********さん

2006/11/322:54:52

利長は1599年、父・利家が病没したため、家督を相続し、豊臣政権では五大老となります。
その時点では、利長は徳川家康に対抗する位置にありました。
利家死後に五奉行の石田三成が襲撃されるなど党派抗争が始まり前田氏は対徳川的の急先鋒的立場に立たされるも、利長は危険を回避して、領国へ帰国しています。
同年、徳川家康とその参謀・本多正信が策した偽の家康暗殺事件の嫌疑をかけられますが、これは前田氏を屈服させようとする家康の謀略と考えられており、家康は強権を発動して加賀征伐を計画します。
利長は交戦を回避し、実母の芳春院(まつ)を人質として江戸の家康に差し出すなどの譲歩をしてその傘下となることで難を逃れています。

前田家を窮地に追い込んだ家康の策略によって、家康側に付かざるを得ない状況だったのでしょう。やはり、お家大事が一番なのでしょう。その甲斐あって、加賀・越中・能登の合わせて120万石を支配する加賀藩が成立します。

仮に前田が三成方についたとしても、小早川秀秋の寝返りや毛利一族の分裂など西軍にとって不利な要因はたくさんありましたから、西軍は負けていたでしょうね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E5%88%A9%E9%95%B7

質問した人からのコメント

2006/11/4 03:49:31

やはり歴史は嘘をつかないのですかねぇ。たいへん勉強になりました。ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

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弘法大師さん

2006/11/323:20:00

秀吉 亡き後 豊臣家を支えていたのは 前田利家です
この利家がいる限り さすがの 家康も かってなことはできませんでしたが この利家がぽっくり いってしまったので 家康は やりたい放題 はじめたわけです
早速難癖 つけて 前田家を 討伐しようと思いました

このままでは 前田家は やばい 戦うか それとも服従か
もう二者択一しかなかったのです しかも 関が原のだいぶ前の時点です
まだ 年若い利長には 家康相手に一戦 交えて勝てる自信はなかったでしょう 諸大名も かばってくれるかどうかいえば 家康を恐れていて微妙です ほうしゅんインこと 利家の妻 まつが自ら 江戸にいって人質になることで 服従の道を選択しました

そこで 今度は家康は 同じく五大老の 上杉家に 難癖をつけはじめました 上杉家は 謙信以来武勇の家柄です

家康の挑戦におびえたりしません 来るなら 戦ってやるぞ という
有名な挑戦状を送り返しました 直江かねつグ作成

かくして家康は大軍を率いて 東上 これが 関が原の端緒ですね

もしも 前田利長が西軍について 関が原で 自ら先陣にたって 獅子奮迅の戦いを見せたのなら 形成はわかりませんが 正直 利長に父 利家ほどの統率力は期待できたのか 疑問の部分もあります

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