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手塚治虫先生は1989年に60歳で亡くなられました。あと十年生きていたらどのような...

y22********さん

2013/1/2517:38:14

手塚治虫先生は1989年に60歳で亡くなられました。あと十年生きていたらどのような生き方をされたと思いますか?また日本漫画界はどのような発展を遂げていたと思いますか?みなさんの意見を聞かせてください。

まず私の考えから述べます。
手塚先生は死の直前まで10本近い締め切りをかかえ、手帳に次回作のアイディアを書き連ねていたと聞きますから、10年生き延びたとしても締め切りをかかえ『火の鳥』などライフワークは完結しなかったであろうと思います。また晩年は才能の衰えを吐露することが多かったとも聞きます。個人的には原作者や小説家に転向してほしかったですが、一漫画家としての一生を終えられたと思います。
漫画界への影響については、アシスタントに方眼紙を用意させFAXの要領でコマ割りを指示したり、アニメーションでバンクシステム(似たような画を使い回すシステム)を導入するなどデジタルな感性も持ち合わせていました。アシスタントであった寺沢武一氏がいち早くコンピュータを導入したようにデジタル作画を導入したかもしれません。それにともない日本漫画界のデジタル化は早まったかもしれません。いっぽうでバンクシステムなど邪道ととらえた節もありデジタル作画を批判した可能性も否定できませんが。

手塚先生の経歴や思想はこちらをご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB#....

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ベストアンサーに選ばれた回答

han********さん

2013/1/2517:56:26

10年生きてたら、「グリンゴ」「ルードヴィッヒ・B」「ネオ・ファウスト」は
間違いなく、完結してたはず(「火の鳥」太陽編は連載されただろうが
完結したかは微妙)。
と、考えると手塚治再評価が始まったと思う。

晩年の未完結作品でも、この3作は手塚さんが三度のピークを
迎えつつあった、少なくとも、その予感をさせるできだった。
続きを本気で読みたいと思った手塚作品なんて、晩年では
久しぶりだった。あの3作が完結しなかったのは返す返すも惜しい。

1999年では、デジタルコミックはまだ好事家の間でのみ、導入の
きざしがあっただけ。手塚さんは手を出さなかったと思う。
今でもデジタル作画を全ての漫画家が使ってるわけじゃない。
逆に、アニメーションのデジタル化の波に興味を持ったかもしれない。

それから、昔のコミックの復刻が遅れたのは間違いない。
これは遅れたら遅れるだけ、原版が喪失する危険性があるから
間に合ったのは本当に僥倖だと思う。

手塚さんが亡くなってるから、今のように雑誌からの復刻版が
どんどん出せるという皮肉がある。そういう意味では、手塚研究は
かなり遅れただろうね。

まぁ、でも、藤本さんや石ノ森さんがその間に亡くなるわけで、
手塚さんの悲痛なコメントなんか聞きたくなかったから、偶然だけど
良いタイミングだったのかもしれない。

質問した人からのコメント

2013/1/31 18:52:23

みなさんご意見ありがとうございます。不謹慎かもしれませんが、亡くなられるにはベストなタイミングだったのかもしれませんね。

ベストアンサー以外の回答

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ngs********さん

2013/1/2517:58:33

10年くらいじゃ大した生き方はできなかったと思います。
1999年当時ですとCGもまだ脆弱ですし。

ただ、1995年に阪神大震災があって
故郷も被害を受けたはずなので
それに関する漫画は絶対に描いたでしょうね。

個人的には911テロと東日本大震災、
そして今のCGとネット技術に触れて欲しかった作家の一人です。

嫉妬深いことでも有名な人でしたから
ツイッターなんかやったらあっという間に炎上でしょう。

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