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日中戦争の時に、国民党軍に対してドイツが武器の支援をしていたみたいなのですが...

too********さん

2006/12/820:51:32

日中戦争の時に、国民党軍に対してドイツが武器の支援をしていたみたいなのですが、この事は日本側は把握していたのでしょうか?ヒトラーは、ばれなければいいみたいな事を言っていたみたいですが。

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ベストアンサーに選ばれた回答

man********さん

編集あり2006/12/821:52:39

全文コピペです。

大陸での権益拡大をめざしていたドイツは、日本だけでなく支那とも友好関係にあり、
支那事変勃発後も友好を維持しようとする支援行動は我が事変遂行を妨害するものである、
としてしばしば日本から抗議を招いていた。
日本のドイツへの抗議はまず有力な軍事顧問団の存在にあった。昭和3年以来支那に駐在し、
共産軍の討伐に関して助言を与えていた顧問団は、事変発生当時、フォン・ファルケンハウゼン将軍を長とする
20数名の元将校と10数名の民間人から構成され、支那政府に雇用されていた。
上海周辺のクリーク戦で日本軍が苦境に陥ると、ドイツ顧問団が陣地構築を指導し
実戦の指揮にあたったのではないか、との疑惑と批判が高まった。
さらに日本が抗議したのは、ドイツの武器輸出であった。昭和11年4月 独支両国はハプロ条約を締結、
ドイツは支那に武器を供与するかわりにタングステンなどのレアメタルを輸入することになった。
また1億マルクにものぼる借款協定も成立、いずれもドイツ陸軍主導によるもので、
昭和12年のドイツ武器輸出総額の37%が支那向けであった。
事変勃発直後から日本はドイツの対支武器輸出に厳重抗議し、防共協定に反すると批判していた。

こうしたドイツの態度が一変するのは昭和13年の政変によってヒトラーが軍部を掌握し
外相にリッペントロープを起用してからである。ナチス党主導の日独提携強化路線に対して親支的な陸軍の抵抗は弱まり、
昭和13年5月に対支武器輸出禁止は全面的に実施され、7月には軍事顧問団は帰国するに至ったのである。

質問した人からのコメント

2006/12/8 23:46:12

成功 よく解りました。ありがとうございます。

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