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真理に到ることを阻むものは何か・・・ 真理というものが何だか分からないまま...

bai********さん

2013/3/408:45:07

真理に到ることを阻むものは何か・・・

真理というものが何だか分からないまま真理に到り
たいということを人間は思っています。

いや、人間はと一般化するのは間違いかもしれませ
ん。少なくとも私は高校二年生の或る冬の日、突然
そう思って、ある文学者の先生に「真理とは何ですか?」
と問う手紙を書きました。

で、もし人間がそういう真理というものに到達可能だった
として、その真理に到る階段の途上に待ち受けていて、
そこに到るのを阻むものがあるとすれば、それはどの
ようなものだとあなたは思いますか?
難しい論理を理解できないという頭の悪さですか?
私はもっと違うものだろうと思いますが・・・

補足jiang_hua_yu_88さん
あなたが言われたことは、私が予感していたことに
似てます。

tokyoankokuさん
あなたは絶えずずれていると私には見えます。

ryujyuhokekyoさん、horadann7x11さん、
回答すべき場所で、逆に質問を立てられると非常
にやりにくい。指名質問という方法もありますよ。

orionnokanata1007さん
臆病さですか、なるほど、・・・
勉強になります。

さらに回答待ちます。

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363
回答数:
11

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ベストアンサーに選ばれた回答

jia********さん

2013/3/409:15:59

論理を積み重ねれば真理に到達できる、という前提が正しければ、「頭の悪さ」が障壁になるでしょうが、事はもう少し複雑で、おそらく「人間であること」自体が最大の障壁になると思います。

「人間が真理に到達可能である」という前提に従えば、真理は思惟や観念のような、「人間の頭で考えられるもの」としてある、ということになります。

一方で、真理は、「絶対性」「普遍性」「永遠性」などにその特徴があります。これは、実際の人間のありようをもとに考えられた「一人一人に見えるものや聞こえるものは違う」「価値は立場や関係で変わる」「価値は物事に内在しない」といった相対的な世界観に対する反論として提起された概念です。したがって、私たちが現代を生きていること、日本に生きていること、といった一切の立場を排除しなければ、真理には到達できないことになります。つまり、相対的な思考で絶対的な真理にたどり着こうとする人間の思惟のあり方自体が、真理到達への障害になる、ということになります。

それはたとえば、歴史学者や考古学者が「現代人の目」で過去を再構築するのに対して、古典文学研究者が「昔の人の目」で「昔の人の見ていたこと」を見ようとするのに似ています。実際、古典文献を研究している人たちは、自分自身、とか、人間、といった前提をかっこに入れて保留する、という方法論に長けていて、ある意味真理に近いところで仕事をしている、と言えます。

質問した人からのコメント

2013/3/9 18:20:16

どの回答からも学ぶものがありました。
しかし、まず最初に頂いたあなたの回答の印象
が一番心にも残りました。
ありがとうございました!

ベストアンサー以外の回答

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csd********さん

2013/3/515:01:52

自分がそれにあわせて変化するのが嫌だよーという気持ち。。。

nip********さん

編集あり2013/3/523:06:39

knob7772000さん

何やら箴言めいていて,あなたの文章は好きです.
騒音ではないけれど,電車の車内広告を見ていると
あなたと同じようなことを感じます.
通勤途中につい目に入るでしょ.
うるさくて,苦痛に耐えるのに必死です.

すいません,回答しなければ.
「真理」という言葉は嫌いです.
どうでもいです.
「天地真理」は……これもタイプではない.
白鳥さんは私と同世代だから知っているでしょ?
私は好きなタレントにファンレターも出したことがないのに,
白鳥さんは勇気があるなあ.
あ,わかった勇気ではなくて,大変失礼だけれど,
白鳥さんの質問はいつも無謀なんだ.
おいそれと「真理」などという言葉を軽々しく
口に出すこと自体,無謀と呼ばずして
何と予防課.
ほんと,白鳥さんはここに書き込む前に
予防課に一度相談してから書き込んだほうが身のためですよ.
また刺されますよ.グサッと.
そのときは救急車でも呼ぼうか.


それでは質問.
勇気と無謀の違いはなんでしょうか?
アリストテレスをググってね.
真理ちゃんに到達するなんていう設問を立てる前に
まずは,ここらあたりから,軽く頭のトレーニングをしていきましょうや.

そういえば,吉村真理や岡部真理もいたなあ.
ところで,予防課はどこの市役所に行けばあるのか?

kno********さん

2013/3/420:36:24

現代世界の言葉は、言葉に対して、同時にまた沈黙に対して意味をあたえるところの精神の行為によって沈黙から生まれ出るのではない。そうではなくて、何か一つの他の言葉から、いや、他の言葉の騒音から生まれるのである。したがってまた、言葉は決してふたたび沈黙のなかへ帰ることはない。それはもはや沈黙のなかで終わるのではなく、何か他の一つの騒音の言葉のなかで終わる。そして、その騒音の喧噪のなかで滅びるのである。何か言葉めいたものが騒音のなかに絶えず現れ、その言葉めいたものが繰り返し騒音のなかで消えてゆくのだ。

syu********さん

編集あり2013/3/507:39:59

聖書から911テロまでは神は真理を隠すと読めます。人間は真理(希望=幸せ)がみえないので。これを探すこと、謎に迷うこと、重い脚(踵を砕く腹の虫の蝮=エバ、ユダ)を引きずって人の根性である神の命(仇武=悪、闇と戦う)を燃やします。これによって神に育って天国に迎えられると定められているのです。

ですから真理の道を阻むのは、腹の虫に負ける精神の弱さで臆病心(チキン)で、これは我利の損得の商人根性に負けることです。聖書の目的は商人をなくすことです。商=光にI愛がない=あきない=秋には火の洗礼に焼かれていない者

腹の虫の蝮(真無視=憂蛇野=獣性で666の癌病の商人我利根性)です。己の肉体本能の醜さを見つめて反省(浄化=法)する戦いが真理に至る道です。

神は人(仇武、アダム)の前に躓きの石(妻の月の陰魔、穢場、鬼、仇の意志=蝮=ユダ)を置いて育ての布石とされた。

彼(アダム)はお前(エバ=腹の蝮)の頭を砕き(悪心の反省)、おまえ(ユダ=鬼)は彼の踵を砕く(蛇が足をヘビーにする)であろう。=精神と肉体の戦いにふうふういうのが夫婦であり、正上位(男尊女卑)が魂を育てて、真珠となれば天国に収穫される。

「私は真の私、イエスを包む肉のユダを犠牲にしたので天国に昇ることができた」(ユダの福音書)

ヨハネによる福音書
19:26イエスは、その母と愛弟子(ヨハネ=真理の御霊=48音」)とがそばに立っているのをごらんになって、母にいわれた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。 19:27それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。 19:28そののち、●イエスは今や万事が終ったことを知って(日本語が真理に矢して外撥ねして与羽すして天に蘇える智恵なりを伝えた、これはイエス、。聖書の遺言である)

「わたしは、かわく」と言われた。それは、聖書が全うされるためであった。 19:29そこに、酢いぶどう酒がいっぱい入れてある器がおいてあったので、人々は、このぶどう酒を含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて、イエスの口もとにさし出した。 19:30すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、●「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた。

人は神に育つ目的の中を生かされている。つまり、一生自己革命の戦いを続けるべきである。腹の虫は手足をポケットに突っこんで腹で這う怠けもの(生獣)で、精進の精神の足を重く(ヘビー)する。思考も行動も拗ねて生きる(スネーク)のである。

始めに怠けの女(エバ=穢場=男を磨く汚床)ありき、この外国の女に誘惑されてはパウロ(羽洞)で天国には飛べない。

ーーー神字辞典ーーー

しんり【真理】

1、毬栗あたまを割って三大ピラミッドの秘密を取り出せば秋に旨い
2、六(6)に目を開いて、真無視を止め(十目)る。
3、テンにトウ達するシ(思仕視肢歯旨姿糸支矢示)合わせの進理
4、真理の矢は耶(外の声=譬え=イエス)→蘇(読み換える(ヨハネ=48音)に進むこと

参考)米国主導のNO主の七の戸の夜が終わり、八戸の青森の朝に目覚めよとして岩手(ペテロ=教会)の男の破綻(マンハッタン)が警告(911)を受ける。秋田(火の洗礼)に目覚めて岐阜(高山=新エルサレム)に向かえば永遠に立つ魂(十和田湖)を得るであろう。
=911テロはイエスがヨハネ(真理の御霊)として蘇える、ミロク(567の奥の8、鉢に針=憂様+便=螺鈿細工、ウサマ、ビン、ラディン)の時である、と日本地理に予言されている。

ーーー

漢字、地理、歴史、一切神の声、最後の学問「秀思學」のすすめ

聖書から911テロまでは神は真理を隠すと読めます。人間は真理(希望=幸せ)がみえないので。これを探すこと、謎に迷う...

sam********さん

編集あり2013/3/418:46:33

だからじっさんは宗教カテの方がいいんだって。

真理に至る為の方法論で、哲学には哲学の流儀があるし、宗教には宗教の流儀があるんだよ。

じっさんには「論理」とか「解」より、「さとり」とか「解脱」の方が合ってるんだよ。

だけど、どっちにしたって「修行」は必要だよ。

じっさんは修行してるのかい?

追記

論理的思考については、わたしゃ訓練してるよ。

例えばなんだけど、装置の故障なんて、感覚で直すわけにはいかないんだよ。

一つ一つ点検していったり、〇〇だから××のはずはない、って論理的に考えながら、不具合のある箇所を特定する。

これ、オカルトパワーや宗教パワーで直せるのか。出来るもんならやってみろ。

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