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火垂るの墓を観て。 西宮の親戚って何故、あんなに卑怯なんでしょうか? 今は当...

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ID非公開さん

2013/3/823:08:09

火垂るの墓を観て。
西宮の親戚って何故、あんなに卑怯なんでしょうか?
今は当たり前のように食べている米も、この時はなかなか食べていけなかったのは、なぜなんでしょうか?
節子達の、着

物を交換して、その米を西宮の親戚の物にすると言う。
それと、話は変わりますが、
節子達の死因はなんだったのでしょうか?
当時は今の様に米とか野菜とかの値段はどのように高かったのでしょうか?
今はコイン不足で申し訳ありません。

補足農家のおじさん、なぜ暴力を振るったのでしょうか?私も農業やっていますが、あれは酷すぎるのは気のせいでしょうか?

すみません、たびたび質問が変わって。

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yos********さん

編集あり2013/3/923:48:10

米がなかなか食べられないのは、長引いた日中戦争の時から、【成人が米の摂取量は1合辺り迄にしろ】と政府が取り決めていたからです。野菜等に於いても、軍事物資として優先され市場にはなかなか回りませんでした。
風太と節子の事は既に回答されてある通り、父親が軍人なので裕福な家庭で育った為世の中の空気を読めないのも無理ありませんが、居候の身であるのを特に風太は自覚すべきでした。
「防空法」で“国民は避難せず必ず消火活動にあたれ”と定められており、親戚のおばさんが風太に浴びせた“お前は何故何時も真っ先に避難ばかりしてるの?率先して消火活動にあたるべきじゃないの!”の言葉は、視聴者の視点では無茶苦茶にしか見えない言動だが、当時の世の中では筋が通っている話なのです。又、音楽も娯楽の一環だから殆ど禁じられており、ピアノを弾いて唄う風太らを叱り飛ばすおばさんの態度も当時の世の中では当然の事になります。
又、農家のおじさんに殴られた訳は、風太が盗みを働いたので自業自得です。栄養失調で苦しむ妹・節子の為とはいえ、やり方が間違っていました。
結局、節子は栄養失調で死亡して、風太も失意のまま栄養失調で駅舎の中で野垂れ死にの結末を迎えました。

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sab********さん

2013/3/1012:40:11

是非新潮文庫から出ている原作を読んでみて下さい。ちなみに清太の父親は大佐ではなく海軍大尉です。
親戚の叔母さんといっても父の従弟の嫁の実家の未亡人宅で深い親交があった訳ではないし「東京の母親の実家に手紙を書いてみたら」と促しています。伯母の「海軍さんの家ばっかり贅沢して」というセリフがあるように当時食料は配給制でしたが父が軍人で一般家庭よりは恵まれていたせいか実家の食卓と比べ貧相な食事(といっても当時はそれが普通だった)に不満を抱き、伯母からすれば遠縁の子供二人を面倒を見てあげているのに感謝の気持ちが感じられない、自分の娘は同じ学生でお国の為に勤労奉仕をしているのに清太は毎日妹と遊んでいるだけ、という気楽な態度も反感をかったのでしょう。
当時食料や生活用品は配給制、もちろんそれだけでは足りませんから闇や農家から食料を手に入れ、それでも皆満足に食事ができない時代でした。当然そんな世の中ですから頻繁に作物を盗まれていた農家は憤りを感じていたでしょう。当時は物が圧倒的に不足していましたから農家はお金ではなく現物で農作物と交換するのが主流でした。あの叔父さんや叔母さんも平和な時代であればもっと寛容でいられたはずです。
清太は死ぬ間際に唯一残った母の形見の色褪せた長襦袢を売り半月食い凌ぎ、自分が履いていた靴までも売り払い、さすがにズボンまではとためらううちに死に絶えます(節子と同じく栄養失調による衰弱死)。
本当に生きる気力があれば親族の元に行くなり泥棒をしてでも食い繋いだでしょうし(野坂氏自身少年院に入り実の父親に引き取られる)実際の親戚宅はあの叔母さんのように辛くはあたらなかったようです。また野坂氏は清太のような妹想いの兄ではなく妹を僅か一歳で栄養失調で亡くしています。もっと妹に優しくしてあげればよかった、その後悔を小説中の清太に想いを託した、と述べています。

lin********さん

2013/3/1003:03:18

「衣食足りて」と言いますね。

作品の時代背景は衣食住のすべてが圧迫されていた頃です。

長い戦争で重税、物資統制、奉仕活動の強制、空襲激化後は罹災者の寄居強制。
街なかで菜園づくりをすればその作物が盗まれるという状況で、
生活の苦労で世のおじさんおばさんも殺伐としていたようですね。

終戦後の子供たちの死因は栄養不良でしょうけど、
戦争中は栄養失調は「ありえないこと」として禁止語です。
不足や苦痛を訴えることは許されない世相でした。


捕まえた泥棒をどうするかはその人の人格次第かと思われますが、
昭和20年にイモ泥棒を撲殺した横浜市の自警団員は起訴猶予になっています。

har********さん

2013/3/1002:49:07

①西宮の親戚って何故、あんなに卑怯なんでしょうか?

皆ギリギリの生活。働こうとしない、認められようとしない、
社会に属そうとしない清太に対して、当然の態度のようにも思いました。
まぁあのおばさんは、小さな人間だと思いますけど。

②この時はなかなか食べていけなかったのは、なぜなんでしょうか?

軍隊に優先的に配布していたこと、あと、連合軍の飢餓作戦によって、海運が壊滅しており
食料の輸送が困難になっておりました。
対照的に、大陸にいた日本人は食料不足は無かったため、戦後内地に帰ってきてビックリしたそうです。

③節子達の死因はなんだったのでしょうか?

清太は衰弱死。
節子は、脱水によるショックか、感染症にかかってSIRSによって亡くなったのでは?
あの衛生状態で幼児が生きていけるはずは無いし、医者も、診察時点で気づくべき。

④農家のおじさん、なぜ暴力を振るったのでしょうか?
体罰なんて当たり前の時代ですから・・・犯罪者に対して容赦はないでしょう。
軍隊なら射殺されそうです。


ちなみに、この作品のテーマは、社会から外れて生きることへの警鐘、とのことです。

san********さん

編集あり2013/3/920:52:12

視点をどちらに置くかによって見方も変わってきます。

兄妹の視点では親戚が意地悪に見えますが、親戚の視点では兄妹が小生意気で我儘でプライドの高い扱いづらい子どもたちに見えるでしょう。

西宮のおばさん(松嶋菜々子さん)がヒロインとなっているドラマ版「火垂るの墓」では、佐々木麻緒ちゃんが、思わずイラッとさせられる節子を見事に演じていました。

兄妹にしてみれば、将校の御子様として大切に育てられていたので、高慢になるのもやむをえないですが。我慢するということを教わっていなかったので。

戦時下という極限状況が生んだ悲劇です。

兄妹の死因は栄養失調による衰弱死、簡単に言えば餓死です。

当時は餓死する戦災孤児は珍しくありませんでしたし、今も世界には餓死している人々が大勢います。
生き物は食べなければ死ぬのです。

sol********さん

2013/3/908:25:14

殆どの成人した男性は、戦地へ行っていました
~米作りする人が少なかった上に、軍隊へ供出と言って、大部分を納めさせられてましたからね
~また、輸送力も低下していました

☆自由販売は禁止されていて、食料や衣服など、生活必需品は、配給が基本でした

配給以外なら、闇取引で、お米一升に着物を何枚か、位の価値でした

☆戦後でさえ、配給物が少なく、配給だけで暮らしていた方が、栄養失調で亡くなった事件もありましたからね

今の基準で、戦時中の生活は考えることは、不可能です

戦時中の手記などをお読みください

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