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昔(それこそ鎌倉、室町、江戸時代など)は、文書の修正はどのように行っていたの...

tai********さん

2013/3/1123:11:39

昔(それこそ鎌倉、室町、江戸時代など)は、文書の修正はどのように行っていたのですか?

昔は、もちろん修正ペンも修正テープもありませんよね。

まさか、間違えたが最後、すべて書き直しなんでしょうか?
(ときどきTVなどで見る古文書には、修正のあとはないですし・・・)

ただ、以前「反古紙」というものを使い、それを張り付けて修正する。というのを聞いたことがあります。
今でいう、チラシの裏を修正テープ代わりにするみたいなものです。

しかし、その方法は不確かで、「反古紙」という物の定義がそれでいいのかも少し曖昧です。

いったい、どのように行っていたのでしょうか?
回答よろしくお願いします!

補足みなさん回答ありがとうございます!

お三方ともとても興味深い情報で、とても参考になりました。
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old********さん

2013/3/1123:25:05

巻紙は書き直しですよ、但し紙を張り合わせているので、一から書き直しではありません

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kdk********さん

2013/3/1220:55:28

まず、基本的に公文書はおろか私文書の手紙も下書きを作成します。それを推敲し、OKとなったら清書するのです。
公文書や偉い人の手紙も書き写し専門の役職の人がいて清書するのです。清書が終わるとそれを文書の発給者となる偉い人が最終チェックしてサイン(花押)なり署名なり捺印なりして相手に発送するのです。
だから歴史に残る古文書にほとんど訂正はないのです。
今だって役所や会社で作る公文書は何重のチェックを受けてから清書して発送します。
奈良時代に国家事業として写経が行われており、多くの写経生が雇われて写経を行いました。完成した写経は校正を受け誤字脱字一文字ごとに過料を取られて給料から差し引かれています。もちろんそのお経は廃棄処分され、保護紙として二次利用されます。
ちなみに、正倉院に聖武天皇の后であった光明皇后の有名な自筆の書が残っていますが、最初に年号を間違って書き、太く書き足して訂正しています。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/98/Komyo_Kogo_Gakki...
もう一つ。
http://kotenshohou.com/rin/midou.jpg
これは藤原道長自筆日記である『御堂関白記』です。よく見ると書き損じがあります。日記ですから、書いた本人とその子孫しか見ないことを前提に書かれたものです。
昔の偉人でも誤字脱字はあったのです。

mug********さん

リクエストマッチ

編集あり2013/3/1200:05:58

公文書ではさすがに訂正とかはないですね。手紙などの私文書なら棒線引けば済みますが・・・

↓は江戸幕府の書類です。寛政の改革の一貫として設置された昌平坂学問所の及第者の名簿ですが、
寛政六年甲寅
合格の者四拾七人 甲五人、乙拾四人、丙弐拾八人
甲の部五人 御目見以上四人 御目見以下壱人
遠山金四郎 (上に遠山景晋の付箋のようなものが付いています)
・・・
・・・
・・・
太田直次郎 (同じく蜀山人の付箋)

何かを訂正したものか単なる付箋なのかは分かりませんが、訂正するときもこのような方法だったと思われます。

*よく考えてみたらこの付箋は同書を所蔵する江戸東京博物館で、遠山と太田の名を見つけて付けたものかも知れません。

公文書ではさすがに訂正とかはないですね。手紙などの私文書なら棒線引けば済みますが・・・...

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