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天明8年正月晦日の火事によって焼失した京都御所を松平定信らが再建した「寛政の...

もん太さん

2013/4/1211:07:32

天明8年正月晦日の火事によって焼失した京都御所を松平定信らが再建した「寛政の御造営」。このとき、朝廷側は、清涼殿や紫宸殿などを復古的造営計画のもとで再建しようとし、実際にそのように再建されました。

そこで質問なのですが、なぜ、朝廷側は今まで通りに再建するのではなく、復古的に再建をしようと思ったのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

kim********さん

2013/4/1211:38:09

京都御所を松平定信、朝廷側は今まで通りに再建するのではなく、復古的に再建した理由。
「光格天皇の朝廷権力浮上」です。

天明の火災後寛政期の造営は、光格天皇が松平定信ら幕府の反対を押し切り、資金のかかる平安京の古制に則った復古的な再建となった。(光格天皇の朝廷権力浮上)しかし、これも1854年に火災で焼失。
幕府は老中安倍正弘に命じて、紫宸殿・清涼殿などを復古的に再建し、1855年に完成したものが、現在の京都御所である。

《天明の大火災で焼失した御所を再建する 際は、幕府の反発を押し切って、平安時代のオリジナルに近いプランで可決 》
↓↓のURLのページ中ほどです。「京都御所 名所案内その12 前編 」
http://blogs.yahoo.co.jp/heiannoneko/folder/1583955.html?m=lc&p=4

質問した人からのコメント

2013/4/18 23:02:42

感謝 有り難う御座いました。

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