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坂口安吾とか川端康成とかは今でこそ純文学にカテゴライズされていて、

vi238leninさん

2013/4/2622:23:27

坂口安吾とか川端康成とかは今でこそ純文学にカテゴライズされていて、

それらを読む人も純文学が好きな人に偏っている感じがしますが、
元々、彼らが作品を発表していた当時の読者なんて大衆というか流行り感覚で読んだ人がほとんどだったのではないでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

jyunrevivalさん

編集あり2013/4/2716:24:14

ご指摘のように、両者の作品は、発売当時、大衆文学として読まれたもので、今日のような純文学としての読まれ方ではなかったようです。短編の「 伊豆の踊子 」は川端康成が1918年(大正7年)19歳のときの作品です。10月30日から11月4日にかけて、伊豆を旅したことがあり、ふとしたきっかけで「岡本文太夫」ひきいる旅芸人一行と道づれになったそうです。この経験を元に「伊豆の踊子」は書かれたそうです。踊子の名は本名「時田薫(かおる)」といい実在します。、川端とは数回情愛を交わしたようですが下田の別れを最後に会っていません。後に、もう一度会いたいというような手紙や年賀状が送られてきたと述懐してますが結局会っていません。このような裏話をわざわざ発表することで、この作品に隠されたストーリーを知らせることで、性的妄想を駆り立てようとする川端の意図がうかがえます。

小説は、叶わぬ恋の美しさみたいのを表現しており情交はなかったようにしてますが、事実は「淡い初恋」のようなものとは異なるようです。康成自身、当時天涯の孤独で、両親、兄弟、祖父を亡くしており「孤独に悩む青年」であり、人の愛に渇望していた状況でしたから、旅の恥は掻き捨てとばかりに愛を交わしたのもやむ得ない状況だったのです。この私小説的な作品では「美化」されているのです。私的な見解では薫の主人公に寄せる気持ちをもう少し描いて欲しかったとおもいます。男目線から見た感傷的で平板で一方的な作品になったのは残念です。

雪国の駒子もカレ独特のエロティズムで表現されていることに気づくと思います。例えば「 雪國 」に出てくる島村が「 この指だけが女の触感で今でも濡れてゐて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思ひながら、鼻につけて匂ひを嗅いでみたくしてゐたが・・・ 」などと情交した男が必ずするであろう仕草など随所に書かれていて、エロ本的趣味で読むことができるのです。

質問した人からのコメント

2013/4/27 19:47:09

感謝 お二人共感謝します。ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

2013/4/2623:57:24

坂口安吾なんかはそうでしょうね。
一般に多く読まれるようになったのは戦後ですが、
無頼派と 呼ばれ、流行作家であったようですし。
まあ、安吾などは純文学とか大衆小説とかいう枠に入りきらない
スケールの大きな作家というイメージがあります。

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