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高3男子です。

nan********さん

2013/5/117:05:36

高3男子です。

このGWを利用して、亡き父の故郷・鹿児島県に遊びに来ています。
先日、親類の人たちと知覧の特攻平和館を訪れました。
そこで見た特攻隊員たちが出撃前に書いたという遺書にものすごく感銘を受けました。
そしてショックでした。

書かれていた内容もそうですが、僕と年齢のほとんど変わらない人たちなのに、文章の構成力や美しい言葉づかい、文字の達筆さ。
同じ国の同世代の文とは信じられないくらいです。
僕たち世代は大人たちから「ゆとり」とよく言われます。
それは確かに腹立たしいことですが、こうした昔の文章を読むと仕方ないのかなと思ったり、今の自分にものすごい劣等感を持ってしまいます。

現代のような近代的な教育は戦時中には無かったはずです。
それにもかかわらず一介の兵士があれほど素晴らしい文を残せたのはなぜなのでしょうか?
当時の17~18歳と今の同世代では、いったい何が違うのでしょう?

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ういんさん

2013/5/118:04:17

3年前にわたしも行きました。わたしも当時の若者の思いに強く心打たれました。

その時感じたことは,長崎や広島の原爆資料館などと並んで日本人であれば,学生が必ず是非訪れるべき場所として当時の日本人の心情に触れることが必要なのではないかということです。

この人たちの生の上にわれわれの時代が乗っているのです。


一部の高校生などは中国や韓国に行って,史実性がきわめて疑わしい資料館で日本の残虐さを学んだりしている人もいるようです。愚かで不見識も甚だしいことです。

靖国神社などもたしかに当時,戦争遂行のために美化された部分もあります。でもそうではなく,故国のために命をささげた人たちに感謝するという一面も間違いなくあるわけです。


人間の「賢さ」「りこうさ」というのは科学の発展や知識面ばかりで決まるものではありません。むしろものの見方や社会の捉え方などは,「どれだけ真摯に物事を突き詰めて考えているか」というその真剣さや深さなどにより違ってきます。

たとえば「健康」などは体を壊してみて初めてありがたみがわかりますし,「親」などもなくしてみて改めてありがたみが理解できます。それとおなじで,ふんだん恵まれているなかでは,深みのある実感がなかなかできていなことがたくさんあるはずなのです。

自分が生きているということ,家族に対する愛情,色々なものに対する感謝や「ありがたい」と感情・・・そういうものは希少性をもってみてはじめて実感できることなのです。

今の我々は,命の心配もなく,安全など当たり前で,「ひもじい」という言葉さえ使うことはなくなってしまいました。電子機器も食糧もコミュニケーションも得たいだけ得られます。それがどれだけ稀有でありがたいことなのか殆ど考えもしていません。だから浅はかなのです。

「ありがたい」ということばは字を見てわかるように有難し・・そうなかなかあるわけではない・・という意味なのです。ふんだんにあれば有難さがなくなるというのも当然です。

あるものに対しては満足感屋幸せを感じることなく,ないものに対する不平ばかりを言っている・・・現代の人たちにはそういう人たちが多いように思います。

当時の人たちがもし今の日本人をみれば,とても理解できず,もしかしたら怒り出すかもしれません。われわれは子孫がこういうふうになるために命をささげたのか。子孫は本当に私たちの気持ちを受け継いでくれているのか・・と。

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