「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」 という西行の句にある望月

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

みなさん大変詳しく教えて下さりありがとうございます☆ 一首の和歌の中に奥深い意味があり・・・古典はすばらしいですね。。

お礼日時:2007/2/20 20:32

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おしゃかさま同様に大安にいたりたいとの気落ちの現れでしょうね。 同様に仏教にはお月様のまつわる(たとえる)逸話があることから お釈迦様の時代も太陰暦だったのかもしれません。 西行さんが生きていた年も当然、旧暦だったのでしょう。 日本への導入切り替えは明治5年12月2日次の日は 明治6年1月1日(1873年)とウィキペディア事典では記載されています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%AA%E6%9A%A6#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.82.B0.E3.83.AC.E3.82.B4.E3.83.AA.E3.82.AA.E6.9A.A6.E5.B0.8E.E5.85.A5

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如月は2月をさします。望月は仰るとおり15日付近です。 2月15日の意味はお釈迦様が涅槃(命日)に入られた日と伝えられている非です(実際は分かりません)。西行は仏籍に入っています。 1年をよっつに分けて、月では1~3月・季節では立春~立夏の前日を春とします。立春は昔の日付では元日あたりを中心として前後15日間ぐらいのどこかに来ます。 月の和名はたくさんありますが、1例を言うと1月=初春、2月=仲春、3月=晩春です。 新暦に変わったのは明治5年12月2日の翌日です。翌日が明治6年1月1日です。 (現行暦と日本の旧暦は年初の時期が違いました。今の暦を採用していたヨーロッパではその年の旧暦12月3日が日本が採用した年では元日でした。) 下の参考は簡単な換算だけのように見えますが、信頼性が高いと評価されています。プログラムの根っ子に内田博士の日本暦日原典が入っています。 西行は2月16日に亡くなられていますが、亡くなった年の2月16日は現在の季節感で3月30日と比定されるようです。 旧暦と今の暦の日付のずれはだいたい20~50日ぐらいの間にあり、ズレが大きくなると閏月が入り、閏年は13ヶ月になるというような仕組みになっています。 参考3は青色の1190前半をクリックし、右隅あたりへポイントを持っていってクリック。拡大してください。 http://maechan.net/kanreki/ http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q136903903 http://www.saigyo.org/saigyo/html/nyujyaku.html 訂正:2行目「非です」→日です。

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まず、これは「句」ではなく、五・七・五・七・七で詠まれた「和歌(短歌)」です。 旧暦から新暦に切り替わったのは明治6年。 それまで月の満ち欠けを基本に考えられていた太陰暦から、西洋文明と歩調を合わすために、 太陽暦に切り替えられました。 詠われている「花」とはいうまでもなく「桜」のことで、 如月(2月)の望月(満月)の頃は、2007年で言うと4月の上旬、十五夜ならば4月2日です。 今でも暦の上では節分の翌日・立春を以って「春」といいますが、 旧暦の立春は今の正月に当たります。(太陰暦は毎年閏月を調整していたので、必ずしも一致しません) つまり昔は正月の頃に立春があり、睦月・如月・弥生が「春」に分類されていたのです。 余談ながら、西行の辞世の歌として有名ですが、実際は死の約十年前の「山家集」に収められています。 しかし、西行が没したのは73歳、建久元年(1190)二月十六日というのですから本当に歌の通りだったのです。 「辞世の歌」と言ってもおかしくないですね。

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西行の時世の句だったと思います 4月中旬ごろでいいのではないかと。 旧暦では立春から春になります。 新暦の2月4日ですね。 ちなみに旧暦の1月1は今年は2月18日になります。 お正月が立春よりも後に来るのはよく有るようです。 日本で新暦を使うようになったのは明治になってからでないですか? 詳しくはわかりませんが。