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「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」 という西行の句にある...

fun********さん

2007/2/1323:53:43

「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」 という西行の句にある望月の如月のころとは旧暦の2月15日ころということですが。。。

 今でいう4月初旬でしょうか?如月が入っていても春の句 ということですか?

 いつから新暦になったのですか?すみませんがどなたか教えてくださいな☆

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mak********さん

2007/2/1602:23:58

この和歌は、西行の家集である山家集の花の歌群に入っています。山家集は、1175年頃には成立していたらしいので50代前半までの作といわれております。
正確には
ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃
で、花、月と美しいものの象徴と覚りを得たお釈迦様の入滅した日のあこがれをあらわしたものとされております。
伊勢神宮内宮に文治3年(1187年)に千載集を編纂した藤原俊成が判定を行い、奉納した自家歌合(自分の今までに歌った中の優れたものを撰んで歌合形式にしたもの)の御裳裾河歌合(みもすそがわうたあわせ)にも掲載しております。

太陰太陽暦は、月の満ち欠けと太陽の位置から、立春(今年は2月4日)のあたりに正月をもってきますが、一月が29日か30日で、季節がずれてしまうため、何年かに1回閏(うるう)月をもうけて13ヶ月を1年として調整していました。
そのため、同じ旧暦の日でも約1ヶ月ちがうことがあります。しがたって旧2月15日は、新暦の3月から4月頃までとなります。ちなみに今年の旧暦の2月15日は4月2日です。
しかも桜が咲く時期となれば、西行が歌った年の2月15日は、3月下旬から4月上旬頃ということになるかもしれませんね。当時は高野山のあたりに居ましたのでもうすこし遅いかもしれません。

和歌や俳句は、旧暦を使うことが多く、春は立春から立夏(今年は5月6日)の前日までですので、如月は春です。

日本では、いままで使っていた太陰太陽暦(旧暦)を明治5年12月3日を明治6年1月1日としたそうです。
「こよみのページ」様の「暦と天文の雑学」の「旧暦に関するはなし」に詳細が書いてありますので、トップページを貼付します。
http://koyomi.vis.ne.jp/mainindex.htm

文治6年(1190年)2月16日(この日が満月らしい)に西行が大阪府の南河内町の弘川寺で亡くなり、歌のとおりだったので、それに当時の人々は驚き、俊成は
・・・かの上人、先年に桜の歌多くよみける中に、
願はくは・・・
かくよみたりしを、をかしく見給へしほどに、つひに如月十六日望月終り遂げけることは、いとあはれにありがたくおぼえて、物に書きつけ侍る
願ひ置きし花の下にて終りけり蓮の上もたがはざるらむ
と歌っております。

質問した人からのコメント

2007/2/20 20:32:57

降参 みなさん大変詳しく教えて下さりありがとうございます☆

一首の和歌の中に奥深い意味があり・・・古典はすばらしいですね。。

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ech********さん

2007/2/1403:04:01

おしゃかさま同様に大安にいたりたいとの気落ちの現れでしょうね。
同様に仏教にはお月様のまつわる(たとえる)逸話があることから
お釈迦様の時代も太陰暦だったのかもしれません。
西行さんが生きていた年も当然、旧暦だったのでしょう。
日本への導入切り替えは明治5年12月2日次の日は
明治6年1月1日(1873年)とウィキペディア事典では記載されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E...

kam********さん

編集あり2007/2/1401:18:33

如月は2月をさします。望月は仰るとおり15日付近です。
2月15日の意味はお釈迦様が涅槃(命日)に入られた日と伝えられている非です(実際は分かりません)。西行は仏籍に入っています。

1年をよっつに分けて、月では1~3月・季節では立春~立夏の前日を春とします。立春は昔の日付では元日あたりを中心として前後15日間ぐらいのどこかに来ます。
月の和名はたくさんありますが、1例を言うと1月=初春、2月=仲春、3月=晩春です。
新暦に変わったのは明治5年12月2日の翌日です。翌日が明治6年1月1日です。
(現行暦と日本の旧暦は年初の時期が違いました。今の暦を採用していたヨーロッパではその年の旧暦12月3日が日本が採用した年では元日でした。)

下の参考は簡単な換算だけのように見えますが、信頼性が高いと評価されています。プログラムの根っ子に内田博士の日本暦日原典が入っています。
西行は2月16日に亡くなられていますが、亡くなった年の2月16日は現在の季節感で3月30日と比定されるようです。
旧暦と今の暦の日付のずれはだいたい20~50日ぐらいの間にあり、ズレが大きくなると閏月が入り、閏年は13ヶ月になるというような仕組みになっています。

参考3は青色の1190前半をクリックし、右隅あたりへポイントを持っていってクリック。拡大してください。

http://maechan.net/kanreki/
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q136903903
http://www.saigyo.org/saigyo/html/nyujyaku.html

訂正:2行目「非です」→日です。

new********さん

編集あり2007/2/1400:54:30

まず、これは「句」ではなく、五・七・五・七・七で詠まれた「和歌(短歌)」です。

旧暦から新暦に切り替わったのは明治6年。
それまで月の満ち欠けを基本に考えられていた太陰暦から、西洋文明と歩調を合わすために、
太陽暦に切り替えられました。
詠われている「花」とはいうまでもなく「桜」のことで、
如月(2月)の望月(満月)の頃は、2007年で言うと4月の上旬、十五夜ならば4月2日です。
今でも暦の上では節分の翌日・立春を以って「春」といいますが、
旧暦の立春は今の正月に当たります。(太陰暦は毎年閏月を調整していたので、必ずしも一致しません)
つまり昔は正月の頃に立春があり、睦月・如月・弥生が「春」に分類されていたのです。

余談ながら、西行の辞世の歌として有名ですが、実際は死の約十年前の「山家集」に収められています。
しかし、西行が没したのは73歳、建久元年(1190)二月十六日というのですから本当に歌の通りだったのです。
「辞世の歌」と言ってもおかしくないですね。

goo********さん

2007/2/1400:36:26

西行の時世の句だったと思います

4月中旬ごろでいいのではないかと。
旧暦では立春から春になります。
新暦の2月4日ですね。
ちなみに旧暦の1月1は今年は2月18日になります。
お正月が立春よりも後に来るのはよく有るようです。

日本で新暦を使うようになったのは明治になってからでないですか?
詳しくはわかりませんが。

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