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mimi7angelsさんこんにちは^^ さて、前回↓ http://detail.chiebukuro.yahoo....

exc********さん

2013/5/2719:59:51

mimi7angelsさんこんにちは^^

さて、前回↓
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310757102...
の補足の続きなんですがその前に

>お釈迦様の法との関係での日蓮仏法のロジックエラー

↑そうなんだよね、私が指摘するロジックエラーとは一言で言えば、
『釈尊の仏法と日蓮仏法は、実はお互いが互いを否定し打ち消しあっている相容れないもの。
チェスの一手でいうダブルバインド、対消滅パラドックスの関係にある』
というもの。

日蓮の主張が真ならば、何故釈尊はその本尊を五百塵点劫以降、顕さなかった?
という矛盾が起こり、更に日蓮の本尊で成仏してもその後の生(来世、来来世~)ではあの本尊と共にある人生にはなり得ないという事実は、他ならぬ釈尊自身の歴史が否定してしまっている形になっている。

逆に翻って釈尊が真ならば、ここでもやはり五百塵点劫の昔に日蓮の本尊で成仏しておきながら、その後彼は日蓮の南無妙法蓮華経ではなく教相(教えの内容)の違う法、つまり蔵・通・別・円という教えを説いてる歴史的事実は、言外に、しかし雄弁に日蓮仏法を否定している形になっている。

つまり釈迦仏法と日蓮仏法は、実は並び立たないんだよ。

このエラーロジックは、より詳細に説明する事で反論不可能である事が立証されてしまうんだけど、今回のトークポイントはそこじゃないんで割愛しますね。

前回から少し時間が空いてしまったのが申し訳ないんだけど(笑)

前回のスレの補足への回答、一言で言えば『説明する必要はないかな』って思ってるのね。
詳細は回答に↓別IDで書いておきます^^

補足positive_and_negative_13579さん、
>問題発言ですね。笑

↑キャ―――――――wWw
見つかっちゃった(/▽\)♪

ジョークはさておき、Negaってもない飛び入りゲストです!

一応レス書いてみたんですが、なんか長くなっちゃいました(笑)

暇で暇で死にそうな時に、お茶と共に読んでみてくらはい。
3つになっちゃったm(__)m

面倒であればスルゥで。
一応、マヂメに書きますた。
こんなスタンスの信仰者もいるんだ程度に思ってくださいな^^

この質問は、mim********さんに回答をリクエストしました。

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ベストアンサーに選ばれた回答

mim********さん

リクエストマッチ

編集あり2013/5/2819:26:52

いつもいつもありがとうございます。
とても勉強になります。
またリクエストさせてください。
サーベルタイガー様はとても忙しそうなので本当は恐縮しているのです。
この間のbigwaveの話も聞かせてもらえなかったし...という所です。はい。

ppmikanqq様と今、宗教カテマスになったストライカー様、私も素晴らしい霊性を持っていると思ってました。
しかしモンキーさんなどに通じないのは魂の霊性の違いで次元が違えば無理なのです。
仏教以外でlonelyfreemanさんが結構気づいているかもしれません。この方の眼は鋭いですよ。
私はいつもこの方の質問が大好きなのです。
でも分からない人達は人間だから仕方がないと思います。そう思っています。
人間としてはカヘショップ111様は人間として筋を通す生き方の先輩だと思いました。
今日は難しい言葉はなかったみたいですね。@(・●・)@
コインも100枚、よかったのに...ありがとうございました。...と思ったら...
編→
良かったです。
素晴らしいお方positiveandnegative様がいらっしゃいました。
お世話になっております。先日はありがとうございました。
サーベルタイガー様、positiveandnegative様へBAとコインお願い致します。

質問した人からのコメント

2013/6/3 09:04:42

成功 mimi7angelsさん、positive_and_negative_13579さん有り難う御座いました^^

もう少し続けたいという気もあったんですが、取り敢えずここで一旦締めます。

Bigwaveの件、私のスキルでは日本の海で充分なり(笑)
それこそホトケ様になっちゃうだろww

お二方、有り難う御座いました
@(・●・)@

ベストアンサー以外の回答

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neg********さん

編集あり2013/6/210:44:51

postivenagative13579別IDです。こちらこそお付きあいさせて恐縮です。

灰身滅智では大乗にならないので、大乗特有の等覚位の菩薩形の仏の登場だと言うのは、私とサーベルタイガーさんの共通理解でいいと思うんですけれど、どうでしょうか?

本因妙の教主は本で本果妙の教主は迹とはそういう意味だと思います。

実際に凡夫の私には菩薩界もあまり良く観察できませんが、現実として心を観察して掴めるのは菩薩界止まりだと言う理由で唯識では九識を別には立てないのに、天台では九識を理の上では唯識の阿頼耶識の浄分と同じで実在ではないともいいながら名目上は別のように九識阿摩羅識を立てる。

菩薩界はまだ観察できても、仏界は凡夫には観察が難しいのは遺文にもあるとおりです。 信じて上行菩薩と異体同心して、菩薩界に入れてもらえ、菩薩界は仏界を知っているから、とそれだけですよね。 以信代慧と言う教えですね。 日本浄土教にも似たような考えがありますが。

私はそういう事を踏まえたうえでやはり九識は空であると思います。 存在しないのではないけれど、等覚の菩薩の胸中の覚りの中にだけあるのが仏界で、普段は等覚の菩薩を指して「仏」と呼んでいるという事ではないでしょうか。

宗祖遺文で気になるのは、「されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ」と言う日女御前御返事の本尊の相貌を書いた部分です。 仏と菩薩が「肩を並べ」です。 四菩薩ですら肩を並べられないのは題目が顕す自受用報身です。 でもこの題目は誰が唱えるかと言えば、上行菩薩(の再誕)です。 元品の無明だけを残した上行菩薩の胸中の覚りの中にしか、報身如来は存在しないとそういう事だと思うんです。


報身如来というのは菩薩が菩薩行を因として果を得たのが報身ですから、菩薩が常に理解して従う菩薩自身に具わる仏智だと思います。 他受用身と自受用身の違いは、菩薩と仏の因果に時間差があるかないかです。 菩薩が仏で菩薩の覚りが報身、その報身の智慧は法を良く知り合一している。 これで一身即三身の仏に論理上はなりますよね。因果が同時でないとこういう解釈は起きないですが、因果が倶時と言うのはそういう事だと思っています。

仏はどこまで言っても仏と菩薩の二者の縁起で1つの仏、それが人法一箇の仏だと言う事でもある。 これを宗祖は真言宗は理と智が別の曼荼羅(胎蔵曼荼羅・金剛界曼荼羅)だから、報身と法身の二仏が並座した、五字・七字の法・報の理と智の法華経が合体した曼荼羅の方が上だと教えています。

だから日蓮大聖人はいくら本地が本仏でもその本仏の垂迹身である上行菩薩の再誕である事をはずしてはいけないのだと思います。 ここを日蓮大聖人イコール本仏と結論に行く前に「上行の再誕」とワンクッション必要だと言うことだと言う意味で述べています。 そうでないと、生身の聖人=本仏と言うのがパラドックスになってしまいます。 本仏がいくら三身即一の仏でも、さらに本迹を分けるなら、本は法報が合一の(人法一箇の)仏身で、煩悩・業のある応身は迹になるはずです。

まとめると、

A 業が全くないのが仏なら、 業がある応身は菩薩です。

B 業があっても成仏すれば(真の仏弟子として仏界が活性化してる)仏なら、 業があっても菩薩は応身です。

ここがずっと問題になるわけですよね。 このAとBの両方がまた真であり偽であるのが、法華かなと言う気はしますが、それでは世間一般は納得しないでしょうね。

それにしても、何故、誰も鎌倉時代以前には本法を説かなかったのか? やはり宗祖が上行菩薩であると認める以外にないのか? そうなると私の結論としては、論理上成り立つのは、「最初から法華経は末法の為に説かれたのだと宗祖は信じていた」としか推測できず、これが自己中心的な考えでないと言う根拠は最後まで見つかりません。 確かに末法と言われた時代に入ってからは誰よりも宗祖が道理を追求して明らかにしているのは間違いないですが、末法が本当にある時点から先の時代の事なのか、それとも、久遠と同じで精神世界の事を末法と言っているのか?

(追記しています) 仏の智慧の光が照らしている法つまり法界の理とは何かと言えば、衆生(菩薩)自身に具わる五大の理そのものなので、人法一箇は崩れないなのではないかと思います。

全ての用語を洗いなおして考えないと、いつまでたっても、矛盾が解決しそうもないですが、この解らないことの正体が「元品の無明」かなと話を落ち着ける事しか私には出来ないです。

exc********さん

2013/6/200:00:39

サーベルタイガー別ID、続きです。

ここでポイントとなるのが、仏界という理(ことわり)にその精神性のリーチが届き『仏』となった者が、形を持って具現する事は理論上、可能か否かだと思います。

心の煩悩を断じ尽くしても、前世の煩悩業の結果である肉体を残していればこれは有余涅槃と定義され、更にこの状態で死ねば色心共に断つ事になり、再び三界六道に生を受ける事はないと説く。
いわゆる無余涅槃(灰身減智)と呼ばれるものですが、この仏身論は小乗教での二乗の証果とされていた筈です。
(有余・無余の定義は勝鬘宝窟巻下等で幾つかパターンはあり、またpositive氏が何を依経としているかという問題もありますが^^)

法華経に於ける仏身論のロジックでは、命にデフォルトで備わる生死の無限のサイクルがそのまま法身として仏教に於ける摂理、理(ことわり)となる筈で、その事実に至った精神性が報身、更にここを以て自受用身、つまり仏と定義している訳で、つまり前述の日光とスペクトラムで言えば、法華経に於ける仏の定義とは、その仏の心は日光と一致していなければならないと思うのです。
法(日光)と人(仏の心)のリンクですね。

飽くまで日光(法)をその心に宿す仏とは言え、現象世界に『その仏特有の形』として肉体を以て具現すれば、その仏特有の姿形、存在の部分をスペクトラムの1つとして他の九界と同じく並列して喩えられているのではないかと。
(その日光とスペクトラムの喩えが出典が何なのか気になる所ですが)

十二因縁からスピンナウトした『業感縁起』、
その発展型である大乗の唯識法相による『頼耶縁起』
また大乗起信論の『真如縁起』『如来蔵縁起』、
これらは何れも染浄の業をトリガーとして万物を形成しているという点で共通していますが、それら業の起爆点とも言うべき元品の無明はその構造上、理論的に言ってそもそも『断ずる』事自体、出来ないですよね。

つまり法華経に於いては、爾前で長い間語られてきた
『元品の無明を断じて初めて仏になる』
『肉体は「悪業」故の産物』
『仏=業を全て消してイニシャライズした存在』
という捉え方そのものが方便であり、先ず命のデフォルトとして生死の流転は法身として常住、その事実(摂理・ことわり)に至った者が仏というアプローチの方が自然だと思うんですよ。

つまり、仏となっても生死の流転は続行すると。

何故なら
『仏になる=再び肉体を持って出現する事はない』
『肉体という姿形を持っている=業ありきな故』
とするならば、悪業を引き起こした因を過去世、過去世と宇宙開闢レベルで無限に遡っていけば理論上、最初に業を引き起こした爆心地に至るわけですが、『それ以前』は初期化されている状態な筈で、いわゆる業が発生し得ない状態です。

何故なら業を引き起こす業がないからですね。

つまり、万物という相対差別がそもそも発生し得ない事になる。

元のクリアな状態=仏が、この理論だと煩悩がない故に業を引き起こしようにも出来ないからです。

しかも本来、無始である筈の命に『始点』が設けられる事にもなってしまう。

とするよりも、命は随縁真如として一見変わり続けている様でその実、それも含めて初めから、煩悩を含んだ状態で初めから完成形だとする方が理に敵い、その理(ことわり)を悟って仏。

欲望と願いも、そのメカニズムそのものは同じです。

『業を1つでも持てば、仏身は維持できない』
という発想がそもそも方便であり、仏教の最初期には徹底して悪業を避ける教えがありました。

対し大乗に至り、善悪の差別は分別作用に基づく以上、それ自体が迷いであり、空観の上から善悪の超越、無実体性が説かれましたよね。

つまり仏にも修悪(悪の行為)はないが、性悪(悪の性質)まで捨てた存在ではないと説いているんです。


ちょっとこの点が気になって書いてみました^^

余談ですが、ここまでお付き合いして頂いて本当に申し訳ないのですが、BAはミミさんに贈る事を御許しくださいm(__)m

決して氏名リクの相手だからという義理的なものでなく、私にとって有意義なディベートを頂いた、そのきっかけの役割を果たしてくれたのが今回彼女だったと思うのです。

私が彼女に氏名リクを出し、それをpositive氏が見つけて回答して頂いて、そこから対談が始まる。

これらは偶然ではなく、なるべくしてなった必然の因果だったと思います。

一応、一日二日、スレは空けておきます。
長文失礼しました。

exc********さん

2013/6/122:46:47

サーベルタイガー別IDです。
長々とお付き合いさせてすみませんm(__)m

2点程、宜しいでしょうか。

先ず、
> 真理の法があればの話しです~宗教を否定しても良心や事の善悪までは否定する人は少ないからです。

↑真理の法、即ち摂理は私もあると思います。ただ私が思うのは、『果たして大聖人が推奨するこの受持即観心という実践法は、摂理(仏教)なのか?』
という点です。仏教=摂理に対し我々がぶつける矛盾で破綻してしまうならばそれは仏教に非ず、しかしそもそも受持即観心が仏教でないならば、その限りではないという事を表現したつもりでした。

次に、
>良く南無妙法蓮華経を日光に譬えると十界はプリズムを通して屈折した七色のスペクトラムに譬えられるといいますが、この譬えでも九界だけでなく曼荼羅上の仏界(本果を表わすはず)までもがそのスペクトラムの1つであって本体の日光そのものではないと言うことになります。と言う事は、仏が観えるのは幻だという事になります。

>仏が垂迹するには煩悩・業が必要ですが、仏に煩悩が少しでもあったら菩薩に戻ってしまいます。

>菩薩界に出現するのでさえ、元品の無明が必要です。 六道に出てくるとなるとたくさん業が必要です。笑 だけど煩悩や業がある仏界は有り得ない。 そして元品の無明でさえないならば姿形は全くないはずです。 比喩としても金色でさえ表現できない

↑仰りたい事は解ります。
私もそこは以前、少し矛盾を感じた事があります

というのも、元品の無明さえ無くしたのが仏。
それに対し、我々がこうして姿形という生命『体』としての相対差別で自らを再現し、現象世界に現れるのは業のアーカイヴたる阿頼耶識の影響・反映であり、即ち業があるからで、ならば仏となったならばそもそも『形』を持って現れる事自体、理論上有り得ない。

しかしこの仏身論は灰身減智のそれではないでしょうか?

これだと、仏界という『法』はあるらしい、しかしそれを掴んだ『仏』という生命体(人)は、理論上、現象世界に於いて永久に現れない事になってしまう。

何しろ、仏という生命体から見る万物も『幻』と定義してしまうなら、仏は仏としてのそもそものアイデンティティを失い、『菩薩以上、仏未満の何か』になってしまわないでしょうか?

そして『仏という生命体』に証明し得ない以上、仏界という真理は永久に都市伝説的なものになってしまう。

この捉え方は人法勝劣のそれで、人法一箇の定義での仏身論ではないと思うのです。

一念三千は妙法蓮華経の別名にして所証の境とされ、それを俯瞰するに成功した者を自受用身という以上、法華経に於ける仏身論は、仏界という摂理・理(ことわり)と、生命体としての仏の心のスクリーンに映るものはリンクしていなければならない。一致していなければならない。
仏の見えるものが幻となると自受用智足り得なくなるのではないかと思うのです。

いざ『仏界』にリンクしたならば形而下の現象世界にはリバースされない、つまり煩悩を全てなくして仏界に至ると再び形を持って現れる事がない、そして更に歴史上に現れた仏達も生命体としての形を持つ以上、煩悩を断じ尽くしていない、万物を幻と見てしまう咎から逃れきれていない存在だとするならば、誰も仏界という理(ことわり)の正しさを証明できない、それ以前に仏界という摂理の存在の有無すら証明できない事になってしまう。

太田殿女房御返事に曰く
『灰身なれば即身にあらず減智なれば成仏の義なし』

pos********さん

編集あり2013/6/110:53:51

続きです。

ところで本題(いや、私との論議が本題ではないですね。横槍がここまで長くなってmimi7angels さんごめんなさい。BAはちゃんとmimiさんにしてあげてください。)の件ですが、

天台などの聖人は自行では南無妙法蓮華経の修行をしていて、人には広めなかったといいます。 確かに論理上にわかっていたように見えるのに、あえて上行菩薩の本門には手付かずです。 もっとも天台教学を理解した後に上行菩薩だと宣言するのは勇気が必要な行為ですが。 天台・妙楽の解釈でもあきらかに「古仏」であるわけですから。


しかし、天台のした題目の修行と言うのは、大聖人の図顕した曼荼羅本尊に日本語で題目を唱えたという意味ではなく、天台も同じ因果倶時の妙法を悟っていたと言いたかったのでしょうから、そうなると必ずしも経文上を含む過去の聖人たちも、本因修行をしなかったとは言えないのかも知れません。

流石に、以下の文を天台が妙法曼荼羅を拝んでいたと解釈するのはきついと思います。

三大秘法稟承事には「題目とは二意有り。所謂正像と末法となり。正法には天親菩薩・竜樹菩薩、題目を唱へ させ給ひしかども、自行計りにして唱へてさて止みぬ。像法には南岳・天台等は南無 妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。」とあります。

題目とは自受用報身如来の事と考えればいいと思いますが、これが本因の行になるのでしょう。 それでもまだ、天台などは迹仏のまた垂迹扱いになるわけですから、私たちの疑問が解けたわけではないです。

(補足) 文上では初住で本因な上に、化他がないから、ちっとも解決にならないのは当たり前ですね。

pos********さん

編集あり2013/5/3017:06:14

サーベルタイガーさん、お世話になっています。

>>仏教が私たちの思いつく質問に答えられなかったら破綻してしまいますよね。

>↑これも前提として、
>『それが真に仏教であるならば』
>となりますよね。

その通りですね。 真理の法があればの話しです。 ただ物理学の発展を考えると、良心なんて必要なさそうだし、私たちは何をしても報いを受けることはなさそうだけれど、実際には良心の呵責で苦しむ姿を人間界中で見ます。 私はこれは何か仏性か何かを想定しないと良心と言うのを科学的に証明できないと思います。 宗教を否定しても良心や事の善悪までは否定する人は少ないからです。

>富士門流は釈尊と大聖人、両者の命は中道第一義諦という意味での『同一の命』とは捉えていない。
ここでの釈尊と大聖人と言うのは「文上本果の釈尊」と「久遠元初の釈尊(日蓮大聖人)」と言う意味ですか?

それなら、文上本果の釈尊は久遠元初の釈尊(自受用身・日蓮大聖人)の垂迹ですよね。 そして生身の大聖人は、久遠元初の上行菩薩の後身であって、まさにその上行の本地を考えた時に久遠元初の応身仏でもある。 だから違う存在と言えば違う存在ですよね。 而二不二は単純に不二ではないですからね。 私とあなたも理論上は本仏の垂迹かも知れないけれど、個体としては別ですしね。

要するに、一見わかりにくいのは、曼荼羅上の南無妙法蓮華経の顕す仏界と、十界の一部の釈迦・多宝の二仏が顕す仏界との関係だと思います。 題目も「教主釈尊」と呼ばれているけれど、こちらはあきらかに「自受用報身如来」。 でも、十界に勧請された「釈尊」の場合は、本果であり、南無妙法蓮華経 から 九界を抜いた部分の事になります。 この二者を一致派などでは同体としています。 確かに仏界であるなら同体な気もしますが、下にも述べたように富士門流ではこの二仏の顕す仏界は本尊ではない。 九界即仏界・仏界即九界の因果倶時の妙法になってはじめて、本尊となるわけです。

>↑謂わんとしている事は分かります。
>例え仏となっても、現象世界に顕現すればその活動、振る舞いそのものは菩薩までしか有り得ない。
>現実の振る舞いに仏と菩薩で実は違いがない。

良いたい事が解ってもらえて良かったです。 金色で三十二相を備えた上行菩薩と、菩薩界に現われた他受用身と何が違うのかと言えば、仏の称号は一人だけと言う以外に考え付かないです。 他受用身(報身)の実報土は菩薩界そのものです。仏が垂迹するには煩悩・業が必要ですが、仏に煩悩が少しでもあったら菩薩に戻ってしまいます。 「仏も又因位に居 して菩薩界に摂せられ妙覚ながら等覚なり」 一代聖教大意 の文のままです。 菩薩界に出現するのでさえ、元品の無明が必要です。 六道に出てくるとなるとたくさん業が必要です。笑 だけど煩悩や業がある仏界は有り得ない。 そして元品の無明でさえないならば姿形は全くないはずです。 比喩としても金色でさえ表現できない。

だから妙覚のままの姿で描かれる釈尊は方便だと思います。 無始の仏界は方便ではないのだけれど、仏界だけ取り出して考える場合、つまり文上の本果は方便であると言う事ですね。

>要は変化相と、その観測者の二元論。
>従って極端な話、『十界』という法数、『三千』という法数に拘らなくとも九界と仏は成立する。
>仏法の概念は生き残る事になります。

おっしゃる通り、九界とまとめて呼んだ場合、菩薩界に要約されるでしょう。 そして仏と九界の二元。 十界が対等に存在するから十と数えているわけではないです。 十が桁あがりした一であると言うのがポイントでしょう。 九界と仏界を足すとまた一つの世界であると言う意味も含んでいるはずです。 三千も「何もかも」と捉えた方が簡単そうです。 もちろん一つ一つ開いて考える場合には、十界の個々の世界も、三千の1つ1つも教理を意味しているでしょう。

しかし、菩薩が陰なら仏は陽でしょうから、このままだとただの善悪二元論になりますが、「善と悪とは無始 よりの左右の法なり権教並びに諸宗の心は善悪は等覚に限る若し爾ば等覚までは互に失有るべし、法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり」治病大小権実違目 とあるとおりです。 陰と陽が交わった大極図みたいなイメージですね。 二元論になってしまいそうな二者を第三者の角度で統合してある。 空仮中と同じですね。 無か有かではなく、空無も仮有も同じ中を別の角度で見た言い方ですね。 同じように仏と菩薩も法を別の角度で見た言い方とすればいいのだと思います。

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