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昔、東海道53次がありましたが、いきなり、品川宿に泊まるような旅人も多かったの...

nat********さん

2013/6/1223:36:10

昔、東海道53次がありましたが、いきなり、品川宿に泊まるような旅人も多かったのでしょうか?

人によっては53泊もしていたのでしょうか?

普通の人だと、いくつ飛ばしくらいのペースで旅していたのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

mug********さん

2013/6/1300:08:58

江戸京都間は495km、53宿の区間の平均は9kmほどになります。全部泊まっていたら日数もお金も掛かって大変なことになります。
普通の男性の脚で日に10里(約40km)歩いたと言われています。ですから京都までは12泊くらいが普通です。江戸を立つ人は七つ立ち(午前4時頃)して最初の泊まりは川崎、神奈川を通過して保土ヶ谷あたりです(急ぎの旅は次の戸塚まで)女性は神奈川泊まりが多かったようです。最初の品川宿に泊まる人は別の目的のある人です、つまり品川の遊廓です。

ということで人によって、まだ陽があるからもうひとつ先の宿場まで歩こうとか、無理だからここで泊まろうとか、その場その場で決めていたのです(旅籠は予約しているわけではないので)。

質問した人からのコメント

2013/6/19 15:30:21

降参 詳細な解説をいただき、納得がいきました。
BA一人になってごめんなさい。。
ありがとうございました。

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jas********さん

2013/6/1300:41:43

品川宿は吉原より安価な妓楼が多くある歓楽街、また江戸から最も近い行楽地(御殿山と海晏寺)でもあったため、東海道の旅をここからスタートさせる旅人も多くいたといいます。

江戸から東海道を京へ向かう多くの旅人が最初に泊る宿場は戸塚宿が多かったといいます。ただ手前の保土ヶ谷宿の旅籠の留め女(客引きの女)たちは、ここで一泊するよう熱心に客を引き止ていました。

日本橋から保土ヶ谷宿まで約33㎞、最初の一泊地である戸塚宿まで約42㎞ですので、江戸時代の旅人は一日約40㎞は歩いたことになります。

二日目は戸塚宿から小田原宿までの約40㎞、三日目は小田原宿から箱根までの約30㎞歩いたといいます。当時は夜明け前に宿を出て、日没前に次の宿に到着するようにしていました。少しでも旅費を浮かすために出来るだけ早く宿を出発して先に進もうとしていましたので、各宿場で泊まりながら旅する者はいないと思いますが。

poi********さん

2013/6/1300:19:28

53泊もする人はいませんよ。
江戸=京間は普通は14・5泊。ゆっくりで22・3泊といったところです。
一日の行程で一つか二つの宿場をスルーしていたわけです。
都合や体調をみて柔軟に調整可能な配置がしてあり、無理なく旅が出来る体制が完成していたのです。
以前はここらに泊まったから今度は一つずらして見聞する旅程を組もう、なんて事も可能でした。

品川は特別ですね。東海道で江戸を出る旅は日本橋の七つ立ちで始まりますが、見送りの親戚や近所の人が付いてきたので品川宿で一泊し、ここで別れの宴会をしました。
甲州街道の新宿、中仙道の板橋、奥州街道の千住 皆同じです。あまりに近いのですがこれら第一の宿場での一泊は先の理由で必要としたケースとして多かったのです。

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