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南京事件はやっぱりなかったのでは?

asd********さん

2013/7/2223:00:21

南京事件はやっぱりなかったのでは?

日本共産党に強制収容所著者 安東 幹 発行所 日新報道

日本共産党が共産党系の病院である代々木病院の精神科を強制収容所として使っていたという事実が記された本なのですが、
その動機についての考察ですが、
100ページ6行目より引用
3番目の説は、共産党は本当に彼らのことを精神病だと信じているのだという説である。
自分たちと考えの違う者は精神病者にしてしまう、まさに狂気である。

いやあ、本当に共産主義者ってこわいんですねぇー。

えー、解答リクエストした方の事ではないのですが、
繰り返しますが、解答リクエストした方の事ではないのですが、

南京事件について質問をすると、
必ずといっていいほど、ストーカーのように追い回し、
私の頭がおかしい、と、書き込みをするおかしな方がいます。
いやはや、狂気に取り憑かれているのでしょうか、怖いですねぇ。


さて、本題に、南京事件がなかったというのは、南京事件は無罪だ、という主張であり、
y1892a氏も幕府山事件はなかった、と、言っているのではなく、無罪だった、と、言っているのであり、
実際に山田支隊長の無罪は確定している訳ですよね?

山田支隊山砲兵第19連隊第3大隊黒須忠信上等兵の陣中日記

これは、モロに幕府山事件の事でしょ?無罪は確定しているのでは?


歩兵第66連隊第一大隊戦闘詳報
これ、雨花台事件と呼ばれていまして、
資料検証の結果、
本当はこうだった南京事件129ページ2行目
自分の連隊の武勇伝を創作して書き込んだものとしか思えない。

第十軍国崎支隊歩兵第十四連隊の宮下光盛一等兵の従軍日記(杭州湾上陸時。
これ、南京事件とは関係なく、上海戦の記録では?

中島今朝吾第十六師団長の日記
本当はこうだった南京事件387ページ18行目
約半数が昭和12年末頃上海に送られたものと見られ、
残りがおう兆銘の南京政府軍に編入された事実はよく知られている。

捕虜が生きていた事は証明されているんですが?

全部既に論破されている話しばかりではないですか?
南京事件の話しでは、イロハのイなんですけど?

ようするに、
ないんでしょう。南京事件が有罪であるという根拠は?

中島師団長の処理というのは、殺すつもりだったのかもしれない、
しかし、現実に殺さずに生きているんだから、
無罪なのでは?

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kou********さん

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2013/7/2504:10:26

常識で考えましょう。当時の大日本帝国陸軍の将軍といえば大変な権威を持っていました。大抵の事は天皇の軍隊がそんな事をするわけがないと突っぱね、政府や民間は引き下がった。その将軍たちが恥を忍んで認めているのです。平和ボケで軍事知識のない人にはその重みが理解出来ない。陸軍少佐だった三笠宮(昭和天皇の弟)ですらバカでウソつきにしてしまう困った人たちです。

南京大虐殺事件の中心人物だった中島中将は、日本軍の蛮行を非難する松井総司令官に「殺人や強姦なんか当たり前ですよ」とあざ笑ったり、大虐殺をやって何が悪い、と開き直っている。一旦釈放された中国兵たちが別の部隊に殺されてしまった例もある。もちろん否定派は釈放された部分だけを書きます。

大本営陸軍部幕僚長・閑院宮大将(陸軍参謀総長)
南京攻略軍総司令官の松井石根大将に「軍紀風紀において忌まわしき事態の発生近時ようやく繁を見、これを信ぜざらんと欲するもなお疑わざるべからざるものあり」という異例の戒告書を発行。それを読んだ松井大将は「まことに済まぬ」と泣いたそうです。

南京攻略軍総司令官松井石根大将の従軍日誌:昭和13年2月6日
「シナ人民の我が軍に対する恐怖心去らず」、、、南京戦の一月以上あとでまだこれですよ。

松井石根大将、、、東京裁判で死刑の前に日本人教戒師に対するコメント
「南京事件はお恥ずかしい限りです。私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。せっかく皇威を輝かしたのに兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまった。ところが、このあとで皆が笑った。ある師団長の如きは『当たり前ですよ』とさえ言った」

畑俊六大将(陸軍大臣、のち元帥)の日記
「支那派遣軍も作戦一段落と共に軍紀風紀ようやく頽廃、掠奪、強姦類のまことに忌まわしき行為も少なからざる、、、」

陸軍省人事局長・阿南少将(のち大将、陸軍大臣)南京視察メモ
「軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪たえず」「「婦人方面(注:強姦の事)、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり」

皇道派の巨頭・真崎甚三郎大将の日記
「十一時江藤君来訪、北支及上海方面の視察談を聞く、主なる責任者の談を交へて研究せり。従って同君の意見は相当に権威あるものと言わざるべからず。之によれば一言にして言わば軍紀・風紀頽廃し、強盗、強姦、掠奪、聞くに忍びざるものありたり」

外務省東亜局長・石射猪太郎の日記:昭和13年1月6日
「南京における我が軍の暴状を詳報し来たる、略奪、強姦、目も当てられぬ惨状とある。ああ、これが皇軍か」

駐中国特命全権大使・重光葵(のち外務大臣)の南京着任時の手記:
「赴任して南京事件の実相を知るに及び、我が軍隊の素質、日本民族の堕落に憤りを発せざるをえなかった」

法制学者・滝川政治郎(東京裁判で嶋田海軍大臣の弁護人を務めた)
「南京市民の日本人に対する恐怖の念は半年を経た当時においてもなお冷めず、婦女子にやさしく話しかけても返事もせずに逃げかくれした。私を乗せて走る洋車夫によると、南京の姑娘で日本兵の暴行を受けなかった者はいない、と。」

昭和天皇の侍従・徳川義寛のコメント
「南京大虐殺があったとか無かったとか論争があるそうですが、当時の関係者の多くは知っていたんです。陛下が知っておられたかどうかは分かりませんが、折に触れて「日露戦争の時の軍とは違う」とおっしゃっておられました」

駐日アメリカ大使ジョセフ・グルーの日記:昭和13年2月10日
「南京に侵入した日本軍の言語に絶した残忍」「中国人は大体無差別に殺され、多数の婦人が陵辱された」「大量死刑や殺人は婦人陵辱我行われた」

南京安全区国際委員長ジョン・ラーべ(ナチ党員)
ヒトラーあてに報告書を提出。しかしドイツと同盟を結びたがっていた日本陸軍の残虐行為を書いたとしてゲシュタポ(秘密警察)に逮捕された。

第十六師団 歩兵第30旅団長・佐々木到一少将の日記
「俘虜続々投降し来たり数千に達す。激昂せる兵は上官の制止を聞かばこそ、片はしより殺戮する」

第十軍国崎支隊歩兵第十四連隊の宮下光盛一等兵の従軍日記:(杭州湾上陸時。その後南京へ)
「我が柳川兵団は①民家を発見したら全部焼却する事。②老若男女を問わずシナ人を見たら殺せ、という命令を受けた」

山田支隊山砲兵第19連隊第3大隊黒須忠信上等兵の陣中日記
「二、三日前捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出して機関銃をもって射殺す。その後銃剣にて思う存分突き刺す。ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りも子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた」

旧陸軍将校の親睦団体である偕行社
機関誌で南京事件を事実と認め中国市民に謝罪。武士らしい立派な態度です。

(中国兵捕虜を虐殺する日本兵。この様な事は無数にあった。日本側の撮影。陸軍省報道検閲係の規制で日本では「不許可」)

常識で考えましょう。当時の大日本帝国陸軍の将軍といえば大変な権威を持っていました。大抵の事は天皇の軍隊がそんな事を...

質問した人からのコメント

2013/7/29 11:12:30

ループですね。(^o^)
引き続き質問に答えていただきたいので、ベストアンサーにしました。

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nip********さん

2013/7/2615:50:01

常識で考えましょう。
毎度毎度、出してくる写真は恥ずかしいくらい嘘ですね。
100言えば嘘も本当になるということは半島文化としてお持ち帰りください。

写真3の銃剣がワキにある写真は『「一億人の昭和史」(2)二・二六事件と日中戦争』毎日新聞社の中に掲載されている不許可写真の一枚で「胡山付近」、昭和13年5月10日と受領印があり、便衣兵(ゲリラ)の処刑撮影した写真であると想像できます。
南京事件とよばれるひとつ(昭和12年12月)とは全くもって関係ない。

南京大虐殺の話が初めて出てくるのは東京裁判のときです

アメリカが原子爆弾を落としたため、それ以上の被害があったことにしないといけない時代でした。

東京裁判は、裁く法も、法を知るもの、裁く権利のあるものが一切ない裁判と言われた史上最も不公平で結果が先に在りきの裁判と言われています。

南京大虐殺については、朝日や毎日の歪曲報道が甚だ酷い状況にあります。

朝日の記者が色々と書き立て、将校たちの証言を歪曲して報道しました。(しかし、この記者らはあとで実は何も見てないと証言しています。最低です)

しかし、朝日は責任者が実際に南京で大虐殺を見たことがあるものがいるのかという問いに「誰一人として見ていない」と言ってます。

将校たちの発言をどのように歪曲したのか一例をあげると

日本軍は何万という中国人捕虜を抱えることをよしとせず、捕虜に食料を持たせて故郷に帰還するように命令しています。

実際に多くの中国人捕虜が南京攻略時に釈放されています。

その命令が「捕虜を取るべからず」です

さて、この命令を朝日はどのようにして流したのでしょうか。

「捕虜をすべて虐殺しろという命令」と流したのです。

実際に日本が行った行為と全く真逆のことを流しました。

非常に「歴史のつまみ食い」によって歪曲甚だしい状況にあります。

他にも、すでに証明されていることですが、中国軍が無線で流した、日本軍への中傷誹謗を聞いた松井司令官が、遺憾である!と言った内容までを報道し、そのあと、中国軍の策略であったことがわかったことを報道していません。
○○で日本軍が暴れているという無線連絡があるたびに警備していた日本兵はそこに向かいましたが、無人である、なにも起こっていなかったという証言がいくつもあります。
この後半部分の真実を隠せば、そりゃ、残虐行為があったと報道を見た人は思うでしょう。
その後これらの将校たちも、中国軍による策謀と知って、それからはこのようなことは言ってません。

南京48人の証言を読んでください。
実際に南京攻略に関わった人たちが詳細に語っています。

日本人捕虜は共産主義に傾倒し、同じ日本人兵を殺して、帰国した人たちがいます。
彼らはほとんどが下士官で、数百人います。
それらが、中国から依頼を受けて、南京大虐殺で女性を強姦し殺したと証言していますが、よ~く考えてください。
指さし裁判とまで呼ばれ(適当にこの人ですと指を刺され、死刑になるというむちゃくちゃな裁判)あれほど多くの無実の日本兵が戦犯で、弁護士も通訳も付けてもらえず、処刑されたのです。

拷問により無実であったのにもかかわらず嘘の自白をさせられ処刑された人も多くいます。

3人に1人は確実に無罪だったと今では言われていますが、自分で殺人をしたり、強姦をしたという人間が無事に帰国できると思いますか?
私は思いません。
彼らは共産党教育を行ったかの有名な収容所帰りです。

ベトナムの方で行われた虐殺や強姦は、被害者がはっきりしています。

中国人によって行われた虐殺の通州事件なども被害者リストがあります。南京もせめて、被害者リストぐらい出すべきじゃないですか?すぐに嘘だとばれると思いますが・・・。
出てくるのは捏造写真と抗日映画のワンシーンばかりです。

また、ベトナムでは韓国軍による強姦で多くのハーフが生まれています。これも証拠の一つです。

日本が引き上げをするときに最も強姦をしたのがソ連兵ではなく朝鮮人であったことからも、朝鮮人は強姦をするのが好きだと言っても過言ではないと思います。(現在でもレイプ国家です)

朝鮮人らの強姦による被害者の日本人の女性の堕胎数は一つの医療機関で4500胎を超えました・・。

日本軍によるハーフはいませんよね・・・・。日本軍は中国兵を埋葬しながら進撃していきます。

このような軍隊は世界では日本だけではなかったでしょうか。

国際法を遵守し、アジア解放の使命を背負って白人社会と戦った姿はアジアでは称賛されています。(日本と中国、韓国を除いてね)

軍規律が世界でもNO1だった日本軍では「女子供をいじめる」というのはご法度だったと元兵士が言っています。

しかし、韓国では弱きものは守るべきものではなく弱い方が悪いという考えです。

朝鮮半島の歴史は従属だけの歴史だったので、強者側の洗脳を受けているのかもしれませんね・・。

これは私も韓国人の友人らが数人いますので、納得いきます。

この考え方が悪いかどうかなど、わかりません。

朝鮮では盗人より盗まれる方が悪いのだという考えがあります。

私が韓国人に金を盗まれたときに他の韓国人の友人らに言われたのもこの言葉でした。

100回の嘘も100回つけば本当になるとかもよく言いますよね。

韓国は戦後すぐに朝鮮戦争を始め、同胞を100万人以上殺しています。

凄まじい赤狩りを行っていました。これは記録映像がありますので探してください。(射殺するまでの映像など色々ありますが、かなり酷いです)


松井大将のお話を書かれてますが、これには前後があります。
実際に現場にいた人たちの証言です。
中国軍は無線などを使って、日本軍を誹謗・中傷し、嘘を流していました。
中国でのその情報を手に入れた通信社が次々にそれらを電報します。
全く裏付けの取れていない情報を流すのをやめるように元日本兵は注意したが彼らはやめようとせず、松井大将はそれが
嘘であるということを知らずに、そのように言ったのです。
日本軍は民間人への暴力などは禁じていましたので、そのような情報が入るたびに現場へ急行し、日本兵の暴力を防ごうとしましたが、現場にいってみると、誰もおらず、もちろん、何も起こっていませんでした。
この現場担当の方の証言も残っています。

k~の下記の方は在日の方ですね。在日と韓国人のことを書くと大変怒られます(笑)
日本嫌いなのは十分に伝わってきますが、どうか中立的な視点で観れるように、なってくださいね。

y18********さん

編集あり2013/7/2312:27:50

常識で考えましょう。
たったの3.8㎢しかない安全地帯に二十万人も避難して、南京陥落後に日本側に抗議があったのは、殺人50人程度でした。そんな人口過密地帯で虐殺があったというのなら、目撃者が沢山いた筈ですが、当時の南京にいた数十人の第三国人(ドイツ人やアメリカ人)も全く不法殺害を目撃しておらず、東京裁判での証言者は当初たったの一人でした。その数ヶ月後、なんとか証言者を増やしても、弁護側からの尋問すら許されない怪しい証言者だけでした。
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/note/n151348

「南京事件」と言うからには、被害者名、犯行時間と場所、凶器、殺害の動機などはもちろん、加害者も特定されなければいけないのですが、何一つ特定されていません。
全く定義が定まらないのに、南京事件はあった、と言える人は頭がおかしいとしか言いようがありません。


南京大虐殺とか南京事件とか、嘘です。中国共産党が人民の批判の矛先をかわすために利用しているだけです。

南京陥落時の日本側への抗議文書は「南京安全地帯の記録」にまとめられています。それによると殺人は50人程度の小規模なもので、しかもそのほとんどは被害者も加害者も特定されていないという杜撰な記録です。
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Using-Primary-Sources.pdf

何千何万の規模になったのは、日本が敗戦した時の悪名高い東京裁判からです。

原爆投下を正当化するために連合国側は南京大虐殺が必要になったのです。

連合国側の中国国民党とシナ大陸の覇権を争った現在のシナの支配者、中国共産党はどういう見解だったのでしょうか?

中国共産党の父、毛沢東は南京陥落の半年後の1938年5月、延安の抗日戦争研究会で「持久戦について」という有名な講演をしたが、南京の虐殺に触れるどころか「包囲は多いが殲滅は少ない」として日本軍の甘さを指摘している。 その一方、「マオ」(ユン・チアン&ジョン・ハリディ著)には、「毛沢東が長い人生で一度も言わなかったことがある、南京大虐殺だ」との記述がある。


今の中国共産党と比較すると立場が正反対ですね。なぜこんなにも変わってしまったんでしょうか?
答えはこちらにあります。↓

『南京大虐殺(南京事件)』論争の経緯~すべては「宣伝文書」からはじまった
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-855.html

***

虐殺否定派の論客リスト~四万人以上説は中国共産党シンパだらけ
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-853.html

ただ一人の上限四万人論者の秦郁彦
「あらためて四万の概数は最高限であること、実数はそれをかなり下回るであろう」
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-249.html
秦は「おそらくアトローシティに関する一般理論の構築は無理で、外的な要因だけで無く、兵士たちの集団心理を組み合わせて内在的に追従しないと結論は出ないだろうと思うが、この点で参考になるのは、曽根一夫氏の近著と早尾軍医の報告書であろう」
と述べ、曽根の著作を「類書に無い特色を持つ」と高く評価していた。そして、
「筆者としては、スマイス調査(修正)による一般人の死者2.3万、捕らわれてから殺害された兵士3.0万を基数としたい。しかし不法殺害としての割引は、一般人に対してのみ適用(2分の1か3分の1)すべきだと考える。つまり3.0万+1.2万(8千)=3.8~4.2万という数字なら、中国側も理解するのでは無いか、と思うのである。」
として、中国側に政治的配慮をしつつ曽根の著作に依拠しながら4万人説を導き出した。
その後、曽根の「手記」そのものがまったくの創作であることが判明し、さらに北村稔の調査でスマイス調査の隠された実態が明らかになるなど、従来の自身の説の根拠が大きく揺らいできたなかで、2007年、自身の著書の増補版にて
「なお旧版では特記しなかったが、この計数は新資料の出現などを予期し、余裕を持たせたいわば最高限の数字であった。この20年、事情変更をもたらすような新資料は出現せず、今後もなさそうだと見極めがついたので、あらためて四万の概数は最高限であること、実数はそれをかなり下回るであろうことを付言しておきたい」
と、それまでの自説から下方修正した。

つまり、まともな学者・研究者なら、上限二万説か否定説です。

上限二万人説の二万人は、そのほとんどが中国兵(敗残兵)を銃殺したものです。
これらを「裁判をせずに銃殺したから不法殺害つまり虐殺だ」というのが上限二万人説なのですが、

便衣兵の「処刑」に裁判は必要だったのか
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Law_01.html

幕府山事件と「審問なき処罰の禁止」について~戦時国際法上合法説
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-871.html

このとおり、実は合法でした。

【結論】
「南京事件」は「南京安全地帯の記録」を超えるような事件ではなかった
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Using-Primary-Sources.pdf
『この『南京安全地帯の記録』という文書は当時のいわば公式記録であり、そこに記載された日本軍兵士の悪行とされるものは、之が全てといってよく、当時の南京城内の状況から見て安全地帯国際委員会に報告されない之以外の事件はないものと思われる.しかもこの記録の内容を分析すれば、これらすべてを、日本軍兵士の所行とされる根拠はなく、むしろ日本軍兵士の所行とされるべきものは、少ないというのが、我々の結論である。しかもこの文書の事件の伝えるところをそのまま認容しても、それは決して後年の大虐殺説の伝えるごとき非難は間違っていることを証明するのである。』

kim********さん

編集あり2013/7/2300:43:32

南京事件は、日中戦争(支那事変)初期の1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際(南京攻略戦)、約6週間から2ヶ月にわたって中国軍の便衣兵、敗残兵、捕虜、一般市民などを殺したとされる事件です。

一般市民の死亡は事実の様ですが、虐殺ではないと思います。

日本のあるマスコミ(新聞社)が、記事のタイトルをただの攻略戦でなく「南京大虐殺事件」としたところに問題があるようです。
日本の新聞記事を逆手にとった、中華民国が日本軍は南京市民を皆殺しにしたと報じました。
この皆殺しの人数ですが、中華民国が30万人とも40万人と拡大表示しました。

私が不思議に思いますのが、当時の南京の人口が20万人くらいです、それを30~40万人殺すんですから日本軍は器用なものです。
何事も大げさに表現するのが中華民国です、しかしこの嘘の火種は日本のマスコミです。
日本が大虐殺事件の云っているので、中華民国の作り話でないと言い張っています。

このマスコミは現存します、私は大嫌いですが社名は伏せます。
事件は事実ですが、その規模は捏造か上塗りです、この上塗りが史実化し恐ろしいことです。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm

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