全ての言葉は感じ取るもの?・・・・ 以前にも同じ内容について違った表現で再三に渡って 尋ねたことがあったように思いますが、閲覧者も変わって

全ての言葉は感じ取るもの?・・・・ 以前にも同じ内容について違った表現で再三に渡って 尋ねたことがあったように思いますが、閲覧者も変わって いることだろうし、再度問うてみることにします。 (レベル=次元という言葉に抵抗感を持たれる人はジャン ルと表現してもよいと思います) すべての言葉はどのような意識のレベル(次元)から 発したものかが重要なのであって、それは感じ取るも のだという意見に対して、あなたは何と言いますか?

補足

sabakutaniizumiさん そうです。私も「馬鹿だな」という言葉について考えていました。 ところで文字に書くにしても「馬鹿」「莫迦」「ばか」「バカ」と みなニュアンスが違います。 「ありがとう」にしても細かくわければ百種類くらいのバリエー ションがあるかもしれませんね。 所詮は人の言葉やその心というのは「察する」ものだと思うが、 そういうことがなかなか理解されない。残念です。

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ベストアンサー

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例えば、「おやすみなさい」というあいさつの言葉ですが、これを聞いて日本人なら、自分に対して休めと言ってるのだなどと思う人はいませんが、(暗黙のうちには、貴方様もお休みになっては如何でしょうかと言う、深い思いがあるでしょうが、一義的には、単なる寝る前の挨拶です。)もし日本語を勉強している外人なら、(挨拶であることを知らなければ)誰かが、他人に対して休みなさいと言っている(命令している)のだと思うかも知れません。いずれにせよ、あいさつとしては、どう考えても文法的には変だと思うでしょう。このように、言葉には、内包した情報がありますから、外に表出された意味だけでは、理解できない事が色々あります。 「馬鹿だねー。」とはよく言いますね。しかしこれにはいろんな意味がありますよ。シチュエーションと表現次第(表情や、言い方など)で、意味はすっかり変わります。 ①余りのアホさにあいた口がふさがらない。(バカな事や人を前にして、驚きや怒りなどの感情を表現した場合。) ②対象が失敗などをした時に、ふと「可哀そうに」と思いながら、あーあ、バカだねーと言う時。 ③家族など親しいものに、何か冗談などを言われた時に、「何言ってんの、バカだねー」と笑って答える時。 ④男女の会話で、男が、女に、ちょっと焼きもちなどを焼いて見せた時に、「そんなはずないでしょう、バカだねー」と言うとき。 まだまだ、いくらでも意味は微妙に違ってくる場合があります。これは、聞き手が、普通は、相手の心を察して、聞き分けるものです。ですから、感じ取るものだという貴方の言われる通りだと思います。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

あなたがなさったように詳しく解説しても分からない 人には分からない。ましてや私のような言い方だと 分からなくて当然ということもある。 個人的には「察し方」というものをもうちょっと磨きたい。 ありがとうございました!

お礼日時:2013/8/5 21:23

その他の回答(4件)

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一旦、表出された言葉というのは、それ以上でもそれ以下でもないのでしょう。言葉の本質というものは、その表意者そのものであり、その意味では、沈黙すらも、充分言葉の本質に違いないのでしょう。

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紙や画面に書かれた文章と、 実際に会って話した言葉の意味がまったく同じなら それは感じ取れるものではなく、受け取るための言葉。 話し方によっていろんな意味を持つ言葉なら、 それは感じ取るための言葉。 発するほうは言葉の中に意味をこめて 聞く方が理解できるように努め、 聴く側は、話す方が何を発しているのかを 感じ取るように努めるもの。

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人は物質であって、肉体に生じる精神も物的な実在物と 考える者です、それを現象と呼んで抽象界に置くことが 常識ですが、それで唯識や唯物に心を分裂させています 発声に意味があって、言葉になる為には個体の行動を決め 選択する意識が必要であり、それは刺激に対する反応です 個体間での発信と受信による反応を、相互に蓄積し合って 脳の経験の累積で反応し、言葉が意味を持ち始めることで 互いが共振する理解を共有します、意味を持たない発声は 肉体の振動で生じる音ですから、自己の経験に照合させて 意識で反応させ得る場合は、肉体で聞いているのでしょう 行動(発信への反応)を起こすのは、意識レベルですからね 犬でも猫でも、飼い主は鳴き声に反応することが出来ます 聞く側の反応能力で、無視し・聞き・興奮し・行動したりなど 様々な状態が生じており、聞くことも全身でするので個性 に応じます、端的にその次元を断定するのは困難でしょう <補足> 言葉は命の完遂の手段の一種であり、発信と受信によって 個体間の共振を担っており、発信側・受信側のそれぞれが 共振と言う現象で共有するが、個々の目的に応じた限定で 刺激である表象は多様な語彙となり、その他の命の発信が あらゆる芸術による表現になるようなもので、この命の振動 こそが根源であって言葉は個体に応じるので多様なのです 当然、言葉の発信では完全な伝搬は不可能であり、相互に 察し合うこと(大いなる誤解の共有。)で、会話をしています