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インパール作戦を指揮した牟田口廉也については悪評が多く、戦後も自己弁護を続け...

luck19710731さん

2007/3/2217:20:01

インパール作戦を指揮した牟田口廉也については悪評が多く、戦後も自己弁護を続けたと聞きますが、その遺族は現在どうしているのでしょうか?これだけ酷評を受けていることに対して今も弁護を続けているのでしょうか?

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編集あり2007/3/2307:51:55

もちろん、軍人恩給を本人が生きている間は満額受け取り、死んでからは、遺族年金をたんまりと受け取っていた。

讀賣新聞社刊「検証 戦争責任」

「最終戦争論」の石原莞爾は戦後、憲法9条を盾に、戦争せずに世界が一つになるべきである、ということを主張した。

死傷者72500人を出したインパール作戦の責任者、牟田口廉也は戦後、中華レストラン「ジンギスカンハウス」社長として経営者となった。

ガダルカナル島作戦を巡って殴り合いまで行った佐藤賢了は、ベトナム戦争反対運動に参画した。

特攻作戦の生みの親、大西滝治郎は、終戦直後、自刃。自分の汚名は100年の後も残る、自分は長く苦しんで死ぬべきだとして介錯を断り、切腹後10時間以上ももがき苦しんだ後、息を引き取った。遺書には特攻隊員に深く詫びる言葉が書かれていた。

敗戦直前まで徹底抗戦を主張した阿南惟幾は「一死をもって大罪を謝し奉る」との遺書を残し、8月15日自刃絶命。これにより、陸軍のクーデターを防ぎ、国内の混迷を最小限に抑える効果をもたらしたという(Wikipediaより)。彼の六男は、2002年に中国・瀋陽市内の日本総領事館に「脱北者」一家が駆け込もうとして中国の武装警察に取り押さえられ、その対応が問題となった阿南惟茂・中国大使である。

d.hatena.ne.jp/yumyum2/20061010


日本が降伏し、太平洋戦争は終結。今村均は戦争指導者として軍法会議にかけられる。第8方面軍司令官の責任を問われたオーストラリア軍による裁判では、一度は死刑にされかけたが、現地住民などの証言などもあり禁固10年で判決が確定した。その後の第16軍司令官時代の責任を問うためのオランダ軍による裁判では、無罪とされた。

その後今村はオーストラリア軍の禁固10年の判決により、1949年に巣鴨拘置所に送られた。だが今村はいまだに環境の悪い南方で服役をしている元部下たちのことを考えると、自分だけ東京にいることはできない、として1950年には自ら多数の日本軍将兵が劣悪の環境の中で収容されているマヌス島刑務所への入所を希望した。

その態度にGHQ司令官のマッカーサーは、「私は今村将軍が旧部下戦犯と共に服役する為、マヌス島行きを希望していると聞き、日本に来て以来初めて真の武士道に触れた思いだった。私はすぐに許可するよう命じた。」と言ったという。

その後刑期満了で日本に帰国してからは、東京の自宅の一隅に建てた小屋(謹慎室)に自らを幽閉し、戦争の責任を反省し、軍人恩給だけの質素な生活を続ける傍ら、回想録を出版し、その印税はすべて戦死者や戦犯刑死者の遺族の為に使ったという。

また援助を求めてきた元部下に対して今村は出来る限りの援助をしたという。それは戦時中、死地に赴かせる命令を部下に発せざるを得なかったことに対する贖罪の意識からの行動であったといわれる。その行動につけこんで元部下を騙って無心をする人間もいたが、それに対しても今村は騙されているとわかっていても拒否はしなかったという

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kotori672007さん

2007/3/2217:37:32

 何に書いてあったか、忘れてしまいましたけど(「歴史読本 太平洋戦争特集号」だったかな?)ある作家がバーで牟田口の悪口を話し合っていたら、見知らぬ男性が
「私は牟田口廉也の息子です。でも、父はそれを認めようとしません。そんな男を父親と思う気はありません」といって、去っていったそうです。

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