ここから本文です

聖書(旧約聖書)のエデンの園の話で 知恵の木の実?を食べたらアダムとイヴは自...

toh********さん

2013/10/2615:37:13

聖書(旧約聖書)のエデンの園の話で
知恵の木の実?を食べたらアダムとイヴは自分達が裸でいる
と知ってイチジクの葉?で局部を隠した!らしいのですが

ソレはエデンの園にはアダムとイヴ以外の人間が既に居た?
という事でしょうか?2人だけならば、他は動物達だけならば
裸の姿が当たり前ですし、動物達が着る物を身に着けていた
なんて説明では不可思議ですしどうなんでしょ?
アダムとイヴの2人だけならば別に裸のままでもイイんだし

どんな解釈が成り立つんでしょ?
一応真面目な質問ですのでヨロシク。

補足素早い回答に感謝!
「羞恥」と「欲情」とは同じなのかな?若干違うような気もするのですが
あるいは「局部を隠した」とは「命令に背いて食べた事を隠した」との意味も?
なかなか難しいんですね、服を着て裸を隠すのが「当たり前」の私たちには
簡単には理解出来ないんでしょうかね?

閲覧数:
344
回答数:
5
お礼:
25枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

ris********さん

編集あり2013/10/2618:40:07

ユダヤ教でも色々な解釈がありますが、とりあえずキリスト教の解釈で。

イエス・キリストは「情欲の目で女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯している」と言いました。情欲の心は罪から生じるものです。でも、そんなこと言われても仕方ないですよね。だから「全ての人には罪がある」わけです。

同じように、男と女は善悪の知識の実を食べたことにより、「お互いに情欲の目で見る・見られる」の関係になりました。つまり、男と女の関係の中に罪が入り込んだわけです。だから、互いに情欲を抑えるよう腰を覆うようになったと。

そういうわけで、「全ての人には罪がある」のは何故か?……そもそもの最初の人(男と女)からしてそうだったのだ、という罪の由来潭、ということになっています。


【追記】一応、ユダヤ教の解釈も書いておきます。神がこの世界を作ったとき「全ては善かった」とあります(創世記 1:31)。この「善かった」というのは、善悪の知識の実の「善」と同じ単語ですね。

神と天使は、善と悪を知っています(創世記 3:22)。でも、神はこの世界を善として作り、悪については善悪の知識の木に封じ込めました。だから「この木から食べてはならない」と人に命じたわけです。

しかし、人が実を食べてしまったことにより、全てが善だった世界に悪が入り込みました。さらに、実を体内に入れた人は、善だけでなく悪に片寄るようにもなってしまったのです。神の命令に背き、悪の入り込んだ姿を見られたくないという「人の中で善と悪の葛藤が生じた」ことが、腰を覆って神の声から隠れるという言動になったと。

いずれにせよ、神はエデンの園から人を追放するとき、皮製の衣服を与えています。どこから持ってきた毛皮かは不明ですが、このことは楽園にさえ「生きるための死」が入り込んだことを暗示しています。

質問した人からのコメント

2013/10/26 19:22:35

驚く 補足まで読んで回答頂き感謝
宗教とは別に聖書を読み始めました
意外と奥が深く、部分的に読むだけではダメですね
疑問ばかりで色々と質問をしていきますので皆さんヨロシク

このQ&Aで解決しましたか?質問する

閉じる

ベストアンサー以外の回答

1〜4件/4件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

got********さん

2013/10/2618:48:53

アダムとイヴの話は人類が、本能的に生きるか

智慧と自由をもって主体的に生きるかの

選択をした、比喩物語です。

tiq********さん

2013/10/2618:43:54

繁殖行動に羞恥心は(知識も)必要ありませんよ。
犬や猫を(ネズミでもゴキブリでも)
見れば分かる通りです。

j4m********さん

2013/10/2616:08:25

二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、
二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
(創世記 3:7)

答えは「互いに対して」です。
それまでは裸でいても犬猫のように
「恥ずかしい」と言う感情すらなかった。
その後神の足音を聞き、
「恐ろしく」なり(創世記 3:10)
隠れる。つまりその木の実を食べるまでは
はっきり言うと「恥知らず」で「怖いもの知らず」だった。

少し前はありましたよね、
日本にもそんな風潮。

シゼンタイがいいとか
恐れるべきは、キョウフそれ自体だとか。

まあ本当を言えば
エバが実を食べて「ワキマエタ段階で」
伴侶としてその実を相方に食べさせるのは
「適切な行動ではない」と「正しい判断」を
してくれればよかったのですが。

大した「助ける者」(創世記 2:18)です。

wat********さん

2013/10/2616:01:22

裸でいることが恥ずかしいという感情の芽生えを思わせるこの物語は

アダムとイブが子供をもうける状態になったことを象徴しています。

創世記2:24−25
それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる