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太平天国の乱は何故異常に死者が多い(2000万人とも?)戦乱だったんでしょう...

jaz********さん

2013/11/800:53:35

太平天国の乱は何故異常に死者が多い(2000万人とも?)戦乱だったんでしょうか?

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ナイト67さん

2013/11/810:33:35

14年近く続いた大宗教叛乱である太平天国の乱での死者は推定で2000万とも5000万とも言われていますね。
当時の清の人口は4億人とされますので、最大で1/8の国民が死んだ可能性があるわけですが、これほどの死者を出した要因をいくつか考えてみました。

・清朝の腐敗による民衆叛乱でもあった事
女真族という異民族国家である清朝は腐敗を起こし内政・外交問題などで民衆の支持を失っていました。
飢饉や治安悪化により生活の安定を脅かされた民衆の多くは新たな政体を求めて、太平天国の乱に参加しています。
当初は軍紀が厳正でありそれなりの軍組織も持ってはいたのですが、参加した大部分が訓練された兵士ではなく民衆であった為に劣勢となったときには多数の死者が出たことが予想されます。

・宗教叛乱であった事
拝上帝会というキリスト教系の信仰を基にした叛乱であった為にこの乱は宗教戦争という面も持っていますが、こうした宗教による戦いは、降伏や和議などの折衷案が出来ません。
この辺りは宗教の恐ろしさだと思うのですが、信仰心・宗教的情熱によって起こされた戦争は、十字軍の戦いや日本の一向宗や島原の乱などでもそうだったように相手を滅ぼすか自らが滅ぼされるかという時点まで終わらないわけです。
まして、清からしたら歴然たる叛乱であったわけですからどちらも相手を殲滅するまで戦うという意識があった為に激烈化し膨大な死者が出たのではないでしょうか?

・内部抗争と乱に参加していない民衆との戦い
太平天国は度々、内訌を起こしていますが、これによる死者も多かったと思います。
整備されていない新興組織にはありがちだと思いますが、主導権争いが起きており、こうした内部の敵との戦いは本来の敵に対してより過激になる事が多いと思います。
また太平天国軍は清軍のみではなく他の民衆叛乱軍とも戦っていたとされます。
治安の悪化から各地に自警組織のようなものは多くあったとされますし、外来で新しい宗教に反発を覚える人も必ずいたと思います。
この戦いでの死者数自体は少数だったと思いますが、対する清軍からしてみれば「武装した民衆」は「叛乱軍」と認識し攻撃を加えていたのではないでしょうか?
また、故意に無関係の住民を殺して、討伐数を増やして恩賞を貰うという事などは腐敗した政府軍にはよく見られる事です。
こうした死者数もカウントされた為に、不正確且つ大量になってしまったという事が考えられると思います。

・流民や飢餓の為の死者も含まれている事
上記したように、基本として民衆が多く参加した叛乱だったわけですから、農工業の生産力は大幅に下がったはずです。
特に食糧生産は乱の勃発前でも低水準だったのですから、乱が終わった直後は更に下がった事も確実です。
こうした飢餓などによる死者もこの乱の死者として数えられている可能性があります。
また流民なども多く出たでしょうから、彼らの生死も不明として死者数に加えられた事もあるかもしれません。
倍近い死者数の開きにはこうした事情も含まれるはずですし、戸籍通りに定住していない人の数から推しての死者数だと思いますのでこの数字自体にも疑問はあると思います。

大体、このような要因で多数の死者が出たのではないかと思います。
中国史では、こうした戦乱や飢餓によって驚くほど大量の死者が出る事が度々あります。
前漢末、後漢末、明末などは人口が激減したとされますし、文革や大躍進政策の失敗でも1000万単位の人が死んでいるなど、中国の歴史では珍しくない事という面もあるようですね。

質問した人からのコメント

2013/11/11 18:02:45

成功 皆様、有難う御座いました!

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2013/11/810:13:30

太平天国の乱の死者数は、間接的な影響も全部込みでの推計です。
だから説によって2000万~5000万と数字に開きがあり過ぎるわけです。

清・太平天国の乱側の直接戦闘員だけなら両軍合わせても1000万人には足りませんし、最も凄惨な戦いとなった最後の天京(南京の太平天国側の呼称)攻防戦でも非戦闘員合わせて20万人程度の虐殺です。

戸籍からの人口推計では、太平天国の乱勃発前は4億3964万で人口のピークを迎えます。(1852年 乱勃発2年後)
そして1870年(乱終了の6年後)に最低の3億5773万と激減しています。
これを見れば8000万人も人口が激減していますが、さすがに直接戦闘でここまで減ったとは考えにくいでしょう。(乱が終了しても減り続けているので)

考えられるのは乱の影響による生産力の低下=飢えなどもあるでしょうし、太平天国の乱は内乱なので乱に参加した人間はそのまま戸籍から抜け落ちます。
つまり清政府が把握不可能となった人口も相当数あったのではないかと思われます。
清側が有利になってきた末期には太平天国側も逃亡者が相次ぎましたので、逃亡者はそのまま人口統計からは消えるでしょう。

戦闘による直接の死亡者、乱の影響による間接的な死亡者、行政府の混乱によって把握不可能になった人口など、もろもろ合わせて2000万~5000万といったところではないでしょうか。(乱終了時点では概ね5000万人の人口減少)

ina********さん

2013/11/803:17:35

1億以上だったという説もあるそうです。
でも中国で大量に死者が出る内乱は全然珍しくありません。
中国人の戦争観は全てを破壊することであり、ヨーロッパのように相手が降伏すれば終わりではありませんし、日本のように将を倒せば終わりでもありません。
歴史が示すように、中国は他国と対立すれば相手国が消滅するまで争いを続け、国内に為政者と異なる考えを持つものがいれば徹底的に弾圧してきました。
逆に反乱側も国が亡びるまで徹底的に破壊を尽くしていたのが中国の歴史ですから、為政者は反乱者を容赦なく殺してしまうんです。
太平天国の乱もこれ以上殺す相手がいないところまで殺し尽くしてようやく乱が収まったんです。

太平天国の乱以後も辛亥革命、軍閥抗争、国共内戦、文革などで大勢の人が殺されていて、これらと比べると対外戦争で死んだ中国人の数が霞んできます。

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