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お下品な質問で申し訳ありません。諸葛恪に「馬糞を食え」と冗談を言った呉の太子...

明智紫苑さん

2013/12/920:00:59

お下品な質問で申し訳ありません。諸葛恪に「馬糞を食え」と冗談を言った呉の太子は孫登・孫和のどちらでしょうか?

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tak********さん

編集あり2013/12/1103:49:20

「孫登」で間違いないであろうとは思います。『三國志』巻64・諸葛恪伝の裴松之の注に引く『(諸葛)恪別伝』に、
「太子嘗嘲恪、「諸葛元遜可食馬矢。」恪曰、「願太子食鶏卵。」権曰、「人令卿食馬矢。卿使人食鶏卵、何也。」恪曰、「所出同耳。」権大笑。」
とあります。裴松之は、この注釈を諸葛恪の丹陽太守就任(234年)の本文の記事の前に置いていますので、単に「太子」としか書いていませんが、当時の太子・孫登と判断できます。
裴松之の注の置き所が適切でなければ、孫和の可能性もあります。しかし、「馬矢」=馬糞(「矢」は「屎」(シ)に通じる)という言葉を投げ掛けるか否か。孫和にとって諸葛恪は兄・孫登の学友であり、また自身の妃・張氏の舅(おじ)に当たります。冗談でも父・孫権の前で「馬矢」と言うか否か。
諸葛恪は孫権が重篤の際、孫亮の太子大傅に就任してますが、やはり孫和の場合と同じく可能性は限りなく低いでしょう。
ところで、「馬矢」の由来は『左伝』の文公18年にある記事だと思います。魯の文公の跡目争いで、叔仲恵伯が殺害され、その死体を「馬矢」の中に埋められた、という話です。恵伯は偽りの書で宮殿に呼ばれますが、危険を警告する家臣の言葉に「君命であれば死ぬのも可なり。」と云いました。この古典を念頭にした「馬矢」であれば、孫登or孫和の場合で意味合いが異なります。
孫登であれば、軽い気持ちで、最後に「馬矢」に埋もれた恵伯の様に馬糞を食らえ=少しは忠誠を見せろ、という意味かもしれず。
孫和であれば、孫和と孫覇の争いの中で、諸葛恪に対して忠誠を暗に迫る意味かもしれず。

質問した人からのコメント

2013/12/14 18:02:35

降参 お二方、ご回答ありがとうございました。この問題発言はさすがは孫権の息子ですね(笑)。

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

ナイト67さん

2013/12/1018:26:09

これは諸葛恪が側近として仕えていた「孫登」が言った言葉とされますね。
「孫登曾罵諸葛恪,“諸葛元遜吃馬糞”,諸葛恪回擊道,“太子殿下吃雞蛋」と諸葛恪の伝にあるようです。
これは、孫登が諸葛恪に「馬糞でも食べていろ」といったところ、諸葛恪は「では太子(孫登)さまは鶏卵をお食べなさい」と言ったという意味です。
臨席していた孫権が理由を尋ねると「どちらも出所は同じですので。」と恪が答えたので大いに笑ったという話です。

私が知らないだけかもしれませんが、何で孫登はこんな事を言ったのでしょうね?
こうした冗談を言い合うほど仲が良かったという逸話なのかもしれませんが、前後に何の脈絡も伏線も無いので唐突な感じは否めません(笑)

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