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韓国人は、なぜ世界中で尊敬されるのでしょうか? 韓国人は、特にアジアではモ...

goodarasiyamaさん

2014/1/1721:39:25

韓国人は、なぜ世界中で尊敬されるのでしょうか?

韓国人は、特にアジアではモテモテです。
やはり儒教の国は、しっかりした文化に根差した社会秩序が
あるのでしょうか?

どのようにすれば韓国のように思いやりのある

人間になれるのでしょうか?

補足中央日報は、サムスンが所持しているの新聞社です。

もっとも北に近いマスゴミは朝鮮日報です
その他の大手二紙も北よりです(●^o^●)

ちなみに
ライブドアも資本が韓国人だという事をお忘れなく

もちろん日本の築地にある最大手チョウニチしんぶんも
反日新聞の代表です。

この質問は、男性に回答をリクエストしました。

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ベストアンサーに選ばれた回答

odjfgu469521さん

2014/1/2000:12:18

日本が朝鮮にした恐ろしいこと


・36年の日本帝国主義支配のせいで
・朝鮮半島の人口が2倍に増えて
・24歳だった平均寿命が30年以上伸ばされて
・人口の30%を占めていた奴隷が開放されて
・幼児売春や幼児虐待が禁止されて
・家父長制が制限されて
・家畜扱いだった朝鮮女性に名前が付けらるようになって
・度量衡が統一されて
・忘れられていたハングル文字が整備され、標準朝鮮語が定められ
・朝鮮語教育のための教科書、教材が大量に作成され、持ち込まれて
・5200校以上の小学校が作られて
・師範学校や高等学校が合わせて1000校以上作られて
・239万人が就学して、識字率が4%から61%に上がって
・大学が作られて、病院が作られて
・カルト呪術医療が禁止されて
・上下水道が整備されて
・泥水すすって下水垂れ流しの生活ができなくなって
・日本人はずっと徴兵されていて戦場で大量に死んだのに
・朝鮮人は終戦間近の1年しか徴兵されず、内地の勤労動員だけで済まされていて
・志願兵の朝鮮人が戦死したら、日本人と同じく英霊として祀られてしまって
・100㎞だった鉄道が6000㎞も敷かれて
・どこでも港が造られて、どこまでも電気が引かれて
・会社が作られるようになって、物々交換から貨幣経済に転換して
・2階建て以上の家屋が造られるようになって
・入浴するよう指導され
・禿山に6億本もの樹木が植林され、ため池が作られて
・今あるため池の半分も日本製で
・道路や川や橋が整備されて
・耕作地を2倍にされて
・近代的な農業を教えられたせいで、1反当りの収穫量が3倍になってしまって
・風習とは言え、乳を出したりして生活するのがとても恥ずかしくなって
・気が付いたらいつの間にか近代国家になっていた。

質問した人からのコメント

2014/1/22 21:42:43

成功 どれも素晴らしい回答ありがとうございました。
代表としてこちらにBAとします
また機会がありましたらよろしくお願いします。(●^o^●)

ベストアンサー以外の回答

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2014/1/2210:43:31

朝鮮人を信じた伊藤への銃弾 1月22日
2014.1.22 03:16[産経抄]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140122/plc14012203160002-n1....

明治39年、農政学者の新渡戸稲造が韓国に伊藤博文を訪ねたことがある。伊藤は日本が保護国とした韓国の政務をみる統監の地位にあった。新渡戸は伊藤に、日本から韓国への移民促進を訴えにきたのだが、伊藤は「我輩は反対しておる」だった。

▼「しかし朝鮮人だけでこの国を開くことができましょうか」と反論する新渡戸にこう答えた。「君朝鮮人はえらいよ…この民族にしてこれしきの国を自ら経営出来ない理由はない」。伊藤によれば、韓国の現状は人民が悪いのじゃなく、政治が悪いからである。

▼瀧井一博氏の『伊藤博文』が紹介するエピソードである。だから伊藤が初代韓国統監を引き受けたのは、韓国の政治改革を推進し、韓国人の潜在的自治能力を開発するためだった。文官である自らが統監となることで、日本軍による介入を抑える狙いもあったという。

▼最終的には「日本の安全保障のため」という小村寿太郎外相らに押し切られるが、日本への併合にも終始慎重だった。満州(中国東北部)への日本の進出にも反対で、俗な言葉では「ハト派」の長老だった。韓国や中国(清)にとって良き理解者と言ってよかった。

▼その伊藤が統監辞任後の明治42年、満州のハルビンで韓国人の安重根により暗殺された。当然日本の世論は激高する。閣議決定済みだったとはいえ、併合に拍車がかかったことは言うまでもない。伊藤が避けようとしていた「武断統治」を招くことにもなった。

▼そんなテロリストの記念館がハルビンに建設された。中韓反日連合の象徴のつもりらしいが、これこそ歴史を直視できない愚挙である。もっとも韓国併合を「悪」一点張りで描き、伊藤をその首謀者のようにしてきた日本の自虐史観の罪も大きい。

2014/1/2210:00:00

「竹島は日本領」江戸時代に定着 複数の学者、地図に記載 「日本海」表記も
2014.1.22 07:29[領土・領有権]
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140122/trd14012207330000-n1.htm

「華夷一覧図」の日本部分。隠岐諸島の上方に「松シマ」「竹シマ」と記された竹島と鬱陵島が日本領として赤く塗られている(島根県提供)
http://sankei.jp.msn.com/life/photos/140122/trd14012207330000-p1.ht...

江戸時代後期に作製された複数の地理学者らによる地図5点に、いずれも竹島が日本領として記載されていることが21日、島根県の竹島問題研究会の調査で分かった。政府は、竹島が記された初期の日本地図「改正日本輿地路程(よちろてい)全図」(1779年初版、長久保赤水作製)などをもとに「遅くとも17世紀半ばには竹島の領有権を確立した」と主張しているが、長久保以外の学者も竹島を日本領としていたことが裏付けられ、当時から認識が広まっていたといえそうだ。

研究会が、全国の図書館や博物館で確認したのは、寛政2(1790)年作製の「蝦夷風俗人情之沙汰付図(えぞふうぞくにんじょうのさたふず)全図」と「蝦夷草紙(えぞそうし)全図」(2点の内容は同じ)、寛政8(1796)年の「寛政亜細亜(かんせいあじあ)地図」と「日本並北方図(にほんならびほっぽうず)」(同)、文化3(1806)年の「華夷一覧図(かいいちらんず)」の5点。

研究会によると、「蝦夷」2点は幕府の蝦夷地調査隊に参加した探検家、最上徳内(もがみとくない)(1754~1836年)が作製し、現在の竹島と鬱陵島を日本領として茶色に彩色。「沙汰付図」には紀州徳川家の文庫「南葵(なんき)文庫」の蔵書印があり、地図を入手したことが分かるという。

「寛政」と「日本並」は地理学者、本多利明(としあきら)(1744~1821年)によるサハリンや朝鮮半島などの東アジア地図で、竹島を「松島」、鬱陵島を「竹島」と記し日本領としている。

地理学者の山村才助(1770~1807年)の「華夷」はアジアや欧州が描かれ、竹島を「松シマ」、鬱陵島を「竹シマ」と示し日本領として赤く彩色。同時代の地図には珍しい「日本海」の表記も。

研究会は「当時の著名な地理学者らの地図で共通して竹島を日本領としており、幕府や主要な藩、知識人に認識が広まっていたことが分かる」としている。

twit2012さん

2014/1/2107:04:10


自慢、と悪口は同じ?

同じ、他人を自分より低い位置におこうとする

いたずらがおきる

2014/1/2000:08:02

「朝鮮半島匕首論」を御存知だろうか。百済の白村江の敗戦で唐の侵攻に怯えた古代、2度にわたる蒙古襲来に見舞われた中世、日清日露の宿命的な戦争を戦った近代、北朝鮮の暴発を恐れる現代と、古来より朝鮮半島は地政学的に日本の弱点だった。

開国前後の日本には、欧米列強が日本植民地化の意図を持って押し寄せてきた。当時、有色人種の完全な主権国家は日本、トルコ、タイ、エチオピアの4カ国だけであり、世界は軍事力や経済力で他国や異文化をねじ伏せ、植民地化する事が当たり前の帝国主義の時代であった。

260年の鎖国から半ば無理矢理開国させられた日本が行く道は、白人の植民地となるか、有色人種初の帝国主義国家に生まれ変わるかのどちらかの道しかなく、日本が選択したのは後者であった。

欧米列強に付け入る隙を与えなかった短期間の素早い維新で誕生した明治政府は、「富国強兵策」を展開し、「封建的農業国家」を一気に「帝国主義的近代工業国家」に改造したのである。不平等ながら欧米列強と開国条約を締結し、国際法的整備を終えた日本が直面したのが「朝鮮半島匕首論」であった。

極東から遠い欧米列強よりも、朝鮮半島に地続きで日本の隣国である支那かロシアが朝鮮半島を征服すれば、日本の安全保障が危うくなるが、朝鮮半島の主人公たる朝鮮の実情は支那の属国であり、朝鮮半島の安定を託す相手ではなかった。江戸の鎖国時代でも支那と朝鮮は交易を通じて様子が分かっていたが、新しい帝国であったロシアの強引な拡張主義は、江戸時代を通じて日本の恐怖の的であった。

その象徴的な事件は1861年(文久元年)の「ロシア軍艦対馬占領事件」である。不凍港を求めて南下したロシアが対馬をロシア領土にしようとした日本侵略であった。半年に亘る日本の抗議は聞き入れられず、最後はイギリス艦隊が圧力を掛けて排除した。

「力こそ正義」である事を思い知った日本は、以後、自らの安全保障のために、宿命的な日清日露戦争に向かってひた走ることになる。

wbfbn24294さん

2014/1/2000:06:10

日本が朝鮮を保護国(日露戦争に勝った1905年第2次日韓協約により、統監府が設置され、韓国は日本の保護国となった)とする以前、大韓帝国時代に日本は朝鮮に膨大な投資を行い、鉄道を建設している。1900年(明治33年)、京仁線(ソウルー仁川間)の建設を皮切りに、1905年(明治38年)1月に京釜線(ソウルー釜山間)450㎞を開通させた。

さらに1906年(明治39年)4月、京義線(ソウルー新義州間)490㎞が開通し釜山から新義州まで南北縦断する鉄道幹線が完成した。この間の日本の投資額は合計6638万円にのぼり、当時の1円を現在の10万円とすれば、6兆6000億円の日本の税金が注ぎ込まれることになる。

韓国は「日本が大陸侵略の手段として勝手に鉄道を作った」と非難するが、利用客の大半は朝鮮人であり、それまで往復5~6日かかったソウルー仁川間が2~3時間に短縮され、ソウルから釜山や新義州まで徒歩で片道1カ月以上かかった道程を、座席に座ったまま、わずか数日で往復できるようになった朝鮮側の利益は莫大であった。鉄道インフラの整備により、朝鮮半島内での人・モノ・金の移動が飛躍的に発達したことで、朝鮮近代化の基礎が出来上がったと言える。1905年の大韓帝国の税収総額が784万円であり、大韓帝国自身ではこのようなインフラ投資は出来るはずはなかった。

日韓併合(1910年)後も朝鮮総督府は継続的に鉄道建設に力を入れた。
それも「大陸進出」とは関係のない地方ローカル線の建設に力を入れており、日韓併合後の鉄道関係投資額は合計2億5700万円に上り、現在の価値で言うなら、少なくとも10兆円以上の日本人の税金が使われたのである。

鉄道関係投資額は、日韓併合前の6兆円以上と日韓併合後の10兆円以上の合計で16兆円以上となる。

もし、それでも「日本が自己の利益追求のために勝手に作った」と言うのであれば、終戦後日本から独立した時点で全ての鉄道を破壊すべきであった。それを行わなかった韓国の主張を我々は受け入れることはできない。今後ともそのような恥ずかしい主張をするつもりならば、先ず、日韓併合時代の遺産を韓国自らの手で破壊してから主張すべきであろう。

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