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豊臣政権や徳川政権で上杉氏なら越後→会津、毛利氏なら安芸→周防・長門(長州)徳...

jaz********さん

2014/2/1609:57:30

豊臣政権や徳川政権で上杉氏なら越後→会津、毛利氏なら安芸→周防・長門(長州)徳川氏は三河・遠江→関八州など戦国時代からの根拠地と言える国から転封されるのは何故ですか?

また、島津氏がこの両政権で転封されずずっと薩摩・大隅を根拠地に出来たのは何故でしょうか?

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don********さん

2014/2/1610:15:06

踏み絵ですね。
基本的に大名は地元勢力の代表者と言う事があります。
そこから離れると言う事は地元の支持のない他国での統治となり、そこで反乱になるケースもすくなくありません。
新たな領地で反乱に苦しめば、内政にエネルギーを使い、勢力を拡大しにくくなります。
秀吉に、徳川家康が関東に、織田信雄を家康の元領地に移封を命じられましたが、
家康は従い、断った信雄は改易されます。

踏み絵ですね。
基本的に大名は地元勢力の代表者と言う事があります。...

質問した人からのコメント

2014/2/20 11:38:55

成功 皆様有難う御座いました!

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kdk********さん

2014/2/1618:00:25

豊臣政権は、大名の領地替えを行うことで権威と権力を誇示して大名たちをひれ伏せさせています。徳川幕府でも基本的に同じです。
ただ、個別の移封を見ると、「栄転」と「左遷」があります。
上杉を越後から会津に移封したのは、栄転です。会津は、東北と関東、具体的には伊達と徳川を牽制するための重要拠点で、秀吉は信頼できる大名を常に配置していました。
徳川の関東移封は、完全に左遷です。名目上は石高は増えますが、縁もゆかりもない土地に移すことで多くの負担を強いることになります。特に古くから続く大名家にとって、先祖伝来の「一所懸命の地」が召し上げられることは、精神的にかなりのダメージです。
島津の場合は、すでに日本の最南端の僻地であったということがあると思います。もし島津が謀反を起こしても、大阪、京や江戸まではかなり距離があるので、余裕を持って対処できます。九州には、細川家黒田など、島津とは縁もゆかりもない有力大名が配置されていることもあります。

nis********さん

2014/2/1611:08:56

東国では北条が滅亡して巨大な空白地帯ができましたし、東北諸将を服属させて名実ともに豊臣家の天下統一が成立したので、多少無理な命令でもごり押しできるようになりました。
なので秀吉は東国の勢力図を大きく塗り替える再編に取り掛かる事ができたのです。
一方、西国では長曽我部や毛利や島津などは滅亡ではなく降服ですし、その頃はまだ豊臣の政権も磐石ではなかったので、あまり大胆な勢力再編は行えませんでした。
その後に関ヶ原の戦いが起こり、その結果として長曽我部は滅亡、毛利は減封されましたが、島津はあまり厳しい仕置きはされませんでした。
これはその頃にはまだ豊臣家が残っていて徳川政権がそれほど磐石ではなかったからと、薩摩があまりにも端っこすぎたからです。

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