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京都の人が“先の戦争”というとき、応仁の乱を指すというのは本当ですか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さまご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/8/4 17:56

その他の回答(3件)

本当です。 応仁の乱は、京都を焦土と化しましたが、それ以後、京都は戦争や戦乱により、 そのような破壊を受けたことがないからです。

 ああ、学生時代の近衛文麿さんが、仲間に言ったという話ね。大切な古文書や文献が、先の戦争で随分焼けてしまった、というのが応仁の乱だったというヤツね。  本当なのかなあ、っていつも疑問に思ってたけど、被災の程度から言うと、たしかに応仁の乱の時の破壊が、最も徹底していたようですね。蛤御門の変の時は、たった一日の戦いで、それも戦火だけだったけど、応仁の乱は足かけ11年、焼かれた上に徹底的に略奪されたらしいものね。しかも皇居も、周囲の貴族の館も全てやられたのは、このときだけみたいだしね。きっと五摂家の末裔たる近衛さんにとっては本当の事だったんじゃないのかなあ。

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2007/7/29 10:48

「鳥羽・伏見の戦い」の方じゃなかろうか・・・・・・・