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概念と言葉の違い。 概念とは広辞苑の説明によれば「事物の共通の内容を取り出...

tok********さん

2014/6/2616:35:58

概念と言葉の違い。

概念とは広辞苑の説明によれば「事物の共通の内容を取り出し、つまり抽象し、個々の事物に属する偶然的な性質を排除して得られるもの」とあります。

簡単にいえば、概念とは事物の共通本質のこと。

では、形・質・量・時間・空間・運動という言葉は事物ではないから、概念ではないのか?
概念が事物の共通本質としたら、形・質・量・時間・空間・運動とはいったい何なのか?
それとも同じ概念でも、要素の集合ではなく、要素を持たない「空集合」ということか?

水・空気・酸素・光・電子などの言葉も要素を持たないけど、「空集合」の概念ということかか?

感性・真理・理性・認識も、要素を持たないように見えるけど、それでも「空集合」の概念か?

神については別に質問したが、これも概念なのか、理念なのか、固有名なのか分からない。

概念とは、ただの言葉ではないと思いますが、だったら概念とはいったい何なのか?

概念には事物に限らず、「物事を大まかに捉えて言うもの」という考え方もあります。
だったら、形・質・量・時間・空間・運動も、また感性・真理・理性・認識も、ただの言葉で「物事を大まかに捉えて言ったもの」だと考えることができます。

いったい、概念というものをどのように考えたらよいのか、みんなさんの見解をお聞かせください。

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har********さん

編集あり2014/6/2700:18:42

難しい問題ですね。ですがぼくは例えば何々は~「である」という述語がつけば概念だと思っています。例えば「水とは液体である」のように述語がつけば概念だと思います。逆に神は否定神学、つまり「神は~でない」としか言えないので概念を飛び出してしまった、人間には認識出来ないものだと思っています。

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鷲木菟さん

2014/6/2704:46:20

これは意見とか見解といったものではないのじゃが、、、

概念とは言葉の意味のことじゃ。

言葉とは、いまここに書いてるこの記号的文字と、それが指している意味(概念)が、組み合わさったものじゃ。

哲学では、こういった記号論の研究をした人にあやかって、フランス語で言うのが一般的じゃ。記号的文字の方をシニフィアン、それが指している意味(概念)の方をシニフィエと言う。その組み合わせとしての言葉は、シーニュじゃ。

これらは、あまり難しく考えず、素直に丸呑みしなされ。

人文系の常識として、大学一年生が教わるようなことじゃから。

「水」とか「みず」、「mizu」、「H2O」、「ウォーター」あるいは、それらの発声音など、これらがシニファン。

そして、そのシニファンを見たり聞いたりした時、おぬしの頭の中で構成される、イメージや水の意味、それがシニフィエ、すなわち概念じゃ。

これは「神」でも同じじゃ。おぬし自身、何らかのイメージや、神に関するいろいろな意味を持っておるじゃろう。その意味の全体が、神の概念を構成しておる。

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i_s********さん

2014/6/2815:37:05

大辞林を見ても、1、2があって、1に「物事を大まかに捉えて言うもの」というような説明があり、2に哲学に於ける見解がならべてあります。1がtokyosumidakmuraiさんの後半に書かれている意味ですね。日常用語としての意味というところでしょう。抽象云々は哲学に於ける一つの考え方ですね。
つい先日にも、関連の質問がありました。「犬の概念は犬の中から共通な性質を抽出するのか?」これに対して、そんな見方はいまはされない、というコメントを返しました。ただその広辞苑の「事物の共通の内容を取り出し」という言い方は微妙なところで、「犬を集めて共通性を」というものと等しくはないでしょう。

別件になりますが、「事物の共通本質」というときの「事物」とは、事物というブツのことではなく、事と物ということでしょう。ですから、形・質・量・時間・空間・運動なども事物に入れて差し支えないのではないか。
更に別件になりますが、
>形・質・量・時間・空間・運動という言葉は事物ではないから、概念ではないのか?
ここの表現は可笑しいですね。『という言葉』は挿まない方が良いでしょう。「形」という言葉は、コトバですから、事とか物とかと普通は言いません。が、それは、言葉はコトバなのだから殊更に別の言い方にする必要がないだけで、あえていえば、「形」はコトバと呼ばれるモノだ。tokyosumidakmuraiさんの言おうとするのは、
「形・質・量・時間・空間・運動は事物ではないから、概念ではないのか? 」
であろうと、思うのですがどうですか。形を物とは普通言いませんが、形というモノだと見れなくもないし、コトと言えなくもないではないか。

要素を持たない空集合云々が、分りかねます。要素とは何をいっているのでしょう。共通の性質という時に、性質の方ではなくその共に有る個々を要素と呼んでいるのでしょうかね。その意味であれば、形の要素は、丸い、四角いなどありそうですね。

時間・空間などは、何かと何かとの共通の性質という捉え方はしていないように見えますが、何事かと何事かに共に関連するコトという捉え方は有り得るのではないか。

さて、
>神については別に質問したが、これも概念なのか、理念なのか、固有名なのか分からない。
この問いも可笑しいですね。
「神とは何か?」に「概念である」という答え方は基本的におかしくないですか。
例えば、ある物を指さして、これは何か?と聞いた時、「それは指です」なんて言う答が返ってきたらズッコケますよね。それと殆ど変わらないのじゃないか。とは言え、人が考え出した概念にすぎない、というのはあると思います。その場合は「概念である」と答えているではなく、「神と呼ばれる対象は人の空想である」と答えているのですね。

2014/7/112:27:46

これは意見とか見解といったものではないのじゃが、、、

概念とは言葉の意味のことじゃ。

言葉とは、いまここに書いてるこの記号的文字と、それが指している意味(概念)が、組み合わさったものじゃ。

哲学では、こういった記号論の研究をした人にあやかって、フランス語で言うのが一般的じゃ。記号的文字の方をシニフィアン、それが指している意味(概念)の方をシニフィエと言う。その組み合わせとしての言葉は、シーニュじゃ。

これらは、あまり難しく考えず、素直に丸呑みしなされ。

人文系の常識として、大学一年生が教わるようなことじゃから。

「水」とか「みず」、「mizu」、「H2O」、「ウォーター」あるいは、それらの発声音など、これらがシニファン。

そして、そのシニファンを見たり聞いたりした時、おぬしの頭の中で構成される、イメージや水の意味、それがシニフィエ、すなわち概念じゃ。

これは「神」でも同じじゃ。おぬし自身、何らかのイメージや、神に関するいろいろな意味を持っておるじゃろう。その意味の全体が、神の概念を構成しておる。

bod********さん

2014/7/220:34:34

南方上座部仏教のアビダンマ哲学でも同様な議論があります。
xxx_bubo_bubo_xxxさんのシニフィアン、シニフィエの話に
似ている感じがします。
アビダンマでは声施設、義施設と言っていますが...

音声としてのあらゆる「言葉」は、それが発せられることに
よって、それぞれの意義・概念(義施設)を「知らせるもの」
であるから、この音声が声施設と言われる。

一方、「知らされるもの」とは、我々に理解させるために
表わされる意義であって、それは心中に現われる概念に他
ならない。この概念に対して種々の名(声施設)を与えて知
らされるもの、これが義施設である。

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