ここから本文です

信長の最期の様子のこと 『天野源右衛門覚書』という覚え書きの中に、 本能寺...

krl********さん

2014/8/117:59:37

信長の最期の様子のこと

『天野源右衛門覚書』という覚え書きの中に、
本能寺の変における光秀軍の信長襲撃の結末について、

「信長は白綾の単衣を着て、髪を茶筅に結い、槍を提げて廊下へと走り出ると「せがれめか!せがれめか!」と叫んだ。その後、敵が思いもよらず攻め入ってきたせいで抵抗のしようがない思いと自害を決めたのだろう、信長は部屋の中へ入ろうとしたが、そこを光秀の郎党、天野源右衛門が槍でしたたかに突いた。信長は深手を負ってしまったので、自害も思うようにできないとみるや、そのまま燃え盛る炎の中へと飛び込んだ。だが並河金右衛門が続いて炎の中へ飛び込み、中から信長を引きずり出すとついにその首を討ったのである。」(以上、現代口語訳)

という記述があると、
このページhttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6467.html
に紹介されていました。

本能寺の変の個々の真相を明らかにしていく上で、上の文書の記述(特に末部の信長の最期の様子)は、現在、どう取り扱われているのか、について、何か御存じのお方は、教えて下さい。

光秀隊の先鋒をつとめた人物が書き残したものでありながら、上の箇所は、天野源右衛門(あるいは、後世の者)による勝手な作り話とみなされて、無視されているのでしょうか?

閲覧数:
1,033
回答数:
2
お礼:
25枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

usa********さん

2014/8/318:06:46

『天野源右衛門覚書』は先行回答者さんの回答にあるとおり幕末に出た子供向け講談本(赤本)の一種なので資料的な価値は残念ながら無いと言っていいでしょう。

安田国継(天野源右衛門)が体験したことが下敷きになっているでしょうが、朝鮮の役の件などは誇張が多すぎて資料として採用することはありえないのではないでしょうか。
※明軍三十万人や五十万とし、それを二千騎討ち取ったであるとか、とかく数字の誇張や脚色が多いです。

また、よく戦国時代の武将のエピソードの紹介に『名将言行録』が引き合いに出されますが、これまた考証が不十分な「俗書」扱いであることにご注意ください。

本能寺に討ち入った者の回想としては直接本人が遺したものされる『本城惣右衛門覚書』のほうが一次資料として価値が高いのではないでしょうか。

質問した人からのコメント

2014/8/4 17:49:04

皆さん、回答、どうも。参考になりました。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

kas********さん

2014/8/119:58:26

『天野源右衛門覚書』は、本能寺の変から3世紀近くも後の、江戸幕末に出された、子供向けの講談本(お楽しみ本)なので、史実を追究する学問の対象にならないのです。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる