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舛添要一は自民党時代特に野党転落後は、メディアの世論調査で総理に ふさわしい...

c130abcさん

2014/8/1321:27:10

舛添要一は自民党時代特に野党転落後は、メディアの世論調査で総理に
ふさわしい人1位となり、自民党内でも若手・中堅議員が中心の勉強会の

代表世話人などをいくつも務めていたにも関わらず、何故自民党を出て
新党改革を旗揚げした途端、彼と行動を共にする自民党議員は一人も出ず、
政界における存在感や求心力が激減したのでしょうか?

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saury329さん

2014/8/1322:04:53

下記が舛添の自民党時代からの言動です、こんな自分本位でスタンドプレーばかりの人間には誰も信用して付いて行く議員はいないでしょう。

2007年の参議院議員通常選挙で選挙前後を通じて、党参院執行部の1人でありながら安倍内閣の政権運営を厳しく批判してたが第1次安倍改造内閣において厚生労働大臣に任命され安倍首相を辞任した後に発足した福田内閣、さらに2008年に発足した麻生内閣においても続投した。

2009年に自民党が歴史的な大惨敗を喫し、麻生内閣が総辞職したため、舛添は厚生労働大臣を退任した。
その後、麻生に代わり谷垣が総裁に就任したが、舛添は直後から執行部への批判を口にするようになり、離党・新党結成が取り沙汰された。

舛添は自身の自民党離党をちらつかせたり橋下徹や東国原英夫らとの連携を示唆するなど独断専行が目立ち、石破茂や後藤田正純などから党内の議論に加わらず、党執行部に物申す舛添を批判する声が上がった。

舛添は参院政審会長の立場にありながら総裁である安倍を公然と批判するなど、テレビカメラの前で立場をかえりみないスタンドプレーが目立つ面があった。

2010年自民党に離党届を提出し改革クラブへの合流を表明し、入党する。
同年、改革クラブの党名を新党改革に変更し同党の代表に就任した。
就任会見においては、卓上の国旗を「邪魔なんでしょ、これ」と発言し撤去した。

同年、自民党党紀委員会は政党票で当選した比例選出議員であることや新党結党首謀者として他の自民党国会議員に対し新党結党のために自民党離党を促したことを反党行為として舛添に対して除名処分を下した。

2013年の第23回参議院議員通常選挙に立候補せず議員の任期満了とともに党代表も辞任する意向を表明し同年新党改革代表を辞任。

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