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度重なる北伐が失敗したのは孔明も陸遜も同じなのに、なぜ孔明だけがよく槍玉に挙...

pet********さん

2014/10/813:39:39

度重なる北伐が失敗したのは孔明も陸遜も同じなのに、なぜ孔明だけがよく槍玉に挙げられて軍才を疑問視されたりするんでしょうか?

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sho********さん

2014/10/1307:03:39

そりゃ単純に立場の差でしょう。
蜀漢の北伐は諸葛亮が主導して彼が完全に管轄した事業です。なので成功すれば彼の功績に失敗すれば全ての責任は諸葛亮自身が負わなければなりません。ですから北伐の失敗の槍玉に挙げられる訳です。

陸遜は孫呉の中で取り分け重要な家臣ですが、諸葛亮の立場と比べれば極端な話、沢山の重臣の中でも重要な何名かの一人なだけです。
しかも孫権在世中の孫呉の北伐は孫権の意中から出て彼の意向に全てが左右されます。陸遜がやれる事ってのは担当方面での責任を果たすことであって北伐云々ではありません。
なので孫呉の北伐=陸遜の功罪って訳じゃないのだと思います。

だから北伐云々で比較されようが無く、結果、諸葛亮がクローズアップされるんじゃないですかね。

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kou********さん

2014/10/1018:22:37

そりゃもう、単純に実績の有無につきるでしょうね。

陸遜には少なくとも、夷陵と石亭という華々しい戦果がありますが、諸葛亮にはそうした実績がほとんどない、これが全てでしょう。

あとは、陳寿の評ですかね。
なんだかんだで、諸葛亮は文人将軍、陸遜はエリート軍人として若いころから結果を出し続けていますから、三国鼎立以降の膠着状態で結果が出せなくても、積み上げてきたモノが、モノを言います。

反対に諸葛亮は、劉備時代からの政治手腕を評価されてますから、三国一の名宰相、というコトになってくるわけですね。

vit********さん

2014/10/1006:43:34

やはり最大の理由としては、自身を管仲・楽毅になぞらえた若かりし頃のビックマウスっぷりが、後世歴史家の噴飯失笑の的になり、さらに演義でちやほやされたため、約1800年間ねちねち言われる結果になってしまったのかもしれません。

他の理由に、諸葛亮の約20年後、顧雍先輩のあとを継いでようやく陸遜の丞相時代が始まりますが、沈黙の劉禅(ある種の名君)と、兵の単位から位置、武具兵糧の数、武将の選定と外交までを駆使して自由自在に戦える征夷大将軍級の諸葛亮と、突如公孫淵との同盟に熱中し始め、膨大な兵と物資と士気を損耗する粘着酒乱社長とその馬鹿息子たちに囲まれ、豆腐のような防衛力の瑾(相棒)の面倒もせっせと見ているのに最終決定権も無いサラリーマン陸遜とでは、業績結果を比べるのもかわいそうです。

kus********さん

2014/10/816:12:24

陸遜は攻撃戦以外で華々しい活躍をしていますからね。
諸葛亮はほとんど北伐しか実績がありません。

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