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項羽が范増に諌められるまで叔父・項梁の仇である章邯の降伏を許さなかったのは、...

hay********さん

2014/10/2510:53:21

項羽が范増に諌められるまで叔父・項梁の仇である章邯の降伏を許さなかったのは、春秋時代の呉越戦争の故事を反面教師にしていたからですか?

呉王夫差が父・闔閭の仇である越王勾践の降伏を認めた結果、油断した夫差は勾践の反撃を許して戦死したのですから・・。

▼こんな構図です。
夫差→項羽、闔閭→項梁、勾践→章邯

※尤も、勾践的立場は前漢の劉邦だったのでしょうが・・。

補足ご回答有難うございます。
別に反面教師にしてはいなかったんですね。
田氏斉と項一族との間にそんな事情があったんですね?
横山光輝版の史記にはそんな記述が一切なかったので知りませんでした。
まぁ漫画だからこそ、割愛された逸話も出るんでしょうね・・。

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jtp********さん

2014/10/2514:09:42

そうではなく、項梁という育ての父を殺した章邯に対する憎悪でしょう。実は項梁は章邯に攻められた時、斉の田栄に援軍を要請しました。当時、斉では内紛で田栄と敵対していた田仮が項梁のもとに亡命しており、田栄は田仮の首を差し出すなら援軍を出す、と条件を出します。項梁は応じず、田栄も援軍を送らず、項梁は戦死。このとき、援軍を送ってくれていたら項梁は死なずにすんだ、と思っていた項羽は、田栄を恨んで秦滅亡後も恩賞で冷遇しています。

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