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明治維新と日本の時代に合わせた改革の無さについて質問です。

neo********さん

2014/12/317:30:02

明治維新と日本の時代に合わせた改革の無さについて質問です。

明治維新とは江戸幕府に対する倒幕運動から、明治政府による天皇親政体制の転換とそれに伴う一連の改革を指し、その範囲は中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及び、日本を東アジアで最初の西洋的国民国家体制を有する近代国家へと変貌させたが、しかし、時代を経ることに
1.財閥の台頭
2.軍部の発言力の増大
3.政治家・官僚の腐敗
4.増加する地方の農村の人口増加
5.困窮する地方の農村
6.労働者の待遇の悪さ
7.言論の自由などの国民の権利の無さ
8.娘売りなどの人身売買の横行
9.中流階級市民無き上流階級と下流階級という構造の二つの貧富の格差
などの問題や矛盾が生まれ、大日本帝国はこのような問題や矛盾に対する不満を逸らすために無謀な戦争へと突き進むのだ。
私は思うのだが、明治維新という改革は最初は良かったが、しかし、時代の変化という荒波に生き残るには時代に合った改革が必要で、ようは「手を抜いてはならない。とにかく手を動かせ」であり、明治維新後の後継者達あるいは子孫は政治・軍事・司法・経済の分野において改革するどころか手を抜いていたからこそ、大日本帝国という帝国が崩壊したのではないでしょうか?

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わっかさん

2014/12/317:55:01

というより、明治維新というのは一種のクーデターなのであって、その後の社会改革や統治制度の改革は、国の近代化を目指した上からの改革に過ぎないのだと思う。つまり成功した戊戌政変、戊戌変法と理解すべきだろう。東洋型の社会変革なのだと思う。
実際に江戸期も、これは身分や血縁に基づくものであったが、一種の官僚支配体制となっており、これが学閥主体の官僚支配体制に置き換わったのが明治の変革なのだと理解している。
江戸期も、明治期も、行政をつかさどる官僚が国や軍のかじ取りを行い。統治を行うというシステムには、明治維新をはさんでも何の変更もない。ただ官僚となる階層が変化したに過ぎない。
当時の日本の憲法は、このような官僚支配を天皇主権の名に基づいて確立しており、議会も政治も、この国の統治機構の根本に触れることができないように作られていた。そして、その状態は、敗戦後の新憲法下でも大きな変化はない。議院内閣制により行政は議会の管理下に置かれたはずなのだが、実際の行政や統治は官僚の手で行われており、彼らの協力がない限り政治家による政治は一歩も進まないように作り上げられている。
このような官僚支配型の国家は、土台がしっかりしており、強固ではあるのだが、可塑性に乏しく、時代の変化の中で老朽化しやすいという欠点を持つ。
明治維新以降、今に至るまで、大きな外圧による変革を強いられてもなお牢固としてそんざくぃする官僚支配システムがこの国が強くしなやかな国家に変貌することを妨げているのは、どうも確からしい・・。と私は思います。

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glo********さん

2014/12/319:53:16

たとえば質問者様が挙げておられる1.財閥の台頭と2.軍部の発言力の増大は相矛盾します。
実際に昭和期に軍部が推し進めた国家総動員体制は明らかに財閥を敵視しその既得権を奪うものであったことから財閥は強く抵抗しましたが、国家総動員体制を5.6.8.9などの解決策(実際にヨーロッパでは第一次大戦時の国家騒動員体勢がそれらの問題の解消に大きく役立ちました)だと考えた貧しい庶民が支持し、その国民世論を盾にして軍部といわゆる「革新官僚」が押し切ったのです。
このように軍部の台頭は3以下の要因から出てきたものです。

そして明治維新体勢はもともと改革期の過渡期の体制でした。
しかしその体制が大成功を収め、日本は第一次大戦後、国際連盟の常任理事国で世界第三位の海軍国という大国の座を得たわけです。
しかし皮肉にもその大成功が過渡期の体制だった明治維新体制の正しさの証明となってしまい、それが結果的に時代遅れとなった体制の改革を阻害してしまうのです。
このあたりは戦後の日本における同じく過渡期の体制だったはずの、いわゆる「土地本位制」「銀行の護送船団方式」や同じく過渡期の憲法だったはずの日本国憲法がいつまでも残った事と相通じるものがあると言えるでしょう。

pio********さん

2014/12/318:37:20

多分、そういう要因もあるとは思うけど、ただ挙げた事は日本だけの特殊事情ではなく世界の多くの国の共通事項なので、日本が軍国主義に向かった理由を考えるのなら、日本だけの特殊事情を考える必要があるのだと思う。

cas********さん

2014/12/318:05:35

お言葉ですが、逆に江戸時代が続いていたら、北朝鮮並みの
とんでもない国になってたでしょう。

世界全体がその当時どうだったかを見直してみましょう。
1764年にイギリスで産業改革が始まり、他国も100年
近く遅れてスタートした。

日本も1868年に明治維新の開国により、仲間入りできた。
しかし、地下資源のない我が国は、絹産業の殖産部門はいいが、
鉄や石油がなかった。他国と競争どころじゃなかった。

先進国のチョッカイに乗って、ヘボい清国やロシアに勝ってし
まった。元々喧嘩好きの日本人は、手っ取り早い植民地化を
狙ってしまった。富国強兵策で人が増え、食いぶちを海の向こ
うに求めてしまった。

勝てるんだと言ううぬぼれが、「明治維新後の後継者達あるい
は子孫に、政治・軍事・司法・経済の改革を手抜きしたので、
仕組みを伝授出来なかった」のは、仰るとおりでしょう。

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