ここから本文です

西軍首脳は、関ヶ原の戦いでもし敗北した場合どうするか考えていなかったのですか...

セドリスさん

2015/1/1419:36:28

西軍首脳は、関ヶ原の戦いでもし敗北した場合どうするか考えていなかったのですか?関ヶ原の戦い自体が、突発的に起きた印象があるので考える時間がなかったのですか?

閲覧数:
176
回答数:
3

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

2015/1/1508:39:26

>関ヶ原の戦い自体が、突発的に起きた印象があるので

まさにその通りです。
石田三成の最初の構想は、真田昌幸宛の手紙などから下記のようであったと考えられます。

・会津征伐に向かった諸将の大半は京・大坂に帰還する
・家康と一部の大名は戦闘(対上杉)を継続するだろうが、佐竹、上杉と連絡を取り合って挟撃して欲しい(真田昌幸へのお願い)
・西国諸将に動員をかけているので、年末から年明けにかけて関東征伐を行う

と、まるで現実はこのようになっていません。
真田昌幸宛の手紙の中では他に、福島正則でさえこちら(西軍)に戻ってくるかどうか微妙、と書いているくらい、ほとんどの大名が家康に味方しないと当初は考えていました。

そして関ヶ原直前も家康到着を全く関知しておらず、ようやく家康到着が判明したのが関ヶ原の戦い前日の9月14日。
この日は裏切りの噂がある小早川秀秋が松尾山を突然占拠するという事態も発生しました。
関ヶ原転進は9月14日に急遽決まったものです。
移動した理由も諸説ありますが、状況的には翌日関ヶ原決戦を覚悟して、というよりは前線縮小、最終防衛ラインの敷き直しという意図だと思われます。
南宮山勢は全く移動していないので、大垣-南宮山ー関ヶ原ラインで様子見という意図もあったかもしれません。
いずれにせよ、9月15日、関ヶ原で戦うというのは両軍ともに直前までわからなかった事は確かでしょう。

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

nak********さん

2015/1/1422:51:00

〇武将の配置から内通者がいる事を考えずにいたから!
◇内通者もまさか改易・減封されるとは思っていなかったから内通していた。
(毛利や吉川、長曽我部も改易や減封されると分かっていたら必死に戦うでしょう。)

hk8********さん

2015/1/1419:42:51

どのあたりが首脳なのかですが。

総大将となっている毛利輝元

家康に吉川から内通しているので、
あまり何も考えていない、多分。

石田三成

勝てる策は立てている、と信じている。

上杉景勝

負ける事は考えていないでしょう。

宇喜多秀家

負ければ己はない。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる