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世界史の論述です。 16世紀から18世紀にかけてのいわゆる絶対主義の時代、ヨー...

bas********さん

2015/2/2314:14:34

世界史の論述です。

16世紀から18世紀にかけてのいわゆる絶対主義の時代、ヨーロッパの国際関係は王朝の利害を軸に展開し、勢力均衡の維持のため、しばしば戦争がひきおこされた。16世紀から

18世紀半ばまでのスペイン、フランス、オーストリアの三国をめぐる動向について、次の語句を用いて、300字以内で述べなさい。
語句 ハプスブルク家 ブルボン家 カルロス一世 ルイ十四世 三十年戦争 ユトレヒト条約 外交革命

何を書けば良いかわかりません。解答の例をあげてくれると助かります。
お願いいたします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

onc********さん

2015/2/2316:33:37

各王位継承戦争の通史を書いておけばよいでしょう。

長らくフランスのブルボン家とオーストリアのハプスブルク家と対立をしてきましたが、オーストリアがシュレジエン回復のために宿敵フランスと手を結ぶ外交革命が7年戦争前に置きます。

  • 質問者

    bas********さん

    2015/2/2321:57:35

    親切な解答ありがとうございます。

    具体的な解答を書いていただけるとありがたいです。わがまま言ってすいません。

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この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

kyo********さん

2015/2/2423:50:01

模範解答というわけにはいきませんが要点をいくつか。一つ目はフランスのブルボン家とオーストリアのハプスブルク家が対立していたことです。これが最も基本です。二つ目はカルロス1世(カール5世)はハプスブルク家とスペイン王家両方の血を引いていたことです。カルロス1世(カール5世)はハプスブルク家のフィリップとスペイン王家のフアナの間に生まれた子です。三つ目はカルロス1世(カール5世)がスペイン王と神聖ローマ皇帝とオーストリア大公に即位したことです。カルロス1世(カール5世)はハプスブルク家とスペイン王家両方の血を引いていたので両方の王位を継承することができました。カルロス1世(カール5世)は退位するときにスペイン王位を息子のフェリペ2世に、神聖ローマ皇帝位とオーストリア大公位を弟のフェルディナント1世に譲ったのでここでスペインとオーストリアが分離してハプスブルク家はスペイン系とオーストリア系にわかれました。四つ目は三十年戦争でフランスがプロテスタントの側についたことです。三十年戦争はヨーロッパがカトリックとプロテスタントにわかれて戦った宗教戦争です。フランスはカトリックの国ですが、フランスが敵対しているスペインとオーストリアがカトリックの側だったので、フランスはプロテスタントの側につきました。五つ目はルイ14世がスペイン・ハプスブルク家の血を引いていたことです。ルイ14世の母親はスペイン・ハプスブルク家のアンヌです。ちなみにルイ14世の妃はアンヌの姪のマリテレーズです。六つ目はルイ14世が孫のフィリップをスペイン王に即位させたことです。スペイン・ハプスブルク家が1700年に断絶するとルイ14世は孫のフィリップをスペイン王に即位させました。しかしこれを認めない国々との間で戦争になりました。これがスペイン継承戦争です。最終的にはユトレヒト条約でフィリップのスペイン王位継承が認められました。七つ目は七年戦争でブルボン家のフランスとハプスブルク家のオーストリアが手を組んだことです。これを外交革命といいます。敵対していた両国が手を組んだため外交の大きな変革ということでこう呼びます。あまりまとまらない回答ですが参考にしてみてください。

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