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纏向遺跡は邪馬台国の重要な手掛かりであるとされ、尾張、出雲、吉備地方などの各...

det********さん

2015/3/100:37:42

纏向遺跡は邪馬台国の重要な手掛かりであるとされ、尾張、出雲、吉備地方などの各地方の品々が発見されているそうですが、この事から邪馬台国は各地方のクニの王が連立して出来あがり、

その中で女王卑弥呼が共立され、時代を下って登場した蘇我氏や物部氏は出雲地方のクニの王の末裔であったという説は信憑性あると思いますか?

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yuk********さん

2015/3/403:00:00

畿内説で有力視される纒向遺跡では、大麻の種が500以上、発見されました。大麻と言えば忌部ですよね。また、付近のホケノ山古墳は忌部の本拠地である萩原2号墳と酷似しており、周辺の集落跡も、忌部の集落と酷似しております。発見された土器類も、忌部の支配地域であった伊勢地方が大半を占めています。つまり、このことから 纒向遺跡の祭祀者は忌部であったと考えられます。忌部だとすると 纒向遺跡は、当時、日本最大級の都市であったといえます。忌部は天皇の祭祀を司る一族ですから。忌部が持ち込んだ大麻を卑弥呼が用いて鬼道を行ったのではないでしょうか。
当時、祭祀と政治は同じものでした。そのために、政治のことを、祭りごとと言ったりしますよね。
忌部が関係しているとすれば、直接、天皇家と繋がり、大和朝廷とも繋がりますよね。倭とは、阿波で画像は忌部神社の神紋

畿内説で有力視される纒向遺跡では、大麻の種が500以上、発見されました。大麻と言えば忌部ですよね。また、付近のホケ...

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