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清和源氏は、東北地方で戦ったり平氏政権下でも活躍したりするなど武家化した源氏...

tee********さん

2015/3/1201:11:15

清和源氏は、東北地方で戦ったり平氏政権下でも活躍したりするなど武家化した源氏の中では質量ともに最大でありましたが、やがて朝廷からもその存在を認められるようになりましたよね?

清和源氏は、源頼政が平氏政権の関係などから公卿に至りますが、清和源氏が当初公卿を村上源氏や宇多源氏、嵯峨源氏などと違って輩出出来なかった理由は清和天皇の力が弱く藤原氏の力が大きかったということによるのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

f27********さん

2015/3/1206:54:39

清和源氏というと、清和天皇第六皇子貞純親王ー六孫王源経基の子孫だけが有名ですが、清和天皇の皇子4人、孫12人が源姓を賜っています(源経基は「陽成源氏」であるとの説もある)
さらに他の源氏や藤原氏も多い都にとどまっても、そのなかで貴族として出世するのは容易ではありません
ならば、家格は低くても実利の多い地方官を歴任して財を蓄えようとするのはある意味賢明な選択でした
さらに「穢れ」思想により貴族からは忌避されていた武門の道を選んだことで、完全に公卿の道は閉ざされました

経基流以外の清和源氏がほとんどの歴史に現れないのを見ても、彼の選択は間違いではなかったのでしょう

ちなみに清和源氏と藤原摂関家の関係は悪くはありませんでした
勿論対等なパートナーとしてではなく、摂関家の「手下」となることで、勢力を拡大した面もあります

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

now********さん

2015/3/1212:00:07

ご質問読ませていただきました。

まず、源頼政が属する源氏は清和源氏ではありません。いわゆる「清和源氏」であり、本当は「陽成源氏」が正しいです。別に本当の「清和源氏」は存在しました。

藤原氏にとって、源氏も平氏も政敵には変わりありません。別に清和天皇の力は関係ないと思います。

詳細は下記二つを調べて頂けれご理解いただけると思います。
陽成天皇(戦場でやあやあ~と名乗れない理由)
安和の変(同じ源氏から嫌われただろう行動)

参考までご回答申し上げます。

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