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真田と家康の戦いである上田攻めは、三回あったのですか。 一回目のあとに、再度...

rit********さん

2015/3/1315:09:41

真田と家康の戦いである上田攻めは、三回あったのですか。
一回目のあとに、再度家康は上田攻めを行っているのでしょうか?

立ち消えになったのでしょうか。
秀吉の仲介と言う形で、家康は撤退したらしいのですが、戦自体はやるつもりはあったのですか。

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kaw********さん

2015/3/1822:37:57

一般的に『上田城の戦い』と言われる戦いは1585年の第1次上田合戦と1600年の第2次上田合戦の2回です。

徳川軍は第1次上田合戦で一度撤退した後も小諸にとどまり、しばらく上田まで威力偵察のようなことをしていたようです。しかし徳川家の重臣中の重臣・石川数正が豊臣家に寝返ったため、真田に構っているわけにもいかなくなり、上田から完全に撤退しました。

そして、石川数正の裏切りから1カ月ほどで真田が豊臣に臣従しました。

家康も、真田程度のために豊臣と構えるわけにはいかず、真田憎しの思いはあっても戦をやるつもりはなかったでしょう。

  • 質問者

    rit********さん

    2015/3/1900:02:06

    家康軍は小諸にしつこく居座っていたわけですか。
    撤退理由としては石川数正の出奔が影響しているのですか。
    石川数正は当時の徳川の筆頭ですよね。徳川四天王よりも格上ですね。
    対豊臣宥和派だったようですね。この時点で再度豊臣と徳川の対決になっていれば徳川不利だったのでしょうね。
    石川数正はそれがわかっていたと言う事なのでしょうかね。
    その後松本に封じられて、関東の家康に対する睨みとなるのですね。
    松本城は立派ですよね。湿地に木を埋め込んで地盤強化して基礎を作っているらしいですね。

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ben********さん

2015/3/1316:17:20

第二次上田合戦は、事実上「ぼくらの関ヶ原」です。
秀忠軍を足止めするのが目的で、大成功を納めました。
ですから、上田合戦は、計二回ですね。

後半のほうの話は、第一次です。

似たような手口を使っているのに、まんまと徳川軍がひっかかっている形です。
「ちどりがけ(ぐけ)」という野鳥のワナのようなトラップとか、絶妙の挑発とか、数を頼みに正面突破しようとした徳川軍を待ち受けての攻撃とか・・・
あと、川をせき止めておいて、渡っている最中に堰を切っておぼれさせるとか。

家康本人は、出陣しておらずブレーンの本多正信や榊原康政が関わっています。

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