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西南の役 と 西南戦争 「役」から「戦争」に変わった訳

maikopurazuma2007さん

2008/1/2321:08:04

西南の役 と 西南戦争 「役」から「戦争」に変わった訳

父が学校で、習ったときは「西南の役」と習ったそうですが
私が習ったときは「西南戦争」と習いました。

この「役」 と 「戦争」は、いつ頃から変更したんでしょうか?
また、何故変更したんでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

2008/1/2402:39:23

昭和44(1969)年の文部省学習指導要領(昭和47年から施行)の中学校社会〔歴史的分野〕の(15)のアでは
「藩閥政治に対抗し、民撰議院設立を目ざした自由民権運動が起こり、それがしだいに広がっていったことを
理解させるとともに、西南の役の後、言論による運動が展開されたことに着目させる。」とあり,「西南の役」
の語句を使用しています。http://www.ha.shotoku.ac.jp/~ishihara/shidou/s43/chuu/shakai.html

しかし,手許にある数研出版の『日本史辞典』の昭和41(1966)年版では「西南戦争」となっています。この
辞典は時代の一線級の研究者が監修・執筆していますから,当時は既に研究社の間では西南戦争が一般的な
表記であって,文部省の学習要領に反映するのは少し時期が遅れたと考えられます。恐らく,昭和40年代には
「西南の役」から「西南戦争」へと表記の変更がなされたと考えられますが,私が高校生であった昭和45(1970)年
前後の日本史教科書では「西南の役」だったか「西南戦争」だったかは記憶に定かではありません。なお,手許に
ある昭和52(1977)年の山川出版社の高校用『詳説日本史』(教育実習で使用)では「西南戦争」となっています。

西南の役から西南戦争へと表記が変更された理由ですが,これを考える前に日本史に登場する「~の役」を一覧しますと,
・前九年・後三年の役(対蝦夷),文永・弘安の役(元寇),文禄・慶長の役(朝鮮出兵),大坂の役(冬の陣・夏の陣),
・征台の役(台湾出兵),西南の役(西南戦争)の以上です。
これを概観してほぼ共通するのは,大坂の役を除いて,辺境の地あるいは対外勢力との大規模な戦争となっています。
役は戦役の役,労役の役であり,国家権力や為政者が武士だけではなく一般民衆も大量に徴発して闘わせたことになります。
その点では大坂の役も,辺境ではありませんが大坂城総攻撃のために20万人とも30万とも言われる軍勢で豊臣方を攻撃して
いますから,大量動員による大規模な戦争ではあります。

では何故に昭和40年代頃に「西南の役」から「西南戦争」へと表現を変えたかと言えば,それまで前近代の戦争と同じく,
封建的な武士が主力であり,西南の役も台湾の役も江戸時代以前から続いてきた武士の争いという解釈がなされたきたが,
じつは台湾の役にしても西南の役にしても,政府軍の主力は武士ではなく,西洋式砲術を本格的に学んだ近代国家の軍隊
であったこということが強調されるようになり,そのため前近代的な役ではなく戦争という表記にしたものと思われます。

長々と書き連ねましたが,要するに西南の役から西南戦争への表記の変更は昭和40年代のことで,
その戦争形態が武士同士による戦いではなく,旧薩摩藩武士に対する洋式式装備の近代的軍隊(官軍)であったこと
から,役という表記は不適当で,戦争ということにしたものと思われます。なお,征台の役→台湾出兵も同様でしょう。

質問した人からのコメント

2008/1/24 10:18:47

成功 お2人の方、ありがとうございました!
とても詳しく、よく分かりました。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

ao000000000さん

2008/1/2322:37:46

時期は分かりませんが、他の反乱と比べて規模があまりにも大きく、戦闘が長期化したため「戦争」と呼ばれたと記憶してます。

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