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新米学会員です。法華経に「我本行菩薩道」とあります。学会や正宗はもちろん他の...

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ID非公開さん

2015/8/2914:24:59

新米学会員です。法華経に「我本行菩薩道」とあります。学会や正宗はもちろん他の日蓮系もこの菩薩道を唱題と言っています。私はなぜ、菩薩道が唱題なのか分かりません。

折伏なら分かるのですが、折伏ではないそうです。

どなたか、教えてください。どうしてこの菩薩道が題目を唱えることなのですか??

よろしくお願いします。

他の日蓮系もと、書きましたが、唱題ではないと言っている宗派の方が居られましたら、投稿ください。素直に謝ります^^。

では、よろしくお願いします。

補足今朝、唱題中に思ったのですが、西洋思想は演繹法で、仏教は帰納法ですよね?

で、仏に成るには題目しかない。

釈尊は菩薩道で仏に成った。

だからこの菩薩道は、唱題である。

もう逆から行くしかないのではと、思いました。

演繹法に慣れている人には、突っ込み処が満載ですが、こういう解釈は皆さんは、どう思われますが??

宜しかったら、ご回答ください。

よろしくお願いします。

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JoJonさん

2015/8/2919:31:57

こんばんは。

ご質問のところは、法華経の核心部です。うまく解釈する自信はありませんが、基本的なところだけをお伝えします。ここを真に知ろうとするならば、法華経を繰り返し読まれることをお勧めします。


真読)
如是我成仏已来。甚大久遠。
寿命無量。阿僧祇劫。常住不滅。
諸善男子。我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数。然今非実滅度。


訓読)
是の如く我成仏してより已来甚だ大いに久遠なり。
寿命無量阿僧祇劫常住にして滅せず。
諸の善男子、我れ本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、
今なお未だ尽きず。また上の数に倍せり。


サンスクリット語)
tāvaccirābhisaṃbuddho'parimitāyuṣpramāṇastathāgataḥ sadā sthitaḥ/ aparinirvṛtastathāgataḥ parinirvāṇamādarśayati vaineyavaśena/ na ca tāvanme kulaputrā adyāpi paurvikī bodhisattvacaryāṃ pariniṣpāditā/ āyuṣpramāṇamapyaparipūrṇam/ api tu khalu punaḥ kulaputrā adyāpi taddviguṇena me kalpakoṭīnayutaśatasahasrāṇi bhaviṣyanti āyuṣpramāṇasyāparipūrṇatvāt/


サンスクリット語からの訳)
如来は、それほど久しき昔に覚りを得て、量ることのできない寿命の長さを持ち、常に存在し続けています。如来は、完全なる滅度に入ったことはなく、教化のための願いによって完全なる滅度を示します。また、善男子よ。私は、過去の菩薩道を今もまだ完成させていないし、寿命の長さも満たされてはいない。しかも、善男子よ。私の寿命の長さが満たされるまでに、成仏して現在に至るまでの二倍の時間だけ、すなわち幾百千那由多劫があるのです。



サンスクリット語の経典と漢訳には大きな違いがあります。漢訳の「我本行菩薩道所成寿命」というと、「成仏以前の菩薩行によって得た寿命」のような意味合いですが、サンスクリット語の経典では、「古代の菩薩道は今日もまだ完成していない」「寿命の長さも満たされていない」というように、二つの文に分かれています。

法華経で説いていることは、「如来は今もまだ菩薩道を続けている」ということです。成仏によってゴールしたわけではなく、仏は仏であり続けるために菩薩道を続けています。これを「永遠の菩薩道」と呼ぶ人もいます。


さて、法華経だけでなく、すべての経典は、ある一部だけを切り取って、そこだけを読んで解釈できる内容ではありません。少なくとも、その章(品)全体を読むことが必要ですし、本来は一経八巻二十八品をよく読まないで解釈すべきではありません。特にここ『如来寿量品16』は難解中の難解ですから、「我本行菩薩道」だけでは何も分かりません。

ここでの文は、少なくとも、「爾時世尊。知諸菩薩。三請不止。而告之言。汝等諦聴。如来秘密。神通之力~」から読まなければ意味をなしません。釈尊が、如来の秘密と神通力について明かすところです。秘密とは、本体のことをいい、神通力とはそのはたらきのことをいいます。いわゆる「体用(たいゆう)のことです。

「犬が走る」「風が吹く」「水が流れる」というように、そのものを表わすとき、「そのもの+そのもののはたらき」を観ます。これが、体+用です。十如是でいえば、相性体が体、力作因縁果報が用です。よって、これから如来の本体、如来のはたらきが明かされます。

結論から言えば、如来の本体とは「空」であり、如来のはたらきは「縁起」です。それをひっくるめて、最高の真理といいます。このことは、かなり仏教の知識を必要としますので、すぐには理解できないかも知れませんが、如来寿量品で明かされているのはこのことです。久遠の本仏とは、何らかの存在ではありません。最高の真理のことです。それを言葉を変えれば、「空」「縁起」「諸法実相」「妙法」「妙法蓮華」と呼びます。

これまでの仏教では、解脱を説いていました。六道輪廻から解脱して涅槃に入る、といった感じです。ところが、法華経では、如来は成仏しても六道から離れるのではなく、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上のすべての世界に充満し、人々を成仏に導き続けると説いています。

人間の菩薩道と釈尊の菩薩道、本仏の菩薩道とは、同じであるけれど、本仏の菩薩道が無量・無辺であることは異なります。人間の場合、限界を持っていますが、如来は限界を持たず、常に広がり続けています。


> どうしてこの菩薩道が題目を唱えることなのですか??

法華経で説かれている菩薩道とは、「他を成仏に導く道」のことです。人間の菩薩道と釈尊の菩薩道、本仏の菩薩道は、すべて「他を成仏に導く道」です。このことを常人にも分かるようにと日蓮聖人は、南無妙法蓮華経を唱えることを勧めたのではないでしょうか? つまり、本仏と一体となり、他を成仏に導きなさいというのが本願です。


合掌

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    質問者

    ID非公開さん

    2015/9/118:44:40

    ご回答ありがとうございました。

    私は中村元さんの著作?翻訳?されたものを読みました。

    出版社: 東京書籍 (2003/04)
    ISBN-10: 4487732824
    ISBN-13: 978-4487732821


    サンスクリット語からのモノと漢語からのモノとのチャンポンでしたが。

    サンスクリット語から直接日本語に翻訳すると、一念三千の証明?立証?は、無理ではないですか??

    やはり鳩摩羅什を経由しないと・・・。

    で、菩薩道とは、「他を成仏に導く道」なら、折伏ですよね?

    家で毎日唱題しても、他を成仏に導けないですよね??

    そう思いませんか??

    質問に補足します。宜しかったら、ご回答ください。

    よろしくお願いします。

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ook********さん

2015/8/3018:11:38

大木と申します。

法華経の「我本行菩薩道」の解釈は、御書だけでは、中々理解
できませんでしょう。天台等の法華経解釈が必要かもしれませんね。

多くの人が、釈迦仏は、この菩薩道を経て、「正覚」を得た。と
考えているようなのですが、この点は、天台釈などが詳しく、

つまり、種種の経文を引いて、向因向果、仏になるための
菩薩道ではないことが指摘されていますね。

それから、唱題が菩薩行・・の件ですが、
南無妙法蓮華経は法華経一部の肝心要であり、当然ながら、
その説くところはまったくの同一を論じているわけで、
いずれも「純円法」なのですが、

これが理解できずに、信者に、法華経一部と法華経五字七字は、
異質がごとくに教える住職が居て、気の毒な信者さんは、
末法には釈迦の説いた法華経一部は「無益」と信じての唱題であり、
真に残念な唱題と成っているわけです。

「本尊問答抄」には「本尊は題目」とあり、
題目とは釈迦仏の全身と説きますね。

これに迷う唱題では、これまた、
真に残念な唱題と成ってしまうわけです。
これでは、とても、菩薩行にもなりませんね。

まあ、どなたでも感じる事ですが、
仏の名を書いた板が「仏の当体だから拝みなさい」と言ってしまえば、

「それは違うだろ、その本尊を通して、仏様に感応道交するのですよ」
と「それでは、如何に言葉を弄したとしても、刻々と朽ちて行く「仏」
となり仏教を逸脱した、器物信仰となってしまう事に気付きませんか?
」と。

創価学会員でなくても、ドン引きしますよ。

質問者さん、どんなにお話しても、御書を開いていただけないので、
「不毛感」でいっぱいなのですが、



そもそも、末法には「本未有善の衆生」と、もう一方の

これを久遠釈迦仏の命を受けて、末法にだけ
出現して釈迦仏との約束の法華経下種をする釈迦仏の最初の弟子たる
地涌の菩薩つまり、本己有善の衆生が入り乱れるのです。
これが教えられていない。

(この菩薩は、物凄い昔に釈迦仏から下種済みの菩薩で、
末法の強情荒凡夫たる「本未有善の衆生」を「下種」する事が
使命の大集団、その大導師が上行日蓮です)

ひどい話に、
我々は釈迦仏とは無縁の衆生でアールと教え、
で、我々は地涌の菩薩なのでアール。・・・・どっちなのよ。(笑)

教える僧侶が居て、信じる信者が居るのです。


質問者さん、天台、伝教、日蓮に依れば、
末法に、初めて、地涌の菩薩から、「純円」の南無妙法蓮華経を
聞き、その本未有善だった初信者が「唯、南無妙法蓮華経」を信じて唱えれば、「悟り」の最下位といわれる「名字即位」「地獄の穴は塞ぎぬ」は得られるのですが、ただ、注意しなければならないことがありますと、

それは、驚いた事に、他の仏道修行はいっさい禁じているのです。
本未有善だった初信者(発心して、釈迦仏信仰に入った人)は
譬えれば、小船、
法華経の膨大な功徳を積めば、すぐに転覆してしまい、
一切の功徳は望めないので、供養とか、受戒とか、経典読誦とか、
その他の仏道修行は禁止なのです。

いっぽう、日蓮を始め、地涌の菩薩などの本己有善は
これまでの修行が進み、各、如説の修行にも耐えられるようになり、
ついには、「等覚」「妙覚」位をも目指す事になるのです。

まず本当の地涌の菩薩から、「一大秘法」を下種されて、
南無妙法蓮華経とは、久遠釈迦仏の全身であると信じて、これだけを唱える。
日蓮等が警告するように、これ以外の受戒、供養などなどの修行は絶対にしない。

やれ、経典読誦、三宝に供養、今月何人折伏、などなどは、
日蓮の教える教学ではない。

と言うか、釈迦仏信仰自体を遮ろうとする教団の人々には無縁な教えであろう。

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2015/8/3014:52:56

我本行菩薩道
この道には、信、行、学全て含まれています。
この経文こそが、法華経の文底に三大秘宝を持した仏の存在
を秘しています。
仏の教えを広める行為を菩薩行と言いますが、その久遠の仏の
名をここでは明かしていません。
喩出品において口決相承された上行菩薩にその名を明かす事を
委任したことになります。
日蓮大聖人は、三大秘宝を所持した久遠の仏の再誕と捉える
べきでしょう。
創価学会では、一大秘宝の大御本尊を受持の対象にしないと
法華経の行者の一身の当体、大聖人の魂魄を捨てました。
貴方の学ぶべきは、この一大事を翌々考える事です。

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sty********さん

編集あり2015/9/121:16:05

日蓮正宗信徒の者です。
※補足がありましたので追記します。

【法華経如来寿量品第十六】で
釈尊が説かれている
『我本行菩薩道』とは、
三宝に御仕えする『自行化他』=勤行・唱題・折伏・参詣・供養・登山の、信心修行の事です。
これはその後に説かれる
『良医病子の譬』が、
日蓮仏法の事である事から
明らかです。
そして日蓮仏法の三宝は、
日蓮正宗大石寺にしか
おられません。
日蓮正宗を破門された創価学会には、『我本行菩薩道』が成立する事はありません。
創価学会にあるのは
日蓮正宗三宝=
日蓮仏法を否定して受ける、
堕地獄だけです。
南無妙法蓮華経

以下
日蓮大聖人様から、763年続く日蓮正宗を破門された創価学会は、シアトル事件・C作戦・僧侶の堕落等を捏造して日蓮正宗を誹謗中傷しながら、日蓮正宗の御本尊様を勝手に改竄コピーして拝ませる、狂った洗脳カルトです。
これは日蓮大聖人様が、「開眼供養しなければ魔が入る」と仰せの「ニセ本尊」です。
悪い事は言いませんから、これ以上手を合わせるのは止めなさい。
そして創価学会の、日蓮正宗への誹謗中傷は殆ど全部嘘ですので、お金も掛かりませんから、最寄りの日蓮正宗寺院へお越しになり、「創価学会問題」の真相を聞かれて下さい。
でなければ、必ず後悔しますよ。

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2015/8/2923:18:20

簡単な話で「南無妙法蓮華経」やし。それ以外に言葉がないねんで。

如来寿量品に「我本行菩薩道」と書いてあってもそんなんどうでもええで(笑)当たり前やんそれwwww理屈としては「菩薩の道を行じているから仏である」その通りやし、なんで大聖人が南無妙法蓮華経や言うてるのにアホが違うこと言うてるねん??そいつら既に大聖人門下ですらないやん(爆笑)

※自我偈には書いてないぞ。長行に書いてあるねんで。もうこの時点でアホやとわかる人にはわかるねん。

簡単な話で「南無妙法蓮華経」やし。それ以外に言葉がないねんで。...

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sto********さん

2015/8/2922:43:37

正直に言います、私はアンチ創価学会にして元二世です、親が現役なので創価学会との関わりは50年ちかくなります、ごめんなさいね(^^;、

しかしjojon_folkさんの回答は素晴らしい、違和感に率直に向かうあなたの疑問も素晴らしい!

私は法華経にも異論を唱える立場ですが、「我が道」として進もうとする姿勢が見てとれます、どうか「創価学会と言う教団に囚われることなく」進んで頂きたい。
そこでjojon_folkさんの補足と言うか追加と言うか、知っておいて頂きたいことを少し。



【法華経には加筆の形跡がみられる】

rsd37264さん 編集あり2010/12/319:43:33
『法華経』の成立は現在のパキスタン辺りで、ゴ―タマ・ブツダの滅後500年頃と推定されています。

『法華経』の28章を通して読めば解ることですが、序品から嘱累品までは一連の物語風になっているにも拘わらず、途中で不自然な場面展開か幾つか見られますが、それらは全て後世の付加品です。

原『法華経』の各章は以下の通りです。

序品・方便品・譬喩品・信解品・薬草喩品・授記品・化城喩品・五百弟子授記品

・授学無学人記品・法師品・見宝塔品・勧持品・従地涌出品・如来寿量品

・嘱累品

後世の付加品は以下の通り。

提婆達多品・安楽行品・分別功徳品・随喜功徳品・法師功徳品・常不軽菩薩品

薬王菩薩本事品・妙音菩薩品・観世音菩薩普門品・陀羅尼品・妙荘厳王本事品

普賢菩薩勧発品

以上の各章の中で、提婆達多品はサンスクリットの原典がありません。


続きは以下より。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1451320589...



【日蓮遺文の凡そ半分は偽書と真贋未決】

以下、過去ログより抜粋。


日蓮正宗や、その信徒団体であった創価学会が、日蓮遺文の教条主義的解釈から「日蓮原理主義」と揶揄される程の独善的・排他的教義を構築していることは周知の事実ですが、創価学会が「御書根本主義」を掲げる以上は、その「文証」たる日蓮遺文の真贋如何が論議されることは必然の道理と言えます。

日蓮遺文集の中で最も権威有る書と言われる『昭和定本遺文』に収録されている日蓮遺文の総数は434編に及びますが、その内日蓮真撰とされるものは222編・真偽未決が157編・偽撰が55編であると一般では見做されています。
しかし、日蓮真撰とされているものの中にも偽撰の疑いが濃厚なものもあり、文献学上は真偽未決の殆ど全てが偽撰と見做されていますので、実に現存する日蓮遺文の粗半数が「偽書」だと言う事です。
文献学の分野に於ける真贋判定の技術は日々進歩していますので、これから益々、日蓮や彼の高弟(六老僧)の遺文に対する学術調査は進展することでしょう

続きは以下より。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1336754033...


参考まで。

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