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均斉についてです。『崇高と美の観念の起源』を読んでる途中なのですが「美と均斉...

ajo********さん

2015/9/522:11:28

均斉についてです。『崇高と美の観念の起源』を読んでる途中なのですが「美と均斉」とは全く頭にありませんでした。 p119「美はたとえその起源を他何に仰ぐぬせよ均斉や効用に依存しないと断言しうるのである。」
均斉とは単なる数値化された物体だと感じました。このことについてご意見頂けないでしょうか。

補足回答ありがとうございます。私のはみすず書房で、引用文は第3章8節です。よろしくお願いします。

この質問は、nur********さんに回答をリクエストしました。

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nur********さん

リクエストマッチ

2015/9/600:44:37

悪いけど、私の持っている本と違うらしいな。
私は理想社のもので、昭和48年初版のものなんだ。ちょっと「節」を教えてくれないか。そのページには出ていないようだからな。
まあ均斉ではない、というのは、例えばギリシャ彫刻は均斉の面では完璧に近い造形物なんだよ。その点では見事な出来栄えなわけ。
しかしあれは崇高な美ではないんだよな。
正確な造形、というだけのものなんだよ。
美の起源というのは、正確さ、正しさではないわけ。だから技術では無い、ということが言えるんだよな。
まあ、節がわかれば、もうちょっと語れるかもしれないけどな。多分第三章でのものだとは思うけど。
その中で「美は小さい」というバークの言葉があるんだけど、私はこの言葉に触れた時に、壮大な衝撃を受けたな。
それは日本の美学の中心思想である「もののあはれ」というものに通じるものだったからだよ。
理性的な美の解析を一切排することによって、バークは美の本性に迫ったと感じたな。

  • nur********さん

    2015/9/620:27:36

    ああ、見つけた。わかったよ。
    要約の部分だな。
    それまでに建築や動物や植物の例とかで語られてきたわけだから、そこは多分理解できるだろう。
    自然界は左右対称の現象で進むことが多いから、比率は自然発生的に出来ることが多いんだ。
    鉱物の結晶なんかもそうだよな。
    西洋には昔から黄金比率という思想があった。確かに一定の比率が人間に美を感じさせることもあるんだ。
    しかしバークはその向こう側にある、美の根底を目指しているんだよな。それは比率などのように、語ることが出来ない領域なんだよ。
    そこに果敢に迫ろうとしているわけ。
    まあ、突っ込んで来てももちろんいいし、最後まで読んでみろよ。

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質問した人からのコメント

2015/9/8 22:46:42

回答ありがとうございます。美は技術ではないのですね。本読んでるもの違いですみませんでした。聞きたいことはたくさんありますが完読してから質問させていただきます。改めて回答ありがとうございました。

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