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法華経=南無妙法蓮華経 なのでしょうか?

pot********さん

2015/9/816:42:26

法華経=南無妙法蓮華経 なのでしょうか?

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lio********さん

2015/9/900:49:01

日蓮大聖人は法華経題目抄にて、「問うて云く題目計りを唱うる証文これありや、答えて云く妙法華経の第八に云く『法華の名を受持せん者・福量る可からず』正法華経に云く『若し此の経を聞いて名号を宣持せば徳量る可からず』添品法華経に云く『法華の名を受持せん者福量る可からず』等云云、此等の文は題目計りを唱うる福計るべからずとみへぬ、一部・八巻・二十八品を受持読誦し随喜護持等するは広なり、方便品寿量品等を受持し乃至護持するは略なり、但一四句偈乃至題目計りを唱えとなうる者を護持するは要なり、広略要の中には題目は要の内なり。」と仰せです。

法華経には「広・略・要」があり、妙法への帰依が説かれている法華経の題目、つまり南無妙法蓮華経は「要」の法華経です。

例えば、たくさんの衆生を前に法華経を説き始める前に、釈尊は無量義処三昧に入って様々に不思議な現象を表しました。そして仏は眉間白毫相の光を放って、東方万八千の世界をあまねく照らしました。この世界のはてには彼の土の六趣の衆生が見え、また彼の土の現在の諸仏が見え、及び諸仏の説く所の経法が聞こえ、ならびに彼の諸比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の諸修行得道者が見え、また諸菩薩摩訶薩の種々の因縁・種々の信解・種々の相貌や菩薩道を行うのが見え、また諸仏般涅槃者が見え、また諸仏般涅槃後に仏舎利から七宝塔が起つのが見えました。

弥勒菩薩が文殊師利菩薩に対して、何の因縁を以てこの瑞神通の相が大光明を放って東方万八千の土を照らし、悉くに彼の仏国界の荘厳が見えるのか、という問いかけをします。種々殊妙なこの国界や諸仏の神力や智慧の希有さが我及び衆会に見えるように、仏が一浄光を放って無量の国を照らすのは何故なのか、という問いかけをします。

その問いかけに対して、文殊師利菩薩は弥勒菩薩や及び諸大士にこう語りました。過去に日月燈明仏という同じ名の二万仏がいて、その最後の仏がまだ出家していない時に八王子がいました。一の名は有意、二の名は善意、三の名は無量意、四の名は宝意、五の名は増意、六の名は除疑意、七の名は響意、八の名は法意といい、この八王子は威徳自在で、各々四天下を領していました。この諸王子は父に続いて悉く王位を捨てて出家し、大乗の意を発して常に梵行を修し、皆法師となって千万仏の所で諸善本を殖やしました。この時に日月燈明仏は無量義教菩薩法仏所護念という名の大乗経を説き、これを説きおわって大衆の中で結跏趺坐し、無量義処三昧に入って様々に不思議な現象を表しました。そして仏は眉間白毫相の光を放って、東方万八千の世界をあまねく照らしました。

その時の会中に二十億の菩薩がいて、この光の所為因縁を知ろうと欲しました。時に妙光という名の菩薩がいて、八百の弟子がいました。この妙光菩薩に因り、日月燈明仏は妙法蓮華教菩薩法仏所護念という名の大乗経を説きました。六十小劫座から起きず、聴者もまた六十小劫一処に坐り、六十小劫身心は不動でありながら、まるで一食の時間のように仏の所説を聴きました。衆の中で身や心に懈さや倦みを生じたものは一人もいませんでした。そして日月燈明仏は六十小劫において法華経を説きおわってから、梵・魔・沙門・婆羅門・及び天・人・阿修羅衆中において、入涅槃の宣言をしたのです。時に徳蔵という名の菩薩がいました。日月燈明仏は授記をして、次に当に仏となるのは徳蔵菩薩だと諸比丘に告げ、浄身多陀阿伽度阿羅訶三藐三仏陀と号しました。

仏の滅度の後、妙光菩薩は妙法蓮華経を満八十小劫持ち、人の為に演説しました。日月燈明仏の八子は皆師が妙光で、妙光が教化して阿耨多羅三藐三菩提を堅固にさせました。この諸王子は無量百千万億仏を供養して皆仏道を成し、最後の成仏者の名を燃灯といいました。八百弟子のある一人は求名と号され、利養に貪著して衆経を読誦するといえども通利ではなく、多所忘失で、ゆえに求名と号されました。この人もまた諸善根因縁の種を以てのゆえに無量百千万億諸仏に会うことができ、供養・恭敬・尊重・讃歎しました。弥勒、当にその時の妙光菩薩は異人ではなく我が身のことです。求名菩薩は汝が身のことです。今見えるこの瑞も異なるものではなく、今日如来は当に妙法蓮華教菩薩法仏所護念という名の大乗経を説こうとしているのです。

・・というように実は法華経二十八品の中で、過去にも法華経が全ての仏の究極的な教えとして説かれたということが幾度も詳細に示されています。化城喩品では大通智勝仏が、常不軽菩薩品では威音王仏が、それぞれ法華経を説いています。日月燈明仏の弟子の妙光菩薩も、大通智勝仏の弟子の十六菩薩も、それぞれ仏の入滅後に法華経を説いています。威音王仏の滅後には、常不軽菩薩が「我深敬汝等、不敢軽慢。所以者何、汝等皆行菩薩道、当得作仏。(我れは深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし。)」という二十四文字の法華経を唱えています。威音王仏の法華経は二千万億の偈から成り、大通智勝仏の法華経は八千劫以上かけて説かれ、ガンジス河の砂の数ほどの偈から成るとされています。これらは全て法華経です。

過去仏の法華経を「広」の法華経とすれば、「略」の法華経は法華経二十八品となります。

法華経二十八品を「広」の法華経とすれば、方便品や寿量品等は「略」の法華経になるでしょう。常不軽菩薩の二十四文字の法華経は「略」もしくは「要」の法華経になるでしょう。

法華経を八字に要約するとしたら、法華経普賢菩薩勸發品に説かれている「當起遠迎當如敬佛」です。これは「要」の法華経になるでしょう。

日蓮大聖人は御義口伝にて、「釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり」と仰せです。

さらに、法華経方便品には「如我等無異」と説かれています。これは「要」の法華経になるでしょう。

日蓮大聖人は御義口伝にて、「師弟感応して受け取る時如我等無異と悟るを悟仏知見と云うなり、悟つて見れば法界三千の己己の当体法華経なり此の内証に入るを入仏知見と云うなり秘す可し云云」と仰せです。

そして、法華経譬喩品には「以信得入」と説かれています。法華経は信心を説いているのです。信心とは、信じる心です。これは「要」の法華経になるでしょう。

日蓮大聖人は法華経に「広・略・要」を立てられ、御自身の南無妙法蓮華経は「要」の法華経です。また、創価学会第二代会長の戸田先生は、法華経二十八品と天台の摩訶止観と大聖人の南無妙法蓮華経を三種の法華経と呼んでおられます。

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2015/9/12 20:40:02

皆様、ありがとうございました

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2015/9/1207:50:58

法華経が釈迦の教えの本分を説いている ということで、その経典を重んじるのはい いのだが、日蓮上人の仏法上の名前である ことが、今ひとつ引っかかるところでもあ るのです。つまり、教祖を崇拝することを 本願とするのは、現代でいうカルト宗教の 特徴であり、宗派創設の本分は釈迦の教え を伝え、導くための尽力の思いによらねけ ればなりません。

それに対し、自分を崇拝することが、先 に立つのでは悟りの内にある仏への謙虚さ をどこで示すというのでしょう。

さらに日蓮には、「四箇格言」なるもの があります。

四箇格言-Wikipedia

この中で、禅や念仏をことごとく否定して いるのですが、それが自分の進める方法の すぐれた側面を伝えるためにではなく、悪 者扱いといった傾向があるのが、気になり ます。

「他の方法より、自分のすすめる方法が すぐれている。よって、この道を選びま しょう。」っていうならいいのですが、 「禅は天魔の所業」、「念仏は無間地獄へ の法」と言い切ってしまうところが問題で す。

釈迦の教えを理解、実践し、悟りを開 く、救いを得るといった方向から完全に反 れてしまうでしょう。もちろん、法華経の 中には釈迦の説いた重要な部分があるで しょうが、いみじくも同じ目的で求道して いる者たちに対しての尊敬の念があっても いいでしょう。

そういった、謙虚さがないのなら、どれ ほどの人格かと疑ってしまう部分ではあり ます。

JoJonさん

2015/9/1011:21:20

こんにちは。

法華経を南無妙法蓮華経と表現したのは、日蓮聖人です。よって、「法華経=南無妙法蓮華経」ということが通じるのは、日蓮系の宗派・教団だけです。

日本では、日蓮系の宗派・教団が多いので、日蓮聖人の法華経解釈を受け入れる方が多いのですが、インドで編纂されたサンスクリット語の『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』(法華経)、サンスクリット語の法華経を鳩摩羅什が漢訳した『妙法蓮華経』、天台大師智顗の妙法蓮華経の解釈、日蓮聖人の妙法蓮華経の解釈はそれぞれに異なります。

法華思想を語る時、『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』『妙法蓮華経』、天台大師智顗の妙法蓮華経の解釈、日蓮聖人の御書を同じものと観れば誤解が生じます。これらの思想は異なるものだと知っておく必要があります。たとえば、『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』には釈尊以来の平等思想が根本にありますが、日蓮聖人は他宗批判をし、折伏をしています。このことだけでも、非常に大きな違いがあります。

合掌

sto********さん

2015/9/902:53:37

日蓮の持論ではそうなります。

南無妙法蓮華経を打ち出したのは日蓮ですから。


主に天台宗で学んだ日蓮ですが、天台宗も法華経を唱えます、しかし天台宗のは法華経を唱えることで日蓮の題目とは異なります。

また、法華経には半分近くに後の加筆がみられ、日蓮が全てを把握していたかは疑問です。

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