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五式中戦車チリの車両前方に装備されている機銃があまりにも巨大なのですが、名前...

kob********さん

2015/9/1617:36:07

五式中戦車チリの車両前方に装備されている機銃があまりにも巨大なのですが、名前と口径を教えてください。
また、なぜあそこまで大型化したのでしょうか?

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ton********さん

2015/9/1622:37:46

あの太いのは一式三十七粍戦車砲。
同軸で九七式車載重機関銃(連装用)1挺を装備します。

連装用と言うのは日本独自の呼び方で、要するに同軸機関銃のこと。

何故、わざわざ連装用の機関銃を使うかと言うと、日本の戦車の37mm、47mm、57mm(チハなどの短砲身砲)戦車砲は、肩押し式(ただし、俯仰ハンドルを併設する場合あり)で砲塔を動かさなくても左右に少し振れるようにしてあったから。
(重い砲塔を旋回させなくても左右の修正が出来る。)

逆に、同軸機関銃を装備すると、機関銃の反動は左右に振る軸を挟んで肩押しパッドの反対側で発生するので押さえられないからで、連装用の車載機関銃は銃口にコンペンセイターをつけて反動をマイルドにしている。
(ついでに、その開発に手間取ったために日本の戦車はなかなか同軸機関銃を装備出来なかった。)

つまり、チリの副砲も、左右に振れるようになっている。

なお、チリの副砲と連装機関銃の装備は、ケニ用に開発された一〇〇式三十七粍戦車砲をベースにしたと言う説もある。

副砲を装備した理由は不明。諸説を挙げてみる。

●行進間射撃用
そもそも肩押し式の砲は行進間射撃用(肩押しパッドで素早く動かすことで、走行による揺れに逆らって照準する)。

チリは開発開始時点で砲安定装置の装備を検討していた。
上記の通り、反動の面でかなり無理があったが47mm砲には肩押しパッドを俯仰ハンドルに併設していたくらいで、実は日本は行進間射撃にかなり拘りがあった

南方の島で戦う時も、上陸するアメリカの戦車に稜線から現れて素早く射撃して引っ込むと言う戦術はある程度効果があったようで。現れてすぐに砲を撃つためにも素早い操砲は必要な訳。
しかし、75mm砲になると肩押しは無理。

砲安定装置の開発(と言うかアメリカの戦車からコピーしようとしたんだと思うが)は進まず、結局、主砲の行進間射撃はあきらめたが、代わりに肩押し式で撃てる副砲を装備した。

もう1つ補足すると、始めは副砲の装備は考えておらず、検討段階で追加したと言うから、検討段階で変化した事情による可能性があり、砲安定装置の装備が無理と判断されたことと合致する。

●主砲弾がもったいない。
チリは一説には多砲塔戦車「オイ」を現実的に設計し直したと言う。
主砲で撃つまでも無い目標は副砲で、と考えた可能性がある。

●機関銃の補助
良く誤解されているが、日本の37mm砲は対戦車専用ではなく、狙撃砲から発展した平射歩兵砲から発展した。

どう言うことかと言うと、榴弾で歩兵や機関銃陣地を撃つのにも使われる。ってこと。

他国の場合、37mm砲は榴弾が撃てないか、撃てても散弾の方が効果があるような物が多いので、37mmと聞くとそれだけで対戦車用だと思い込んでいる人がいるが、日本の場合は歩兵砲であり、敵歩兵や半固定陣地の攻撃に多用する。

●主砲の砲撃間隔を補う。
この説は根強いのだが、おかしな説である。
37mm砲が75mm砲を補える訳はなく、また、開発途中で装備を検討したことや、他の75mm砲を装備した戦車では副砲装備を検討していないことと辻褄が合わない。

また、行進間射撃を模索して半自動装填装置を装備したチリに必要で、チトには不必要と言うのもおかしい。
(チトは長砲身57mm砲を主砲として早目に開発されてはいるが、チリの副砲も開発途中で追加している。)


などなど。

なお、チリが半自動装填装置を装備したのは、何も少ない戦車で多数を相手にしようとしたからではなく、日中戦争以降の食料事情の悪化などもあり、当時の日本人の体格では75mm砲弾の装填が困難と判断されたためだと言われてます。
(行進間射撃を意識したから特に必要とされた可能性もある。)


じゃあチトは?と言うと、チトは長砲身57mm砲、統制型ディーゼルの小ぶりな設計から砲塔を無理に拡大した戦車だったからかと。


なお、チリは操縦系もかなり工夫して、非常に軽く操縦出来たとされており、さらにガソリンエンジンを採用している。(ターボディーゼルも開発中。)

他方で最終的にはチト量産型か長砲身型チヌを量産すると決定している。

で、チリは大口径砲搭載の砲戦車(戦車駆逐車的な)の車台にするつもりで、戦車としては採用するつもりはある時点で無くなっていたと言う説もある。

日本は太平洋戦争が長期化したが、まだ余裕があった時は、いずれ日ソ不可侵条約を延長せずにソ連と対決すると考えていたようで、実はオイやチリは対ソ連戦のための習作として実験的に作っていたと言う説もあります。
(実験的と言うと、行進間射撃も模索したし、統制型では無い大馬力エンジンを必要とする仕様にしたこととも合致する。)

で、実は新砲塔チハやチヘ、ケニのために開発した連装機関銃(と言うか、同軸機関銃付きの砲)を試して見たかっただけかも知れません。

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zez********さん

2015/9/1620:15:38

日本軍の内部資料は例によって敗戦後米軍が進駐して来る前に片っ端から焼却処分されてしまっっており、はっきりとした理由は判っていませんが、どうも他の資料から類推する限りでは「主砲が大型で装填に時間がかかり発射間隔が長くなるため、その間に射撃することが出来る副砲が必要だ」という観点があったのは間違いないようです。歩兵や敵火点、対戦車砲なんかに出くわした場合に即座に反撃できるように、ということで、要するに「超すごい前面/同軸機銃」として装備したと考えられています。
日本側はどうもこの「主砲の大口径化による発射速度の低下」にえらく拘っており、チリ車の開発が遅延する大きな理由となった半自動装填装置の開発もその懸念が原因です。少数で多数の敵戦車を相手にするから機動性と射撃速度を重視せよ……なんだか90式戦車の要求仕様を思い出しちゃいますねぇ。アレもソ連本国仕様のT-72(湾岸でエイブラムスにボコられた奴とは別次元の戦闘力を持つ戦車です)の大軍を少数で撃退することを想定した戦車ですから。

kajutagさん

2015/9/1619:54:44

先の回答者さんのおっしゃるとおり、37mm砲ですね。

チリの開発が本格スタートしたときの連合軍の強敵はM3中戦車。こいつのせいではないかと疑っている。

時代遅れというより、そのときの強敵にあわせた、という感じがしているけど、どうだろう?

er3********さん

2015/9/1618:04:00

37mm副砲ですよ
実際に役に立つかはわかりません

2015/9/1617:45:32

あれは機関銃では無いですよ。
”1式37mm対戦車砲”です。

まぁ時代遅れな思想ですね。

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