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中世ヨーロッパの騎士の甲冑姿を見て思いましたが、ローマ帝国みたいに華やかさは...

気持ちは穏やかさん!さん

2015/10/2023:12:42

中世ヨーロッパの騎士の甲冑姿を見て思いましたが、ローマ帝国みたいに華やかさは無い物のチェーンメイルで固めて古代、

ギリシャのスパルタのような都市国家の半分裸みたいな武装よりも防御力や製鉄技術は上がってると思いませんか。
ただ、弱点を言えばモンゴル帝国とかの蒙古相手の騎馬軍団と戦うと素早い動きが出来ないのが欠点ですよね。

チェーンメイル,防御力,モンゴル,スパルタ,モンゴル帝国,中世ヨーロッパ,騎馬軍団

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2015/10/2102:34:04

13世紀にモンゴル帝国がヨーロッパを大規模侵略した際には
ポーランドのキリスト教騎士団やチュートンナイト軍団は
モンゴル弓騎兵部隊にまったく対処できず蹂躙されまくったそうですね。
あまつさえ馬足でも負けていて逃げることすらできなかったとか。
ヨーロッパ騎士勢の戦術があまりにも無策だったせいで
ほぼ一方的に15万人くらい殺されたそうです。

日本は海に囲まれて台風のラッキーが重なり助かりましたが、
モンゴルは強すぎます。

13世紀にモンゴル帝国がヨーロッパを大規模侵略した際には
ポーランドのキリスト教騎士団やチュートンナイト軍団は...

質問した人からのコメント

2015/10/25 21:56:59

強すぎるし勇まし過ぎます。

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kak********さん

2015/10/2023:33:36

その装備の場合、貴方のおっしゃる通り、確かに機動力の低下は確認出来ます。が、モンゴルの騎馬隊の場合、騎手は重装備をしてしまうと、馬の速力及び、体力の低下が推定されます。恐らく、ヨーロッパの騎士団とモンゴルの騎馬隊が交戦した場合、モンゴルは勝率3~4割、ヨーロッパは勝率6~7割と考えるのが妥当と思われます。

aga********さん

2015/10/2102:25:39

そうですね。
古代ギリシア時代、古代ローマ時代と比べれば製鉄技術は向上し、同じ重量でもより高い防御力、同じ防御力でもより軽い重量といったように進歩があったことでしょう。

ちなみに騎士(重騎兵)の鎧は時代が進むにつれて徐々に防御力が高まっていっています、その逆に防御力が下がることは無かったようです。
古くは服の上にクロスアーマーというもこもこした対打撃武器鎧を着て、その上から対斬撃武器鎧であるチェーンメイルを着ました。
それが十字軍の頃になるとチェーンメイルが体の大部分を覆うようになり、兜も画像のようなバケツ型になりました。
そしてさらに時代が進むと複数枚の鉄板を繋いだ、いわゆるプレートアーマーが登場したことで一応防御力は頂点に達します。
しかし、あまりに暑く、あまりに重く、あまりに視界が悪く、あまりに味方からの指示等が聴こえないという問題があったことから「防御力を無理してでも上げるのはやめて、防御力を維持あるいは微増程度に留めつつ、重量軽減、使いやすさ強化を目指そう」という大きな方針転換を迎えます。

そして、最終的には全身をくまなく覆いながらもそれほど重くなく(少なくとも一般的な動作は普通に行えるもの)、敵の攻撃を防ぐパーフェクトな鎧が完成します。
ただ、ここまできても熱が籠って蒸し焼きになるのは避けられなかったようですが……。
ところで、この頃になると(かつてと比較すると)大規模な戦争は無くなったうえに、遠くないうちに銃砲火器が流行するので一気に騎士甲冑は実戦から消えていったようです。

まぁ、最終まで強化しきった騎士甲冑をまとった戦士同士の戦いでは斬撃・刺突が効果的でなく、鎚を使って殴り殺すか、助走つけてタックルするか、取っ組み合いから鎧の隙間に短剣をねじこんで殺すか――いずれにしても「騎士らしくない」戦いになたようですから、ある意味では良かった……のでしょうかね?

2015/10/2118:01:55

中世騎士時代とギリシャ・ローマ時代を比べたら天と地ほど技術差があります。

ギリシャやローマ時代は鉄がかなり貴重なもので、また板金鎧(アーマー式)は加工技術の稚拙さから身体にフィットせず、あまり普及しませんでした。(映画などではなぜかこの板金鎧がローマ軍の象徴のようになっています)

ローマ時代はほぼ全時代を通して鎖帷子が用いられました。


一方で数百年後、鉄の技術が向上した中世も10世紀頃になると、プレート式(板金鎧)が進化し、鎖帷子の上に着用するようになりました。市民兵や志願兵のような歩兵大隊を使ったローマと違い、中世に全身鎧を着けたのは少数の特権階級である騎士達のみです。他の歩兵は略奪品や簡易鎧がほとんどです。

こうして贅を凝らした豪華な鎧が沢山登場するに至ったのです。カネの掛け方、時代による金属加工の進化、鉄資源の普及でローマ時代より遥かに強く便利で高度な鎧になりました。

初期のアーマーは楔帷子の上にプレートを、頭はさらにグランドヘルムというバケツのようなものを被り二重にしました。

次第にさらに加工技術が上がり、表面に波打ち模様を入れたり、丸い形にして防御力と貫通防止力を上げ、少ない金属で古来と同等の防御力を得られるようになると、軽くて強力な無敵の防御力を得ることになりました。しかもカネをかけて皆自分にフィットしたオーダーメイド鎧を使ったのでカネ持ちほど強いです。


弓による攻撃は至近距離であればプレートを貫通することができ、騎士が支配階級だったヨーロッパでは、自分を貶める結果になる弓やクロスボウと言った飛び道具の使用を極力控えました。その結果、身内での戦争では馴れ合いで、試合同然の死人がほぼ出ない戦争が繰り広げられました。殺すより、相手を降伏させて身代金という名の賞金を相手から得るのが仕事です。

モンゴルの襲来はまだ波打ち模様のアーマー(マクシミリアン式)が出る前の話でしたが、全身を覆う鎧は完成していました。

モンゴル軍はそういう事情など一切知らないので、コンポジットボウという射程も威力も連射力も西洋弓より優れた騎乗短弓を使いました。騎士は鎧のせいではなく、それ以前にモンゴル軍ほど馬を乗りこなすこともできず、更に射程が足りない弓ではモンゴル軍に攻撃は届かず、得意の槍突撃は接近する前に対処され、近づこうとしても機動力に劣るためモンゴル軍に迫ることすらできません。

こうしてモンゴル軍は鎧の性能で勝る西洋軍に圧倒しました。


西洋軍は馴れ合い戦争のために攻撃力がなく、防御側に大きく進化したのに対し、モンゴルは殺すための軍隊だった点が最大の差です。

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