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狩猟民族のアイヌ人は江戸時代に松前藩から米を買って食べるようになる前は肉食人...

yns********さん

2015/11/1015:58:08

狩猟民族のアイヌ人は江戸時代に松前藩から米を買って食べるようになる前は肉食人種だったのでしょうか?米や麦のかわりに縄文人のように栗などの木の実が主食だったのでしょうか?

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oji********さん

2015/11/1215:19:06

>>縄文人のように栗などの木の実が主食だったのでしょうか?
随分、アイヌを原始的なイメージで捉えているようですね(笑)。現実的には、アイヌは「擦文文化期(約6世紀~中世)」には、既に、ヒエ・アワ等の雑穀類を栽培しています。ただし、中世以降、アイヌは生業を「交易」に特化させていき、熊、キツネ、海獣などの毛皮、及びサケ、昆布などの海産物を輸出し、代わりに米や金属器など輸入してきました。従って、「近世アイヌ=狩猟採集民族」ではなく、「近世アイヌ=交易民族」と捉えたほうが良いでしょう。

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ren********さん

2015/11/1215:29:07

アイヌは栽培が簡単なアワやヒエなどの雑穀類を栽培していましたが、北海道では栽培が難しかった米は松前藩との交易で輸入していました。

肉「も」食べるというべきでしょうか
発想が逆でして、本土と交流が出来る前には自前で原始的ながら農耕技術はありました
本土との交流で鉄器が輸入されるようになると、鉄器を使った農耕になります
そして、その後のゴダゴダで鉄器輸入がストップして農耕技術も一気に廃れたわけです

him********さん

2015/11/1016:35:52

狩猟民族といいましょう。肉食人種という言葉はないのですが、しいて言えば遊牧・酪農民族ですか。
アイヌの人々はもちろん、あまり家畜を買う習慣はありません。
主食は鮭やニシンなどの干物で、これらに偏っていたのは昔から本州人から米を入手する交易が盛んだったためと言われています。北海道でしかとれない昆布を平安時代から広く西日本でも食べられていたことからそれが伺えるかと思います。
松前藩が来る前からアイヌ人はずっと交易をしており、江戸時代に入るとその傾向が顕著になったというだけです。
農業も行っており、米は寒くて作れないため、ヒエ、アワ、キビといった寒さに強い雑穀を作っていました。しかし、これらは主食にするというよりもっぱら酒を造るために植えられていたようです。

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