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戦国武将 上杉謙信は佐渡の金山を有効活用できたのでしょうか?

フルーティストさん

2015/12/1221:59:11

戦国武将 上杉謙信は佐渡の金山を有効活用できたのでしょうか?

武田謙信は黒川金山の金を
部下に恩賞としてあげる。
支配地域の占領政策、戦争する土地の豪族の買収、
敵対する大名の土地での一向一揆の後押し、
治水政策、最新兵器の鉄砲の開発 と有効に使っていたようですが、

上杉謙信は それと同じように金を有効活用したのでしょうか?
上杉謙信は金の使い方が下手なのでしょうか?
または 他にお金を使うことがあったら教えてください

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gpx********さん

2015/12/1309:37:31

上杉氏と鉱山といえば、どうしても佐渡の鉱山を連想してしまいます。
佐渡の西三川の砂金は以前より採取されていましたが、鶴子(つるし)銀山など謙信時代すでに稼働されていたかは疑問があると言われています。また、その頃上杉氏の佐渡領地化が徹底していたかについても疑わしいと言われています。

天正後期に景勝の手で佐渡の領地化が実現し、天正17(1589)年5月、秀吉の景勝宛て書状に、西三川砂金は伏見大坂への上納を命ぜられています(諸国金銀山の公儀所属、公有主義を主張し、秀吉への運上を指示したもの)。また、文禄4(1595)年正月と推定される秀吉朱印状に、「越後佐渡両国金山は景勝に預け置くが、代官を任命し秀吉への運上を申し付けよ」とあります。この越後金山の運上高は慶長3(1598)年の豊臣氏蔵納目録では諸国金山中で最多でした。

この越後金山は、あるいは高根金山(岩船郡朝日村)とも思われます。高根金山関係の現存史料は文禄以前のものが無いようですが、採鉱が謙信時代に遡る可能性はあります。
隣国越中には近世「七かね山」と呼ばれる七か所の鉱山が稼働されていました。中でも松倉・河原波の二金山(旧下新川郡松倉村、現魚津市)の開坑は古く、前者は15世紀初期頃、後者は天文2(1533)年と伝えられ、慶長期頃は盛山で、特に松倉金山は金沢藩の大きな財源でした。
元亀3(1572)年、謙信は越中に入り魚津城をはじめ松倉城・金山城を攻略し、天正10(1582)年6月に柴田勝家に奪われるまで、上杉氏の支配下にありました。ですので、謙信の時代には松倉・河原波の産金は掌握していたものと思われます。

さて、謙信の金の使用について数例。
永禄2(1559)年6月、比叡山に登り金銀を施し、次に男山石清水に詣り金若干を納めたとあります。
『御湯殿上日記』永禄7(1564)年7月の条には「御れう(料)所おとどしふんかね(金)三まい参、一まいちいさく候」とあります。
天正3(1575)年には使僧を高野山へ送り一院を興し菩提所することを約しますが、剃髪の披露として学侶・衆徒に金100両、宝性院に金10両を寄進しました。
軍資としては、天正元(1572)年12月の関東出陣にあたり、玉井豊前守宛ての書状に、矢銭として木戸・菅原両人に金200両を弁置させるため使者関口に渡付したことが記されています。

なお、謙信の死後、春日山城の在庫金として、3万8千両ほどが蓄えられていたようです。

領内の鉱山は戦国大名にとっては重要な資金源だったので、記録として伝わっていないだけで、謙信も信玄のように様々な形で活用していたと思われます。特に下手だったということはないと思います。一度出兵するだけでも、かなり資金が必要になるでしょうし、寺社や朝廷への寄付もあったでしょうが、ほとんどが軍事に使われたのではないでしょうか。

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ren********さん

2015/12/1320:06:24

上杉謙信の時代は佐渡は上杉(長尾領)ではなく本間氏と呼ばれる佐渡の豪族が事実上支配していました。
佐渡が上杉の領土に組み込まれるのは上杉景勝の時代です。
ただ領土化はしていなくても佐渡金山の権益はかなり持っていた(長尾というよりも長尾の主筋であった越後上杉氏が所有していたが上杉の名跡を受け継いだ長尾氏が事実上継承した)ようで、上杉謙信はかなりのたくわえをしていたようです。
ちなみの佐渡の本間氏は江戸時代に日本一の大地主と言われた酒田本間氏の本家であり、本間氏が景勝に滅ぼされたときに分家の酒田本間氏の先祖が越後、後に酒田に移ったのが始まりです。

oia********さん

2015/12/1222:06:14

上杉謙信の時代は、まだ佐渡を支配下においてはいません。佐渡が上杉氏の支配下になるのは景勝の代のことです。
ですので、謙信が佐渡の金山を活用するという事はありませんでした。

謙信とお金に関しては、謙信は「青苧」という衣類の原料の交易で、巨額の富を得ていたという話が有名です。
謙信が死んだとき春日山城には膨大な金が蓄えられていたといいます。

謙信のお金の使い方については、特に上手かったとか下手だったとかいう話は詳しく知りませんが、使い方としては、京の朝廷や幕府への工作資金として使っていたという話を聞いたことがあります。

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