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カインはヤギではなく「地の産物」を主に供え物としたことは、罪になったと思いま...

ton********さん

2016/1/1118:26:40

カインはヤギではなく「地の産物」を主に供え物としたことは、罪になったと思いますか?

"カインは「地の産物」を持ってきて、主に供え物とした。アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。
そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。"創世記4章

①贖罪の献げ物だったなら、牛、羊、山羊、鳩、さらに小麦が対象ですね。(レビ5章)
小麦は、鳩にも手が届かない貧しい人の場合のようですから、カインは山羊または鳩を供え物とするべきであったようです。
”血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。”ヘブル9章

異なる物を意図的にささげるようなことをする人は主に打たれて死にました。
"アロンの子ナダブとアビフとは、おのおのその香炉を取って火をこれに入れ、薫香をその上に盛って、異火を主の前にささげた。これは主の命令に反することであったので、主の前から火が出て彼らを焼き滅ぼし、彼らは主の前に死んだ。"レビ記10章

ここでは、カインは「地の産物」をささげても"主に打たれて死"ぬことはありませんでした。

②日ごとの献げ物、安息日の献げ物、一日の献げ物、除酵祭の献げ物、七週祭の献げ物では、牛や羊、小麦粉、オリーブの油、ぶどう酒をささげることになっていました。 民数28章

このささげ物の場合は、家畜と「地の産物」がセットになっています。
アベルのささげ物とカインのささげ物が1つのセットになっているならば、カインのささげ物だけが"神に受け入れられない"事にはならないようです。

カインが「地の産物」をささげ物とした事が罪とされないなら、アベルを妬んだ事が罪ということになりそうです。
2人で、1つセットとなっているささげ物をもってきたのではなく、別々にささげたということであるのなら、2人の間に不一致・不調和・敵意・反対などがあったということが言えそうです。

③"もし正しい事をしていないのでしたら"と主は言っています。
カインは ささげものをする前に"しなければならないことがあった"ので、神が顧みられなかったという事なのでしょうか。

"あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。"マタイ5章

カインにアベルに対しての罪があったのなら、ささげ物が何であろうかと関係なく、カインは供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってアベルと和解しなければならなかったのにカインはそうしなかったので、"殺すな。人を殺した者は裁きを受ける。"ということになってしまったのでしょうか。

④ その他

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sim********さん

リクエストマッチ

2016/1/1120:57:52

カイン自身に罪の意識があったのか、なかったのか、答えはおそらくなかったのではないかと類推します。何故ならばカインは業による救いを求めたからなのです、楽園追放の後の中東(西アジア?)の荒野の中において地の産物を取るための農業が如何に大変であることが容易に推理できるからです、それに比べアベルの方はと言うと気楽にラッパでも吹きながら徘徊しながら、杖を振り回すだけで家畜たちは自らの力で増え続けるかのように見えます、まずここに"妬み"の原因があります。

神の目に留まらなかった今回の礼拝(捧げ物を供える)は、カインにとって初めての礼拝だったのでしょうか? いいえ、そうではありません、何回も何回も行ってきたはずです、では前回までの供え物は何だったのでしょうか? それは、羊だったのです、しかもその羊は弟から買わねばなりませんでした、ここにも"妬み"の種があります。両親であるアダムとエヴァから口酸っぱく言われてました、いいかい息子よ・・・ まだ楽園に居た時神はこうしてくれたんだよ、創 3:21 主なる神は人とその妻とのために皮の着物(動物の血が流された)を造って、彼らに着せられた。だから息子よ神と交わるときは"血"が不可欠なんですよ、レビ 17:11 肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。

しかし、兄は考えます、血よりも汗の方が尊いのはずだと・・・ ここに神の視線から見たカインの罪が露呈されます。箴言 27:4 憤りはむごく、怒りははげしい、しかしねたみの前には、だれが立ちえよう。

顔を伏せるのは"罪"です。
顔を上げるのは"悔い改め"です。

確かにレビ記には五種類の捧げ物のことが記載されてますが、創世記のここではそれ程厳密に考えなくとも良いのではと思います。

質問した人からのコメント

2016/1/12 19:38:08

>血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。

ゴスペル(Because of the Blood) でも歌われていますね。

The blood that set me free
It came from a life of sin and tragedies
I am born again , free from sin Because of the blood

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