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昔、男、友どちかいつらねて、住吉の郡、住吉の里、住吉の社にまうでけり。霜月の...

chielien_77e64f51dfc16e2eabb84dbさん

2016/2/814:52:14

昔、男、友どちかいつらねて、住吉の郡、住吉の里、住吉の社にまうでけり。霜月のはじめごろにて、夕さりがたのそら霜をれて、海ふく風の、潮しみて、いと寒し。生駒山を見れば、冬がれのところどころ、赤はげて、西

に入る日のかげにあらはにて、あいなく、見る見る寒げなり。今宮村を北に横折れくれば、長町の南がしらなり。
むつかしげなる家ども、ひしひしと立ちならびたる中に、旅籠屋のところ得顔ながら、時ならねば、ゐなか人のやどりも、まれまれにて、火おこさぬ夏の炭櫃の、とうちながめて過ぐるに、青物菓物あきなふ家は、よしず簀たてかこひて、たばね薪、はかり炭、それこれと賑はし。塩魚なにやかや、しびら目黒の切りうり、干鰯のいささか皿にもりたる。唐きびもち、あかむしの切目だかなるにも、大路のつち風やかづくらむ。香のもの、くき漬けのにほひ花やぎたるが中に、芋むす湯煙ぞあたたかげなる。日は西に沈みはてて、風いとどあらぶきだち、厚ごえて着たるさへ、夕しめり身にしみて覚ゆ。
此のほとりに宿りとるとて、あさましげなる者等、たちつづきてかへりきたるを見れば、垢じみたるものに、つらおしつつみたるうばらの、手にかぶら菜二かぶばかりくくりさげて、物得たり顔にゆくもあり。はやく宿れるは、一銭が塩、二銭が餅、これかれ求めありく。此のあきなふ家も、ここにとし月住みふりたるは、さるものらも、いぶせういやしめず、それめすか、これぞよかめるなど、心よげなり。
辻ぎみ五六人、ひきき足駄の音、こぽこぽとひびかせ、髪はぬれぬれとあげて、白きもの衿にうつらふまで、きはぎはしくぬりたて、色あひたしかならぬものひきかさね着て、からからと、物たからかに言ひつつ、北ざまにあゆみゆく。さらにさらになさけしくこそあらね、彼もまた、かなしういひかはしたる男もあるべし。また、親、男のために、我が身はあるものともせず、よひよひ出でたつもありとや。あはれのみさをや、わりなのまことや、とうちながめらるる。
やうやう道頓堀に来れば、たちまち異国にいたりしかとおぼゆ。夜芝居の設けあすの夜よりと、櫓幕、翩々とひるがへれる。此のふく風は、さきざきのにはあらぬや、とおもふも、うつりやすのひと心や。

これの「さきざき」が未来なの過去なのか教えてください!

辞書には過去の助動詞がなければ未来だと書いてありました!

よろしくお願いします!

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ベストアンサーに選ばれた回答

hanaoka7643さん

2016/2/816:37:23

「さきざき」は仰る通り、以前のことと将来のことと両方を意味する名詞です。どちらを意味するのかを判断するには、助動詞ももちろんその一つではありますが、全体の文脈を考えなければなりません。

此のふく風は、さきざきのにはあらぬや

ここでは、「さきざきの」が修飾する名詞が省略されていますが、一体何が省略されているのかをまず考えましょう。

次に文章全体の流れを確認しますと、知り合いを連れた男が住吉大社を参拝したあと今宮村を通り、長町の南がしらを通りどんどん北上して最後に道頓堀に出た、という流れになってますね。季節は冬、時刻は夕暮れから夜へと変わっていっています。寒い冬の夜を表す表現として何度か文中に出てくるものがあります、それは一体なんでしょうか?

最後に一番大事なことは、「此のふく風は、さきざきのにはあらぬや」という文章で筆者は道頓堀がどんな場所だと伝えたいのか、ということを考えることです。寒い冬の日暮れにひなびた漁村を通り、むさ苦しい人々の姿を見たあとに、華やかで今までとは違うまるで異国のような道頓堀に出てきた、そのときの筆者の感想がこの文章なのです。これらを踏まえて現代語訳すると、「ここ(道頓堀)に吹く風は、さきほどまでの(冷たく荒れた)風ではない」と、なります。よって質問の答えとしては、ここでの「さきざき」は「過去」を表します。

・海ふく風の、潮しみて、いと寒し(今宮村)
・大路のつち風やかづくらむ(長町)
・風いとどあらぶきだち、厚ごえて着たるさへ、夕しめり身にしみて覚(長町)
・此のふく風は、さきざきのにはあらぬや(道頓堀)

もちろん、道頓堀で吹く風も長町で吹く風も大して変わりない冬の夜の冷たい風でしょう。それでもその場の雰囲気や人の気持ちによって、感じ方が変わってしまうということを「うつりやすのひと心や」と述べているのです。

ベストアンサー以外の回答

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2016/2/915:43:01

kiebine2007さん

バカバカしくて突っ込む気にもなりません

無意味に絡むにしても もうすこしマシなことを言ってください 面白くないから……

kiebine2007さん

2016/2/819:01:23

文脈と言うほどのことはありません。「此のふく風は、さきざきのにはあらぬや、とおもふも、うつりやすのひと心や。」とあるところで、未来の風がどうやって今吹くのでしょうか。空想なら兎も角、物理的には有り得ません。過去の風なら、さっきの風が今も吹き続けていると解釈できます。
岩波古語辞典には、「さきざき(先先)、以前。まえまえ。」とあって、過去の意味しかありませんが、明解古語辞典には、②将来、とあって、両方載っています。どっちの辞典が正しいのか、分かりません。
追記、あなたの見たという辞典の出版社や名前などを教えて下さい。過去の助動詞が無ければ未来だなどとは、ずいぶん変わった説明です。

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カテゴリマスター

2016/2/816:50:03

過去です。

そう訳したはずです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1115549612...

この今吹いて要る(「いる」の誤変換)風は、「さっきの」風ではないなあ、と思うにつけても、
なんと移り変わりやすい人の心よなあ。

文脈から明らかです。

前の文中に、
「「海ふく風」の、潮しみて、いと寒し。」
「~あかむしの切目だかなるにも、「大路のつち風」やかづくらむ。」
「日は西に沈みはてて、「風いとどあらぶき」だち、厚ごえて着たるさへ、夕しめり身にしみて覚ゆ。」
と、「潮気を含んで、冷たく、わびしげな風」の描写があります。

それから「やうやう道頓堀に来」て、
外国に来たのかと思うような、雰囲気のがらっとした変化があって、
「夜芝居」の宣伝広告の「櫓幕」が、「翩々とひるがへ」っている、
という描写の後に、
「此のふく風は、さきざきのにはあらぬや」と思って、
「うつりやすのひと心」だなあ、と述懐しているのでしょ。
この文脈で、どうして「先々」が「未来」の意味になりますか。

「さっき」は、あんまり売れ行きの良くない店の商品に土ぼこりがかぶるような、
冷たくわびしく、厚着していても身に沁みるような夕風だと感じた風を、
道頓堀に入った途端、芝居のアド幕を翻す風がいかにも楽しげだな、
と感じているのです。
「翩々たり」は、「ひらひらと軽やかにひるがえるさま」です。

大阪界隈に吹く風は同じ風のはずなのに、
「今宮村を北に横折れ」した「長町の南がしら」では、
家並みのみすぼらしい雰囲気の中、
風も「潮気を含んで、冷たく、わびしげな風」と感じ、
道頓堀に来た途端、同じ風を、楽しそうで軽やかだと感じてしまう。
それを、「人の心というものは、移り変わりやすいなあ」と言っているのです。
こんな文脈で、「将来の風とは違うなあ」という述懐が出てくるはずもないし、
それが人心の移りやすさの証明になるはずもありません。


ところで、先日、「わからない」と言っていた、
「あかむし」「しびら目魚」、ミュンヘンさんに教えていただいてわかりました。

あかむし……赤飯(小豆飯の京阪方言)
切目だか……型に入れて盛る飯を「切り飯」というから、ここは高く盛ったこと。
しびら……しいら
目黒……小まぐろ

とのことです。
遅ればせながら、情報提供します。
(俺は小豆入りの蒸し菓子(あかむし)かと思いました。)

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