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なぜ第一次世界大戦は連合国が勝ったことにされているのにむしろマルヌ、ソンム、...

riv********さん

2016/2/1202:37:25

なぜ第一次世界大戦は連合国が勝ったことにされているのにむしろマルヌ、ソンム、ベルダンなど戦争に勝った側の連合国の一員であるフランスの国土が主な戦場となったのですか。

(それに対して敗戦国であるはずのドイツの国土はまったくといってよいほど戦場にならなかった。)

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kkk********さん

2016/2/1203:31:57

それは、ドイツの国力が周辺諸国と比べて大きかったことと、どこが戦場になったかと勝敗がそこまで関係ないこととに理由があります。

まず、西部戦線において主な洗浄がフランスの国土だった理由ですが、そもそもドイツ帝国が成立した時点で欧州大陸内でのドイツの国力は当時の勢力均衡外交に適応するのが難しいほどに大きかったんです。なので戦争になった場合にドイツが盟主を務める陣営は軍事面では大きな力を持つことになります。他にもドイツ軍がフランスに先んじて攻撃を行おうとした結果フランス国内が戦場になりそこで戦線が膠着したということもあります。

次にドイツの国土がほとんど戦場にならなかったにもかかわらずドイツが敗戦国になった理由です。それは、第一次世界大戦が総力戦であったことにあります。総力戦は国家の経済力、人口、国家機能の効率性など文字通り国家の総力を動員した戦争です。そしてその勝敗は、片方の国家が物理的に占領されたり、革命で崩壊したり、物資不足で国家機能を動かせなくなったりして体制を維持できなくなることで決着します。ドイツは戦線を国外に置いたものの国家組織が戦争に耐え切れず革命という形で瓦解してしまったため総力戦での敗北条件を満たすことになりました。

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wak********さん

2016/2/1217:45:48

総力戦である戦争にの勝敗と言うのは、一方の国が戦争を継続する能力を失った場合に決します。第一次世界大戦の場合は、軍事的には1918年のカイザー攻勢が失敗に終わり、その後の連合国の攻勢で西の防壁たるヒンデンブルグ線が破られ、ドイツ軍が国境に向けて一斉交代をせざるを得なくなった時です。この時点でドイツ陸軍にはもはや、国境に踏みとどまり戦争を継続する見通しは無くなっていました。戦場がフランスやベルギーからドイツ本土に移るのは時間の問題だったのです。その上ドイツ国内には革命が起きており、戦争を継続するのが不可能になっていました。前線はともかく後方では、もはや軍は政府や統帥部の命令に従わなくなっていたのです。
この崩壊が1918年10月から11月にかけて、海軍を爆心地として発生拡大し、前線の完全崩壊の直前に国家の方が崩壊したわけです。
ドイツ本土が戦場にならなかったのは、ただのタイミングの問題に過ぎません。革命のタイミングが遅れれば、ドイツ本土が戦場になっていたでしょう。
日本だって1945年には中国本土を占領したまま、中国に降伏しています。相手の国土を占領しているかどうかは、総力戦において、その国が戦争を継続できるかどうかとは関係ありません。より多くの地域を占領するというのは、現代の総力戦においては目標ではありませんので。相手の中枢を麻痺させれば、それで戦争は終わりですから。ドイツは革命で麻痺し、日本は占領地を放置されたままの本土空襲で麻痺した。そういうことです。

sog********さん

2016/2/1217:31:04

〇だからベルサイユ講和会議でフランスはドイツに過酷な賠償を要求しルール工業地帯も占領しています。

ris********さん

2016/2/1210:41:27

国土が荒廃するしないと勝敗は全く関係ありません。
実質アメリカが負けとされたベトナム戦争では、アメリカは本土に一切被害を受けておらずベトナムが一方的に荒廃しています。

フランスと英国がインドで争った戦いでは英国が勝ちましたが、そもそも両国とも国土に被害は全くなく、国土に被害を一方的に受けたのは第三者であるインドでした。

アメリカ独立戦争では英国が一切本土被害なし、アメリカ大陸が一方的に被害を受けて国土が荒廃しましたが、勝ったのはアメリカでした。

このように勝敗と国土の荒廃や戦地化というのは繋がりません。

fri********さん

2016/2/1203:32:05

第一次大戦は、長期戦に成り、互いに塹壕にこもり、飛び出して突撃した方が不利という性質の戦争。特に西部戦線では。

さてドイツはロシア革命起こしたレーニンを亡命先スイスからロシア国境まで届けた引き換えに、革命成功した時はロシアがドイツ有利な条件で戦争から手を引く約束させたと言われ、実際ロシア(後のソ連)はドイツにベラルーシ、ウクライナ割譲して停戦しました。

これで東部戦線の兵力を西部戦線に回せるようになったドイツは、勝利かけて大突撃しましたが失敗。
前線は常にフランス国内にあったけれど、ドイツ、フランス、イギリスが疲れ果ててしまった時、連合軍(協商側)にアメリカが参戦!
このまま行くと疲れ果てたドイツは、時間が経つにつれて不利になり、前線をドイツ国内に押し戻され、敗戦が濃厚になった。
そこで停戦(休戦)を協商側に申し出たのです。

これにはまた、ドイツ国内の食糧不足などから、反戦の雰囲気が高まり、ストライキや内乱が起き、皇帝ウィルヘルム2世が退位せざる得なくなった事情も関係あります。
なぜ食糧が不足したかと言うと、制海権をイギリスに握られ、アフリカ植民地や他国から輸入が出来なくなったため。

ただ、戦争終了時、前線がフランス国内にあったため、背景に詳しく無かったドイツ一般国民は、勝っていたのに新政府(共産主義者と社会民主主義者が争い、後者が勝ち、共産化を防いだにもかかわらず)が国を裏切った、裏切りの背後にユダヤ人が居るなどの説が広がり、ヴェルサイユ条約の過酷さへの不満も加わり、ナチ党が次第に支持されていくように成るのです!

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