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明治になって共通語・標準語ができたと歴史と国語の方言のところで習ったんですが ...

yabe_1123さん

2016/3/2014:24:05

明治になって共通語・標準語ができたと歴史と国語の方言のところで習ったんですが
明治より前の時代の江戸時代などの人々達は
他の地方の方言をどうやって理解していたんですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

vlissingen79さん

2016/3/2015:25:13

旅歩きしている商売人は行った先々で地元の言葉と自分の言葉や京言葉や江戸言葉を交えながら意思疎通をしていました。標準語など存在していませんから何か共通する言葉を探し出して意思疎通を図っていました。それでも完璧に理解できたわけではありません。でも同じ日本語ですから方言差があっても英語と日本語ほどの違いがあったわけではないので、何とか理解しあえたはずです。武家の者たちは江戸詰め経験のあるものは江戸言葉が使えたはず。

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2016/3/2017:17:44

東京山の手の方言が標準語(当時)になったのが明治以降ということです。
それまでは「共通語」という概念はありませんが、上方語が共通語です。
方言話者同士は上方語で意思疎通が図れました。

テレビもラジオもありませんが、文学、能、狂言、謡など文芸は上方語です。
古典文学の朗読なども、昨今は東京式アクセントで読まれるので、勘違いされがちです。狂言は上方語であることがよくわかると思います。

これら文芸は京都から地方にまでもたらされています。

「役割語」というものがあります。
現代でもアニメや芝居では、博士や老人といった登場人物が
「わしは~なのじゃ」「ちと~せんといかんのぉ」
といったような言葉遣いをします。
これは江戸時代の上方語が基になっています。
江戸の住人であっても、知識層や頑固な老人は普段から上方語を使おうとしたのです。
だから、登場人物に上方語を話させれば、それだけでキャラを際立たせる役に立ったのです。

arisaka621さん

2016/3/2016:03:11

会話でうまく意思疎通できない場合は筆談で意思疎通を図ったりしていたようです。文語文や漢文には方言はありませんから。

2016/3/2015:18:43

近世以前は現代のような交通機関がなかった上、
関所などによって越境移動は管理されていましたから、
離れた地域の人と話す機会があるのは
一部の商人や武士に限られていて、
一般の町民や農民の間では、
異なる方言が接触するという機会自体が
あまりなかったのではないかと思います。

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