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江戸時代の東海道について質問です。神奈川宿(京急神奈川駅)と保土谷宿(相鉄天王町...

mor********さん

2016/5/2114:43:37

江戸時代の東海道について質問です。神奈川宿(京急神奈川駅)と保土谷宿(相鉄天王町駅)の間の距離が異様に短いと思います。これはなぜでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

kma********さん

2016/5/2200:16:05

東海道について調べると
・保土ヶ谷宿(程ヶ谷)は武蔵野国の西端であり、かつ3方向(大山・八王子)への分岐点としての役目もあったようですね
川崎と戸塚は後からできたようです

となると神奈川宿があの辺に置かれた理由を考えたほうがよさそうです
たぶんすぐ近くが大海原だったと思いますから平地でにぎわったんではと推測します
水源を取れる川もあったと思いますし

調べると平塚宿~大磯宿のほうが短いようです、ただしこちらは茅ヶ崎宿とならんで川の関係で近いんだと思われますが

質問した人からのコメント

2016/5/28 07:46:39

みなさんありがとうございました。

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mar********さん

2016/5/2119:18:24

神奈川〜保土谷以上に、御油〜赤坂も短いです。これは赤坂が幕府直轄領であった影響もあると思われます。

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tuk********さん

2016/5/2116:53:15

各宿場の距離は、地形や人口密集が関係して来るので等間隔ではないのでは?

五十三次と言いますが、急げば2週間で移動出来たそうです。
ですから、53個も宿場町が必要だった訳ではなく半分でも事足りたでしょう。

tan********さん

2016/5/2115:49:40

それぞれ交通の利便が良かったか、宿場が出いていたので、しょうがない。

神奈川は 神奈川湊があり、人口集積がしていたので、宿場として発展した
保土ヶ谷は 道路の交差点なので、人口集積から 宿場として発展した。

街道の整備を行ったのが、神奈川・保土ヶ谷の宿場が成立したあとなので、距離的に不都合な場所はあとから作った。

川崎と戸塚がそうなります。
品川と神奈川の間が距離がありすぎなので、途中に川崎を作る
江戸から10里で、ちょうど一日の行程になるので、戸塚を作る。

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