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毛利に以前に一度痛い目に遭わされた山中鹿介が、(尼子再興失敗による)上月城落城...

tst********さん

2016/9/604:00:06

毛利に以前に一度痛い目に遭わされた山中鹿介が、(尼子再興失敗による)上月城落城の際に再び毛利に寝返ってしまったのは何故か?

大河ドラマ「軍師官兵衛」によると、毛利軍の一員として生き

抜こうとしたところをまたしても襲われ、こんどは徹底してさばかれました。兵糧が尽きて官兵衛と別れを告げる際には、「手筈は整えている…」とあったように逃げの手段は間違いなく生きてました。まあその時は「弱ってる兵を捨てて我ら主君だけがやすやすと命拾いさせてもらうわけにはいかんだろう」と降伏を覚悟した殿(尼子勝久)との心中以外に考えていなかったからかもしれません。しかしながら、毛利に寝返って生き延びるというのは、いくら最後に勝久からそのような願い事を吐かれたとはいえ、(以前に苦しめられた経験があればなお)さすがに危険であることも察知できたはず。それでも寝返って生き延びる手段を選んでしまったのは、兵糧が尽きて飢えてる中で思考能力が鈍ってしまったからでしょうか?

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blu********さん

2016/9/606:33:04

山中幸盛は、真田信繁の真田十勇士と同様に創作読物・尼子十勇士で有名になった人で、実際にはその人物のことがよく分かっていません。

前提ですが、月山冨田城最後の大名・尼子義久は、山中幸盛の死後、幽閉が解かれて毛利家臣としてお家再興がなされます。
そして、子孫は幕末まで毛利家中で生き続けています。

これから分かることは、毛利サイドは、降伏した義久を軟禁して、尼子残党の動きを牽制・見極めを図っていたということです。

本題ですが、山中幸盛の挙兵は、最悪、義久が殺されても止むなしという動きです。
そして、彼は新宮党。
結論は、尼子義久に会うために生き残ったとする説があります。

彼が、義久をどうするつもりだったのかは分かりませんが、毛利家中でも彼の降伏を信用していなかったから、殺されたことは間違いありません。

質問した人からのコメント

2016/9/13 00:23:17

やはり毛利に寝返るのは死にに行くようなものでしたね。惜しまれる決断でした。(何とかして命拾いを図るなら官兵衛の救いの手に甘んじて逃げるが正解。)

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