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戦国の遠戦指向について。

hjx********さん

2016/9/2208:09:33

戦国の遠戦指向について。

よく、誤解されている鈴木眞也氏の戦国の遠戦指向ですが、これは、近代戦の「重火器によりほぼ勝敗は決しており、占領と残敵掃討のために突撃して白兵戦が少し行われる」とほぼ同じであります。
決して鈴木氏は白兵戦を否定したのでは無く、近代戦のような、占領と残敵掃討のための白兵戦と解釈すべきだと思います。いわゆる「首切りナイフ説」は残敵掃討なのです。近代戦なら敵負傷兵の銃剣突き刺しに値します。(現代なら国際法違反ですが)
私が遠戦指向説を支持するのは、近代戦の突撃と似ている、負傷率や死傷率まで似ている、つまり実際の戦争に整合しているからであります。
この遠戦指向説に反駁するためには、鈴木氏以上に軍忠状を調査して、刀傷や槍傷の多さを証明する以外に無いと思うのですが、他に有効な説があるのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

sto********さん

2016/9/2220:01:08

不得手な分野なうえに鈴木眞也氏の書籍はあまり読んだ事がないので史料だけ紹介します。(ご存じなら容赦くださいね)
「謎とき日本合戦史」に鈴木氏が戦国時代もまた遠戦志向の極めて濃厚な時代だったと主張していることは承知しています。

さて史料ですが、関ケ原の合戦における細川忠隆勢の首注文『綿考輯録』二巻
各備えごとに討ち取った首の数や、切り捨てた等の記載がされています。
※私の過去回答を見ればわかりますが、『綿考輯録』を私は信用していませんが一応は評価されている二次史料です。

各備えの中で鉄砲衆が最も少なく、三名を討ち取ったことが記されていますが、そのうち二名は切り捨てだった。
ちなみに細川勢は通説と異なり全軍は二千人程度で、挙げた首級(生け捕り・切捨ても含む)百三十五名。
この内容を以て白兵戦が行われていたと考える史家もいます。(白峰旬氏で、これを根拠に鈴木眞也氏を名指しで批判しています)

一応は、①鉄砲の打ち合い→②弓矢の飛ばしあい→③長柄鑓の使用→④白兵戦→⑤追撃戦という流れと承知しています。(福田誠一、河合秀郎氏)
つまり白兵戦と追撃戦は別物と考えるべきと考えています。

私も追撃戦・掃討戦を白兵戦と見做しておらず、戦況が伯仲した状況において接近戦が行われたか否かについて絞って論議すべきであり、刀傷や鑓傷の多寡で決めるのは難しいと考えています。

私が別質で回答した白兵戦の史料は『極月十三日付坪内定次宛生駒利豊書状』です。※一次史料と見做されています。
この書状には①→②→④という経過を辿っており、決戦兵力たる侍衆がいきなり白兵戦に突入したことが記されています。

  • 質問者

    hjx********さん

    2016/9/2220:45:51

    某売文作家のように、「史料絶対主義批判」なんぞに陥らぬように気をつけねばならんのですが、・・・・

    旧日本軍も砲弾・銃弾のある限り、砲撃等による「支援攻撃」、「近接支援攻撃」も行っておりました。また、ギリギリまで白兵戦に移行しない「浸透戦術」なる言葉があり、旧日本軍の常套手段だったのですが、多くの帰還した旧日本兵はこれらの言葉を発しておりません。
    それ故に、まるで、いつでも遠距離からのアホ突撃による白兵戦に頼ったごとく広まっております。

    私の言いたいのは、戦国の「史料」もその種の「白兵戦バイアス」「白兵戦定型文」で書かれていないのか?ということです。
    鈴木氏もこの「定型文」に言及しております。
    また、鈴木氏は原因不明なれど、戦国時代も後にいくほど、鉄砲の普及率が高いにも関わらず、白兵戦の比率が増えてきたことも書いています。

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質問した人からのコメント

2016/9/28 19:30:37

ありがとうございました。もう一人の方にも感謝。

鈴木眞也氏の論は、学者でない故か、玉石混淆、投石が多いですが。(笑って)

しかし、戦史研究への投石は、本当に良い刺激になっていると思います。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

mat********さん

2016/9/2211:50:59

鈴木氏の説は騎馬隊の件もそうですが今までの通説をひっくり返す事に余りにもフォーカスし過ぎている気がして余りすんなりと受け入れる事が出来ません。

私自身彼の著書は「騎馬軍団」に関するものしか拝見していないのですが、騎馬の体格を問題にするとしても実際に源平の合戦の時には騎馬武者が主力であったと言う事実(つまり当時の馬が軍用に耐えていた事実)を無視しているように思えるからです。

「遠戦指向」に関してはその著述を読んでいないので否定するコメントをする資格はないのですがキッチリと熟読されたであろう質問主さんに教えて頂きたい点があります。

それは「遠戦指向」を主張する理由として軍忠状などの一次資料から見た負傷率を元に説を展開しているように質問からは見えますが、負傷率だけではなくその合戦に置ける【絶対数】に関しては鈴木氏何か言及されておられましたでしょうか?


例えば両軍1万人程度の戦闘が惹起した場合を想定してみます。

A軍がB軍を戦闘の結果退け合戦に勝利したとします。

仮にB軍の遠戦(鉄砲及び弓矢)での負傷率が7割で残り3割が近接戦闘による結果だとしてもその絶対数が負傷3千人、つまり遠戦で2100人、近接戦闘で900人と絶対数が1千人(遠戦700人、近接戦闘300人)では評価が違ってくると思うのです。

射撃により(遠戦って聞きなれないので…)全体の2割も負傷が出れば戦線の維持は不可能で射撃の結果勝敗を決定づけたと評価できると思います。

しかし射撃による負傷が700であれば将の力量、兵の士気で異なりますが戦線の維持は可能です。

そして残りの300の近接戦闘の結果、B軍の損害が1割に達しB軍が敗走したと評価する事も可能であり、そうなると射撃は「敵戦線の弱体化」に寄与したにすぎません。


つまり負傷事由の比率を出した所で損害の絶対数が判らない事には少数のサンプルから戦いの全体像を想像するのは無理があります。

ましてや現状の通説をひっくり返すには若干力不足かと存じます。

逆にもし鈴木氏が絶対数を意識した上で主張されているのであれば説得力は増すと思います。


もう一つ、もし射撃で勝敗がほぼ決してしまうとすれば長柄(長槍)部隊の存在を否定しなければ説得力に欠けるでしょう。

近接戦闘が残敵掃討であれば槍は長い必要はありません。

寧ろ長すぎると思いし邪魔だし掃討作戦には不向きです。


射撃戦闘中心の戦場において単なる的でしかない長槍が何故存在したのか?

実は長槍は実は存在せず単なる後世に作られたイメージだったのか?

この辺りまで踏み込まないと「遠戦指向」であったと即決するのは難しいかもしれません。


質問主さんもし追加で情報があれば教えて補足して頂けると嬉しいと思います。

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