ここから本文です

檀信徒や氏子のお葬式の形式はいつ頃確立したのですか?

pcg********さん

2016/9/2412:29:11

檀信徒や氏子のお葬式の形式はいつ頃確立したのですか?

閲覧数:
57
回答数:
1

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

yel********さん

2016/9/2413:55:39

※檀家
豊臣秀吉の時代にキリスト教を禁止し、江戸時代になってからも江戸幕府はキリスト教を徹底に弾圧したのは、学校で習ったと思います。
これに対して、仏教は江戸幕藩体制に組み入れました。
まず「本山末寺の制」(本末制度)を実施して、寺院に本山と末寺を設定し、寺院本末帳を作り幕府が管理しました。
寛永12年(1635)には寺社奉行を設置し、僧侶や神官が管理下に置かれ、各宗派には触頭寺院という出先機関を設置させて、寺社奉行がこれを管理し、各宗派を抑え、全ての宗教が幕府の統制の下におさめられました。

寛永14年(1637)には切支丹である天草四郎を中心とする島原の乱が起き、これを切欠に、隠れ切支丹を取り締まる為に『宗門改役』を設置し、寺請制度と『宗旨人別帳を作り、全ての人がいずれかの寺の『檀家』にならなければなりませんでした。
当時旅などする際は身元の証明書(寺請証文)が必ず携帯しなければならず、それを発行したのがお寺でした。
宗旨人別帳には名前、年齢、家族構成など各家ごとに記入して、菩提寺に届け、確認印をもらって宗門改役に提出しなければならず、幕府はお寺を通じて全人民を管理しました。

この寺院と檀家の関係により、寺檀制度または檀家制度ができ、現在に至る寺院と葬式の関係はこの時に始ました。

※氏子
氏神はもともと血縁による古代氏族の祖神、あるいは氏族の守護神で、それを奉る氏族たちが氏子でした。
中世には土地の神様を氏神として奉る様になり、その結果氏族の組織から地縁へと変遷し、そして氏神社の周囲に居住している者が祭礼に奉仕、参加する人々を氏子と呼ぶ様になりました。

先の江戸幕府が寺請制度や檀家制度を採用してきたのに対して、明治時代に入り明治政府はそれにかわる戸籍把握方法として積極的に『氏子制度』を採用しました。
そして、この制度は国教としての神道を教化するための連動システムとしても機能しました。
結果として、それ以後には「氏」の拡大介錯が定着することとなり、現在ではその区域に縁故のない人が転入しても氏子となっています。
神社と氏子の関係も檀家制度と同様にお祝事等の関係においても同じ形態で行われていきました。

質問した人からのコメント

2016/9/30 20:36:26

ありがとうございます。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo!知恵袋カテゴリ

一覧を見る

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる