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ボランテイアに関する事について思う事を書いて見ました。 読まれた皆様の率直な...

rak********さん

2016/10/1018:52:55

ボランテイアに関する事について思う事を書いて見ました。
読まれた皆様の率直なご意見を宜しくお願い致します。

国全体でボランテイア活動の推進を行い、社協、学校などでボランティア体験と称し、盛んに事業を行っている。
この根底には、国が福祉予算を削減する為の特効薬として、1億総ボランティア化を狙っている施策が見え隠れする。

これらが功を奏し、今や猫も杓子もボランティア活動の掛け声を聞かない日はない。
国がマインドコントロールしているように見えるが考え過ぎだろうか。

ボランティア活動は宗教活動と同じく個人の自由意思で行うものではないのか。プライベートな心の領域まで国が立ち入るべきではないと考える。

本来営利法人である施設までが堂々とボランティアとして軽々しく無償で人を使い、それを当たり前のように思っている。

これは国が進めている福祉予算削減に沿っているので、国としてはしてやったりなのかも知れない。

愛知万博みたいな大きなイベントだと、仮にボランテイアに賃金を払うならば軽く50億円のアルバイト代なったそうだ。

行政の予算削減は分かるが、ボランティアと言う名称を使って募集し使役してもいいのか?
ボランティアの本来の意味合いと違うのではないか。
他の名称で使うべきでないか。「無償協力者」「社会貢献活動協力者」とか、、。

どこまでも大災害の復旧、貧困、障がい者の救済など純粋に無償・無報酬で手助けを必要とする人達の為に働く人を「ボランティア」と呼ぶべきではないだろうか。

学校全体でボランティア体験と称し、生徒を強制的に参加させている所がある。
自発的、自主的な活動ではないので以下のような事が起きている。
その範囲は介護施設の夏祭り、傾聴、障害者施設、子育て施設、学童保育施設、農業体験等色々である。

内申点を上げる為に嫌々参加している
行っても何も自発的活動をしない
明らかに態度が悪い
お祭りなど面白そうな事に応募者が多い
ボランティア施設で知的障碍者に紙の玉を投げて遊んでいた。苛めのようにも見えた。
ボランティア当日、遅刻、無断欠席をする
途中で帰る

強制参加なら当然起こりうると思う。
「自分は何の為にボランティア体験をするのか」「そこで何をしたいのか」「何を学んで来たいのか」「どんな施設なのか」、、このような事を全く考えないで参加していればこうなると思う。

これも国が進めている1億総ボランテイア化施策の弊害だと思う。これではボランティア体験者側も受け入れ側もいい印象を持たず終わってしまう。

これからは何でもかんでも「ボランティア」と呼ぶ事を止め、ボランティアの定義から僅かでも外れる行為は全て「社会貢献活動協力者」と呼んだらどうだろうか。

********
ボランティアの語源
ラテン語の「Voluntas(ボランタス・自由意志)」
フランス語の「Volunte(ボランティ・喜びの精神)」
英語では「Volunteer(ボランティア・志願兵)」
日本では、「自分の意志で自発的に行う社会参加活動」をさしています。

ボランティアの定義
「自発性」
自発性に裏づけられた奉仕者。個人の自発的な自由意思に基づいて行われる活動であって、人から命令や強要されて行うものではない。

「無報償性」 非営利の活動を対象とする。
ボランティア活動を行い、実費や交通費、さらにはそれ以上の金銭を得る活動を「有償ボランティア」と呼ぶ例もある。
社会福祉協議会やボランティアセンターでは、「交通費や材料費などの実費分までは無償の範囲とする。」ということが、一般的な考え方となっている。

「公益性」(社会全体に益する事)
営利法人がボランティアで人を使う事が公益性にあたるのか。これは「ボランティア」と言う名称でなく「社会貢献活動協力者」と使い分けすべきと思う。

「創造性」「継続性」などを有する活動

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tat********さん

2016/10/1023:38:03

「読まれた皆様の率直なご意見を宜しくお願い致します」
とのことなので、率直に意見したいと思います。


「今や猫も杓子もボランティア活動の掛け声を聞かない日はない。」

いや、私は普通に掛け声を聞かない日もたくさんありますけど。というか聞かない日のほうが多いですけど。というかほどんどの日は聞きませんけど。

「国がマインドコントロールしているように見えるが考え過ぎだろうか。」

考えすぎだと思います。私はボランティアに関しては国からマインドコントロールされていないと思いますし、周りを見渡してもマインドコントロールされているような人は一人も見当たりません。

「プライベートな心の領域まで国が立ち入るべきではないと考える。」

その通りだと思います。そして、ボランティアに関して、国がプライベートな心の領域に立ち入っているとは思えません。


「 愛知万博みたいな大きなイベントだと、仮にボランテイアに賃金を払うならば軽く50億円のアルバイト代なったそうだ。
行政の予算削減は分かるが、ボランティアと言う名称を使って募集し使役してもいいのか?」

こう書かれると、まるで行政が強制労働させたみたいに見えますが、万博のときに参加したボランティアは自分の意思で参加したのではないでしょうか。万博は貴重な機会ですから、自分から携わりたいと思う人がたくさんいたとしても不思議ではありません。
主催側はコストフリーで人を調達できる、ボランティアは自分の意思で万博に携わることができる。Win-Winだと思いますけど。


「学校全体でボランティア体験と称し、生徒を強制的に参加させている所がある。自発的、自主的な活動ではないので以下のような事が起きている。
...
強制参加なら当然起こりうると思う。
...
このような事を全く考えないで参加していればこうなると思う。
これも国が進めている1億総ボランテイア化施策の弊害だと思う。これではボランティア体験者側も受け入れ側もいい印象を持たず終わってしまう。」

国がそのような施策を進めているのかは知りませんが、そういうこともあると思います。
ただ、それを言ったら、部活を強制にしてる学校だってあるし、職場体験とかだって強制だし、勉強とか日々の授業だって強制といえると思いますが。


「これからは何でもかんでも「ボランティア」と呼ぶ事を止め、ボランティアの定義から僅かでも外れる行為は全て「社会貢献活動協力者」と呼んだらどうだろうか。」

最終的に主張したいことはこれですか?別に現時点で何でもかんでも「ボランティア」と呼ばれているとはそもそも思いません。

あなたの考えるボランティアの定義がはっきりしないのですが、
「自発性、無報酬性、公益性、創造性、継続性などを有する活動」ということでよろしいでしょうか?(定義に”など”という曖昧な表現を使うのはどうかと思いますが)

まず、公益性についてですが、
「営利法人がボランティアで人を使う事が公益性にあたるのか。これは「ボランティア」と言う名称でなく「社会貢献活動協力者」と使い分けすべきと思う。」

「どこまでも大災害の復旧、貧困、障がい者の救済など純粋に無償・無報酬で手助けを必要とする人達の為に働く人を「ボランティア」と呼ぶべきではないだろうか。」

では、営利法人が運営する障害者施設では「社会貢献活動協力者」になり、非営利法人が運営する障害者施設では「ボランティア」になるということですか?

やっていることは同じなのに運営主体が営利か非営利かで分ける必要はないと思いますけど。

次に、継続性についてですが、例えば大災害の復旧に純粋に無償・無報酬で手助けをしたい人がいたとして、仕事などの都合で数日しか現地に行って活動することができないとします。このような人は継続性を有していないと思いますが、このような人はボランティアに当たらないとお考えなのでしょうか?
私は当たると思いますけど。

次に、創造性についてですが、なぜ創造性なのでしょうか。
別にボランティアと創造性は基本的に関係ないと思いますけど。

他にもいろいろと突っ込みたいところはありますが、総じて、
1.何を主張したいのかがわかりにくい
(ボランティアの定義に関して問題提起しているのか、それとも国がボランティア
を進めていることを問題としているのか、両方か)

2.主張と、出している引き合いとの関連がよく見えない
(これは1とも関連する)

まとめると、
何が言いたいのかわかりにくいし、説得力もない。以上。

  • 質問者

    rak********さん

    2016/10/1103:32:23

    長文にわたる、本当に率直なご意見を有難うございます。

    28年間ボランティア活動をしています。
    県の福祉教育推進員も行い、学校での福祉教育にも携わっています。

    最近になって福祉教育及びボランティアの考え方に迷いが生じて来ました。

    何かを説得したいとかそのような意思はありません。

    強いて言うなら、自分の心の中を整理する為の一助になればと思っています。

    私はボランティア活動の渦中にいます。それ以外の一般の方々のボランティアに対する認識を知りたいと思っています。

    どうも、その辺りに私の迷いの原点もあるような気がします。






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質問した人からのコメント

2016/10/14 03:45:27

率直なご意見を頂き有難うございました。

私のように28年もボランティア活動の渦中にいる人間と、そうでない人間に大きな意識の差がある事が良く分かりました。

そして、渦中にない人々の意識が国の進めるボランティア(奉仕活動)の言葉に対する考えが浸透(洗脳)しているのを感じます。
社協や学校もそれに沿って事業を進めています(夏ボラ体験、大学での卒単科目)

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han********さん

2016/10/1107:12:59

私は国や団体がボランティアを募って無償で働かせることは賛成です。
Jリーグなどでは好きなチームの為に多くの人が喜んで参加しています。
言葉の問題は関係ないように思います。

大切なのは「自発性」であって、半強制的になると多くの問題がでることには共感します。

本来はPTAや町内会行事もボランティアで運営されるべきですが、ほとんどの団体は強制参加になっていて、参加しないと村八分や罰金となる例も良く聞きます。
日本の村社会文化は相当根強く、私には解決の手段は見いだせません。

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lm_********さん

2016/10/1021:30:36

「ボランティア」ってのがいかがわしいものだという意見には賛成するけれど、呼び名を変えたり分けたりしたところでそんなのは解決しないと思う。

その「ボランティア」の実体がなんであるのかを、考える能力のある人は考え、その結果を広める能力のある人は広めることじゃないかな。

「その『ボランティア』って『雇うほうの都合に合わせて無料で使われるバカな労働者』って意味じゃね?」
「浮いた人件費で税金が節約できるから金持ちの増税をしなくて済み、差額がそいつらの資産に化けているんだな。」
とかさ。

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